蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

ドリス・デイ

2013-02-02 | 音楽

都心へ出たついでにレコード店をのぞいたら、米コロンビア系音源の蔵出し叩き売りCDをバーゲンしてたので、デイなど何点か衝動買いしてしまった。もはやパッケージ・オーディオの時代じゃないとは思うけど。

デイは先日亡くなったパティ・ペイジと同じく、プレロックのティンパン・アリー系メイン・ストリームを代表する歌手だ。アメリカニズムが支配的だったころの日本で、一番人気の女性歌手だった。ひばりや江利チエミ、ペギー葉山らが一生懸命コピーしていた。オレも中学時代、ラジオにかじりついて聴いていた。

ペイジの歌がカントリー・フレーバーなら、レス・ブラウン楽団出身のデイはジャズ・フレーバーだった。メロウなバラードが抜群にうまかったペイジに対して、スウィンギーなポップスを歌うと滅茶苦茶キュートだった。

といっても特別うまい歌手というわけではなく、愛らしい庶民的な持ち味で聴かせるところ大だったから、トシ取ってキャリアを重ねると段々つまらなくなった。

このCDでも、アンドレ・プレヴィンのピアノ伴奏でうたった62年録音のジャズ・アルバムが3枚目に採録されているが、妙にねちっこいベタベタした歌で聴いてられない。

逆に40年代末から50年代初め、20代半ばの録音を集めた2枚目は、どれもこれもキラキラ輝く粒揃いだ。歌詞の内容や歌の表情など、ややこしいことにはお構いなくスルスル歌って、すべてが自然な音楽になっている。屈託のない、伸びやかな歌である。しかも大半が日本未紹介だ。復刻盤CD特有のギスギスした音質が残念だけどね。

ただ「上海」「Teacher's pet」「Love me or leave」「Blues in the night」といった名演が、なぜか収録されていない。アメリカじゃヒットしなかったのかな。あと、初ヒットの「センチメンタル・ジャーニー」がジャケットには65年の再録音(不出来)と記してあるが、実際には45年の初々しい初回録音で入っていた。あーよかった。

しかし、レコード会社は自社音源を大事にしなくなったね。
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パティ・ペイジ

2013-01-04 | 音楽
亡くなっちゃったね。享年85だそうだから、まあトシに不足はないが。

彼女の全盛期の50年代初め、日本の洋楽シーンはほぼアメリカン・ポップス一色だった。パティのほかドリス・デイ、ダイナ・ショア、ジョー・スタッフォードといった女性シンガーの人気がとりわけ高く、デビューしたばかりの江利チエミや雪村いづみが一所懸命コピーしていた。ひばりの「上海」も、デイのデッド・コピーだ。

中でもパティは、スロー・バラードのうまさで際立っていた。"I went to your wedding" とか "You belong to me" とか、声を張り上げたり技巧を誇示したりせず、サラリとメロディを流して匂うような甘さを漂わせる上品な歌手だった。

故・中村とうよう氏は、アメリカでは不遇だった、とどこかに書いていたが、とんでもない、ビルボードで全米No. 1になった曲が幾つもある。もっとも、アメリカでヒットしたのは「テネシー・ワルツ」「ワンワン・ワルツ」「オールド・ケープ・コッド」等々、オレのあんまり好きじゃない曲だけど。

ともあれ50年代までは、ロックもベトナムも知らなかったころまでは、アメリカにもこういう優雅な歌を愛する余裕があった。パティ・ペイジとは、アメリカ社会がもっとも安定して幸せだった時代を象徴する歌手、と言っていいだろう。
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二つの『アンナ・ボレーナ』

2012-09-26 | 音楽
19世紀初め、ベルカント・オペラ全盛期の傑作である。ドニゼッティ作品中、ポピュラリティでは『ルチーア・ディ・ランメルモール』に劣るが、音楽はこっちの方が上だ。

1957年にマリア・カラスがスカラ座で歌って伝説的な成功を収めたことは、オペラ・ファンなら周知の事実。それ以来、なんでもカラスの後追いをしたがったトルコのソプラノ、レイラ・ゲンジェルがラジオで歌ったほかは、カラスと比較されるのを怖れて誰も歌おうとしなかった。当時、ベルカント・オペラはあまり人気がなかったって事情もあるけどね。

10年後の60年代末、ようやくカラスの呪縛も解けたか、ベルカントの人気上昇と相まってボチボチ上演と録音が増えだした。

その『アンナ・ボレーナ』の全曲が驚いたことに2種類、YouTubeにアップされている。どっちもライヴ録音で、CDでは手に入らない。

一つは1970年、ブエノスアイレス・コロン歌劇場での録音。ヒロインをエレナ・スリオティス、ライバルのジョヴァンナ・シムールをフィオレンツァ・コッソットが歌っている。2時間半の全曲が1ファイルである。
Anna Bolena 1970

スリオティスはカラスの再来と呼ばれた歌手だが、若いうちからヘヴィーな役を歌いすぎて喉を壊し、ソプラノとしては20代で歌手生命を失ってしまった(その後、メッゾに転向して復活)。71年に来日して、おそろしく粗っぽいノルマを歌っていった。

その1年前のここでは、まだそれほど喉は荒れていないが、歌がなんとも若くて舌足らず。ほとんど可愛らしいぐらいのボレーナである。大詰めの大アリアが貫禄不足で盛り上がらない。

なので聴き物は、ヒロインよりも助演格のコッソットだ。60~70年代の代表的なメッゾ・ソプラノだった彼女は、レコーディングでは主にヴェルディ以後を歌い、ベルカントは『ノルマ』のアダルジーザと『ラ・ファヴォリータ』以外ほとんど録音を遺さなかった(って、まだ生きてますが)。だからこれは、きわめて貴重な録音である。

実際、スムースなメロディ歌唱や軽やかなフィオリトゥーラ、シャープな劇的表現で、これは『ボレーナ』上演史上屈指のジョヴァンナだ。第2幕のアリアなど、57年の歴史的上演でカラスに引けをとらない名演を聴かせたジュリエッタ・シミオナートを凌ぐ場面すら、ある。

もっとも、声の美しさと歌唱技術の高さと表情の豊かさで、2011年ウィーン録音のエリーナ・ガランチャはコッソットをさらに上回ってるけどね。(このウィーン版は、いま飛ぶ鳥落とす勢いのアンナ・ネトレプコがタイトル・ロールだが、歌も容姿も気品が乏しくていただけません)

ブエノスアイレス版の音質は、声を聴く分にはまずまずだが、40年前の水準に照らしてもいい方ではない。オーケストラの低音がほとんど聞こえない。圧縮音声だから、ではなく、テレビ中継の録音なのではなかろうか。

テレビには大体において、ロクなスピーカーがついてない。低音も高音も出ない。だから放送する側も、アナウンスやドラマのセリフがくっきり聞こえるようにヴォーカル帯域だけ強調して低音をカットした音を送り出す。低音再生能力のないスピーカーに低音を送り込んでも、音が歪むだけだからだ。

ラジオも似たようなもんだが、歌は聞こえるがオーケストラの低音が貧弱、というのが放送録音共通の難点である。

さて、もう一つの『アンナ・ボレーナ』は1975年、ダラスでの録音。2ファイルに分割してアップされている。ダラスといやテキサスじゃんか。そんなとこでオペラやってんのか、なんて意外感を持たれるかも知れないが、ここは昔から石油成金が道楽でオペラをやっている町なのである。
Anna Bolena 1/2
Anna Bolena 2/2

なんせアメリカって国は、サツバツの西部開拓時代にもサンフランシスコで『ルチーア』を上演してたって国ですからね。それを聴いたハワイアンの作曲家が、六重唱のメロディをパクって「真珠貝の歌」にして……あ、脱線しました。

で、ダラス版『ボレーナ』で主役を張ってるのは、レナータ・スコットである。この人、背が低くずんぐりした体型で舞台映えしないために随分損をしていたが、歌の完成度はカラスに肉薄する。この当時、アラフォーの歌い盛り。伸びのいい声を駆使して、ベルカント・オペラの旋律美をたっぷり歌い上げる。カラス以後、最高のボレーナだ。あの超人的歌唱能力のディーヴァも避けた超低音や超高音のヴァリアンテに、スコットはこれでもかとチャレンジしている。

もっとも、おかげで歌が時に声のアクロバットと化して、音楽がどこかへ行ってしまう嫌いはあるけどね。

スコットの『アンナ・ボレーナ』は、同じ年の暮れにフィラデルフィアで歌った録音がCDになってるが、声にやや疲れが出て出来はダラス版より落ちる。ライバル役のメッゾも、ダラス版の方が上だ。

ただし、オーケストラと音質はフィラデルフィア版の方がよかった。ダラス版は、序曲も開幕の合唱も絶句するほどの下手クソさで出鼻をくじかれる。それにこれは、明らかに客席からの盗み録りだ。盗み録り犯のものとおぼしい咳払いが時々、びっくりするほど生々しく聞こえたりする。

アメリカでそんな無法な録音が……って、この国は、いまでこそ著作権保護の本家みたいな顔をしてるが、60~70年代には中国も顔負けの海賊盤の本場だったのである。当時のロック・ファンなら、いわゆるブートレグLPの入手に奔走した覚えがあるはず。

ところでこれら2種の全曲録音、いまではパソコンの貧弱なスピーカーかネットワーク・オーディオ機器を通じてしか聴くことができない。民自公の翼賛体制がダウンロード規定法を、国民がほとんど知らない間に成立させてしまったからだ。

この稀代の悪法、表向きは著作権保護の体裁を採っているが、真の狙いは別件逮捕の口実作りなんだとか。YouTubeやニコ動にアクセスして一度もDLしたことのない人なんて、まずいないもんね。違法DLのファイルをパソコンから削除しといても、警察に掛かったら簡単に復元できるんだと。こわ~。

なんか日本が着々と警察国家への道を歩んでいるのを、肌で感じるね。大阪じゃ、国歌を歌ってるかどうか口元を監視してるって話だし。
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ヨーロッパの音

2012-06-10 | 音楽
スピーカーをモニター・タイプからDaliの超小型に換えたら、俄然CDを聴くのが楽しくなった。ヴォーカルが伸びのびと潤い豊かな歌をうたう。使い込むうちに、低音もけっこう出るようになった。

これに味を占めてAVサラウンドのフロントも、以前から音色が好みだったTannoyに変更。といってもオートグラフ、スターリングといった大型の高額機種では無論なく、マーキュリーというTannoyの中で一番廉いヤツである。

鳴らし始めは、参った。音がスピーカーの奥で生気のない固まりになってモゴモゴ。アンプのボリュームをいくら上げても前に出てこない。大体、音色がカサカサしてTannoyらしい色気がない。

こりゃアカン、やっぱ安物は……と悔やみつつ、CD掛けっ放しで約2時間。すると、あらら~、音質が突如一変したじゃありませんか。堰を切ったように音の奔流があふれ出してきた。

弦は華やかな艶をおび、ギターは爽快な切れ味を増し、ヴォーカルは晴ればれと歌いだす。価格で3倍のDaliに迫る勢いだ。

つまりこのスピーカー、つぼみの状態でユーザーに届けられるんですね。信号を流し込むと、それを滋養に大輪の花が咲く。コスト・パフォーマンス比の良さ以上に、そういう造りから透けて見える職人気質に感心した。

昔、日本の旅の宿では、チェックアウトする泊まり客に何時ごろ昼食をとるつもりか訊ね、それに合わせて彼らに持たせるおにぎりの握り方を変えたそうだけどね。ちょっと違うか。

ともあれ、スピーカーはヨーロッパに限る。音楽はヨーロッパに限る。ヨーロッパ白人は大嫌いだが。
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唱歌復活?

2012-05-27 | 音楽
文部省唱歌(って、つい書いちゃうなあ)の「ふるさと」をブルガリアの女声トリオがロンドンで歌ったら、拍手喝采だったんだと。そういや、「ふるさと」の半音階進行を多用したマイナー・メロディは、ロック出現以前のヨーロッパ都市歌謡と質的に近いよね。

ずいぶん昔の話だが、銀座のデパートのレコード売り場で「月の沙漠」のシングル盤を掛けていたら(という状況から、どれぐらい昔かお分かりでしょう)、通りかかったロシア人男性が足を止めて聴き入り、涙を流し始めた。

男性は何度もくり返しリクエストした挙げ句、レコードの値段を聞いて諦めて立ち去ろうとした。するとデパートの女店員が呼び止め、小遣いを出し合って買ってあげた、という話が美談として報じられた。

いま思えば、美談というより男性の方が図々しいんじゃないかって気もするが、「月の沙漠」のメロディがロシア民謡の哀調と響き合うのは確かだね。「トロイカ」なんか、日本じゃ軽快なテンポで歌われるが、ロシア人の歌は悲痛な慟哭って感じだもんね。将軍様の死に嘆き悲しむどっかの民衆も真っ青。

マチズモ誇示のガキンチョ専用80年代ヘビメタにも、実は意外にマイナー・メロディが多かった。マイナーって情緒で攻めるから、素人受けするんですな。由紀さおりの狂い咲きとも相通じるんじゃないかね。ルー・リードのような大人のミュージシャンは、その皮相な感傷性を毛嫌いしてたけど。
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