蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

真空管オーディオフェア

2013-10-15 | 音楽
四季の『Song & Dance 60』(坂田加奈子のダンスが圧巻)をマチネで観たついでに、秋葉原の真空管オーディオフェアへ足を伸ばす。主催者に友人がいて、毎年呼んでくれるのだ。

真空管オーディオなんてマイナーな世界に、フェアをやるぐらい人が集まるのかって? それが集まるどころじゃない、立錐の余地もない――てのはオーバーだが、三つのフロアを来訪者がほぼ埋め尽くしていて、廊下をまっすぐ歩くのもおぼつかない。ま、会場の損保会館てのは、各室の広さをギリギリまで拡げて廊下を極端に狭くした建物だけどね。

オーディオがブームだったのはとっくの昔の話だから大手メーカーの出展はなく、各地のマニアが手作りで作っているアンプやスピーカーの展示会である。だからこそ、楽しい。規格品は一つもなく、デザインも音質もテンデンバラバラの個性的な製品ばかりだ。大砲型の奇抜なスピーカーがあったりする。

でもオレの狙いはハードウェアじゃないんだなあ。会場で売ってるアナログレコードだ。今年は大当たり。カラスのステレオ再録盤『ルチーア』の日本プレスが、たったの1050円で売っていた。小躍りして即購入。

「カラスが逝って1年」云々とタスキにあるので、1978年のプレスらしい。この時代の日本製LPは空前の高品質を実現していたのだが、こんな捨て値で売るなんて、オーディオマニアは価値を知らんのかね。

もっとも、オーディオファンは50年代録音のオペラなんか聴かないだろうし、オペラファンはオーディオフェアに出掛けたりしないだろうけどさ。オレみたいなヘンなのは別として。

この値段じゃ中古だろうと思ったら、レーベルにはスピンドルの頭でこすった跡がないし、盤面はつやつやだし、スプレーを吹きつけた形跡も無論ないし、どう見てもピッカピカの新品である。奇蹟か。

聴いてみると、期待どおり。オーケストラは深山の湖水のように静かな透明感を湛え、それをバックに温かな潤いをおびたカラスの声がふわりと浮かび上がる。CDのキーキーやかましい彼女とは、まるで別人だ。これだからLPはやめられない。さっそくDSDにダビングしました。
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復刻音源サイト

2013-08-25 | 音楽
元BBCの音響技師が創設したPristine Classicalという配信サイトの復刻音源を、今月のレコード芸術が紹介している。その音質は「細部すべてが水晶のように透明で、かがやかしい光に包まれていて、かつて聴いたことのないほど雄弁」なんだと。

クラシック評論家のゴマスリはいまに始まったことじゃないが、ここまでホメちぎるのは珍しいよね。もっとも、記事の筆者自身の評言ではなく、イギリスの音楽誌に載ったお世辞の翻訳だけど。

ともあれ、歴史的録音の復刻サイトなら復刻録音で一番人気のマリア・カラスがないわきゃない、とアクセスしてみたら、シメシメ、ありましたよ6点も。で、さっそく1955年の『ノルマ』スカラ座ライヴをダウンロード。

ところが! なんだよこれ。まるっきりアルゼンチンDIVINA盤のパクりやんけ。

いや、“まるっきり”は言い過ぎで、開幕から15分間の欠損部分はDIVINAと違い、ガヴァッツェーニの頼りない演奏じゃなくセラフィンの雄渾きわまりない演奏で補ってある。2幕冒頭のアリアにかぶる酷いノイズも、きれいに消してある――というより、ノイズのない別の音源をはめ込んである。

しかしだね、こんなことはDIVINA盤のほかにイタリアのIDIS盤とパソコンと音楽編集ソフトがあれば、シロウトだってできるんだよ。現にオレ自身がやってら。

何より許せないのは、第1幕フィナーレのトリオと終幕の二重唱でDIVINA盤の欠点をそっくり引き継いでいることだ。このパッセージで、カラスはまるで断末魔の老婆の絶叫のようにギスギス痩せた金切り声を張り上げているが、それはLPバージョン(米Limited Editions盤)の彼女とはまるで別の歌である。LPのカラスの声は温かくまろやかに、余裕でうたってんだよね。

DIVINAやEMIに限らず、復刻CDは大体においてノイズ削りすぎの嫌いがあって、これがカラスといわずあらゆる人間の歌声をダメにする。NoNoiseだのCeDarだのといったノイズ・リダクション・システムに音楽を通すと、決まって音楽の微妙なニュアンスが失われてしまうのだ。

こういうノイズ削減プログラムはノイズの波形を記憶しておいて、音楽信号の中から該当の波形をカットするのだが、人声や弦のように複雑な微細信号を大量に含むデータからノイズ波形だけを正確に識別して打ち消すなんて、土台ムリな話じゃね?

どんなプログラムもコンピューターも、人間の耳ほど敏感じゃない。だから音楽信号をノイズ・リダクションに掛けると、骨粗鬆症で骨からカルシウムが溶け出すみたいに音楽からコクと味わいが抜け落ちていく。

Pristineのサイトは、古い録音に劇的な新生命を吹き込んだだの、カラスの声に前例のない透明感と魅惑が加わっただのと、大層な自画自賛の弁を綴ってあるが、こんな他人のフンドシ商品をアップしといて、よく言うよ。いやしくも音響技師が最高の音質を目指すんなら、できるだけオリジナルに近い音源から音を起こすべきだろが。安直に既存のCDなんか元ネタにすんなよ。
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音は世に連れ

2013-07-09 | 音楽
DSDレコーダーを手に入れてからLPのダビングに熱中していたが、あまりの暑さに一休み。いくらオペラ好きでも、この時期に聴くのは胃潰瘍のハラにステーキを詰め込むに等しい。

LPはいい、CDは音が悪いと散々書き散らしてきたが、LPもいいことばっかじゃないですね。欠点の一つは、品質にムラがあること。コンピューター任せのCDは格別いい音もしない代わりに極端な粗悪盤もないが、LPは製造に携わる技師、というより職人の経験とカンが大きくモノを言う。いいものは気が遠くなるほどいいが、悪いのは徹底的に悪い。手抜き、または未熟な技術で作られたLPの音は悪夢だ。

たとえば、1964年に発売された『カルメン』全曲の米Angel盤がいまオレの手許にあるが、3枚6面のうち第2、3面は製盤不良で音が歪みきっていて使い物にならない。アメリカはLPの発明国だから、50年代にはけっこう質のいいレコードを作っていたんだけどねえ。60年代に入ると、この国は途端にモノ作りの質が落ちた。

LPのもう一つの欠点は、よく知られているようにサーフェス・ノイズが多いことだ。

ノイズにも色々あって、ユーザーが不注意でつけたキズが原因のヤツを別にすると、まずはホコリが付着して発生するパチパチ・ノイズ。これは木工ボンドを水で溶いて盤面に塗れば取れる、と言われているが、万一失敗したらエラいことになるから実行していない。LPって、買い換えがきかないもんね。

ノイズの2種類目は、不純物の多い低品質の塩化ビニール素材に起因するジャリジャリ・ノイズ。50年代の日本盤や60年代のアメリカ盤には、これが実に多い。トタン屋根に雨が降りしきるみたいに絶え間なくノイズが続くので、音楽に集中できない。のみならず、針が磨り減るんじゃないかと気が気じゃない。当節、交換針を手に入れるのも一苦労だからさあ。

3番目は、スタンパーのキズが引き起こすノイズ。数は少ないが、ガツンガツンとすさまじい大音響を出す。

LPをセンベイ式にプレスするスタンパーとその母型のマザーは金属メッキで製造するが、メッキは必ずしもムラなく完璧には行かない。ところどころに小さな窪みや出っ張りが残り、これが大音響ノイズの元凶になる。

出来上がったばかりのマザーを試聴してノイズ源のキズを一つ一つ極細のノミその他で均すのだという話を、昔オレ自身がレコード制作に携わっていたころ、ビクターの工場で聞いた。試聴するのは、聴覚の鋭敏な十代の少女に限るそうだ。

1970年代後半からCD登場前夜までの日本製LPは高品質で定評があったが、こういう丁寧な手仕事が行われていたからなんでしょうね。そういや、あのころパリへ行くと、FNACなんかでフランソワーズ・アルディやジュリエット・グレコの日本盤を売っとったワ。日本語のタスキをつけたまま。

一方、日本のクラシック・ファンが信仰に近いほど崇めていたイギリス・プレスは、いま聴いてみるとEMIなんか酷いもんだね。モノラル録音を疑似ステレオという気持ちの悪いフォーマットに改悪したレコードが多いし、そのうえガツンガツン、耳をつんざく大音響ノイズが異常に多い。マザーの検品など、全然やってなかったんじゃないか。

EMIのライバルだったDecca盤はすごい高音質だから、これはイギリス盤の、というよりEMIの欠点だろう。この会社はレコード会社でありながら、昔から音質には無頓着だった。大物ディレクターのウォルター・レッグが、いくら要求しても性能のいいマイクを会社が買ってくれないので、やむなくポケットマネーで買ったと回想録に書いている。EMIはCDでも、復刻盤に関するかぎり、どんなレーベルよりも音が悪い。

ところが同じ系列でも、フランス盤は意外に品質がいい。フランスの工業製品なんかバカにしていたから、これにはちょっと驚いてしまった。

EMIじゃないが、バルバラが50年代末に録音した25センチLPが2枚、手許にある。どうせノイズだらけの酷い音だろと思いつつ針を下ろしてみたら、これがなんとノイズ皆無。25センチなのに録音レベルが高く、内周部のフォルティッシモでも歪み極小、彫りの深いヴォーカルがくっきり眼前に浮かび出る。声の響きがCDのように冷たく乾かず、透明感と潤いにみちて空間を流れる。

これぐらい澄んで豊麗な音を出すLPは、ほかに80年前後の日本プレスぐらいしか思い浮かばない。EMIもそのころの日本盤だと、文句なしの高品質である。

しかしフランス盤は、70年代に入ると品質が低下する。上記バルバラの25センチは、その後 2 in 1の30センチに切り直されたのだが(それも手許にある)、オリジナルの透明感と奥行きはどこへやら、ノイズこそないもののCDみたいにペチャッと平べったい音に変質してしまった。

フランスは第2次大戦直後から70年代初めまで、堅調な景気を続けた。これを「黄金の30年間」と呼ぶそうだ。第1次石油ショックを境に、それが崩れて失業率が急上昇する。特に若い世代の失業率が10%を超え、彼らに場所を譲るため高給取りの老職人が職場から追われるようになった。そういう状況を当時、ジルベール・ベコーが「退職 La retraite」で歌っていた。ビートは軽快だが後味の物悲しいスウィング・ナンバーだ。

フランス盤の品質低下は、高技術の職人が次々現場から去ったことを意味している。代わって右肩上がりの高度成長路線をひた走っていた日本のレコードは、ぐんぐん品質が向上した。歌はやっぱり「世に連れ」なんですね。この場合、歌というより音だけど。

それで思い出したが、あのころフランスは盛んに日本のことを罵ったり嘲ったりしていたもんだ。日本人はウサギ小屋に住んで働くしか能のないワーカホリックだとか。

作家のJ.-P. トゥッサンが自作を映画化した『ムッシュー』を観たら、短躯で出っ歯で近眼で(欧米人の描く典型的日本人像)紙に書いたセールストークを一方的に読み上げる日本人セールスマンが出てきた。

あれは、フランス人の嫉妬だったんでしょうなあ。自国が衰退期に入った焦り。いま日本人が、中国と韓国を悪しざまに言ってるのと似てるね。
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DSDレコーダー

2013-04-24 | 音楽
DVDレコーダーじゃないよ。SACDの規格で録音できるオーディオ・レコーダーだよ。サンプリング周波数をSACDの倍の5.6MHzまで設定できるから、理論上はSACDよりもっといい音で録音できる。

教えてくれたのは、先々月のレコード芸術に載った新忠篤氏の記事だ。新(あたらし)さんはオレの知るかぎり、SPやモノラルLPなど古い音源のCDトランスファーでもっとも確かな技術とセンスを持った人である。

新さんの復刻CD(正確にはCD-Rだが)は、歌手の顔が見えるんじゃないかと思うぐらい生々しくヴォーカルが目の前に浮かび上がる。なのに、耳障りな刺激音はいっさい出ない。SP音源だから当然ノイズはあるが、楽音とすっきり分離しているので邪魔にならない。

要するに、磨り減っていない良質のSPをクレデンザなど最高級の蓄音機で掛けたときの音なのだ。ノイズを削りまくったあげく人工的に倍音を加えてギスギスのヒステリックな音にしてしまったメーカー製の復刻CDとは、まったく次元の異なる音である。

その新さんがCD規格のPCM録音に愛想を尽かして、SP復刻をDSD録音で全部やり直すことにしたというのだから、オレは心穏やかではなくなった。

実はオレもCDの音が嫌いで、CDレコーダーとADコンバーターを使って手持ちのLPをせっせとCD-Rに焼いたりハードディスクにコピーしたりしていたのだが、やっぱりPCMには不満があった。メーカー製の復刻CDよりはマシといっても、元のLPと比べると、どうしても音が痩せてしまう。ような気がする。

それがDSD録音だと、ディジタルでありながらアナログと変わりないというんだから、これは買わずにいられないじゃありませんか。で、買いましたよコルグMR-2000S。



プロユースのスタジオ機器だから、アマにはちょっと使いにくい。リモコンはないし、録音レベルの設定に一々メニュー画面を呼び出さなきゃなんないし(LPって、音量レベルが1枚1枚違うのだ)、曲のファイルサイズが1GBを超えると自動的に分割されるので繋ぎ直す必要があるし、まー辛抱がかなり要る。

しかし、音はさすが。辛抱の甲斐がある。LPの潤いが全然失われない。ような気がする。

以来ひと月あまりダビングに熱中しているが、全部やり終えるまでに一体何年かかるかねえ。プレーヤーやアンプの寿命がもつかどうか。いや、そんなのは買い直しがきくからいいが、オレの寿命がもつかどうか。
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NHK-BS

2013-02-14 | 音楽
昼下がりのいっとき、何気なくテレビをつけてBSを選局して、全身の血が逆流したね。NHKが20年近く前のライザ・ミネリのライヴを再放送してるではないか。

当時、オレはこのコンサートをナマで観た。死ぬほど退屈した。呼ばれて観に行ってケチつけるのもナンだが、ライザ・ミネリってのは元々、大した芸人ではない。毛並みでカネを取る虚名スターの典型だ。

母親(ジュディ・ガーランド)ほどの器量も声も歌唱力もオーラもないのに、むやみに熱演力演をやるので、ひたすら鬱陶しい歌である。おまけにトシのせいか無茶な歌い方のせいか、声をガラガラに荒らしていて聴き苦しいったらなかった。

しかし、それだけなら逆上なんか、しない。NHKが何を放送しようと、どうぞご勝手に、だ。

しかしだね、ライザがやってくる直前、日本にはエルフィ・スカエシにヌスラット・ファテ・アリー・ハーンにユッスー・ンドゥールにサリフ・ケイタにハレド、非西欧世界のポピュラー界の超大物が続々来日してたんだよ。

そいでもって、当のNHKが『熱帯音楽』ってBSの番組で彼らのコンサート・ライヴを次々放送したんだよ。

ところが、番組の司会をしていた故・中村とうよう氏の話では、『熱帯音楽』のマスター・テープをNHKは全部破棄してしまって、いまは1本も残ってないんだと。

エルフィのコンサート・ライヴなんて、多分インドネシアでも観られない超レア・ビデオだったのに。大体、フルレングスのコンサートをやったりする人じゃないんだから。

そういう特別なテープを捨てといて、ライザの屁みたいなライヴは何度も放送するから腹が立つんだよ。BS初期の貴重な記録、みたいな謳い文句でさ。

NHKがいまだに西欧崇拝の植民地根性を引きずってることが、この例からもよく分かるね。ヨーロッパのクラシック・ミュージシャンの出稼ぎ演奏なんかも、出来不出来にかかわらず後生大事に保存してるらしいし。

営業努力ゼロで年間6000億余りも転がり込んでくる殿様商売やってるから、いつまで経ってもこんな風に思考停止状態なんだよ。
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