蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

父の日

2021-06-20 | 文化
今朝の天声人語が面白い。

なぜか知らないが、いつもの担当者に代わって女性記者が臨時に担当したらしい。今日が父の日だというんで、亡くなった親父さんの思い出を綴っている。記者は職業柄、各地へひっきりなしに転勤する。親父さんは娘の苦労を思い、「良き友を得よ良き上司得よ」と歌に詠んだ。

その親心に打たれた、と言うのとは違う。

記者は父親の歌を引きながら、10回の転勤で「上司はともかく友には恵まれた」と綴る。その言葉が楽しい。

彼女はおそらく、上司に怨みがあるのではない。しかし、「上司に恵まれた」とは書きづらい。「友に恵まれた」と書くには、なんの抵抗もないが。たとえ実際には良き上司に恵まれていても、そう書くとゴマをすっているようで気恥ずかしい。

こういう含羞、節度が人間の知性というものであろう。短いフレーズからちらっとこぼれた女性記者の知性に、オレは微笑した。
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スマホが鳴らなくて

2021-04-30 | 文化
iPhoneの着信音が鳴らなくなった。不在着信の通知が幾度かロック画面に出ていたが、大方セールスの電話か何かだろうと思って放っておいた。なんで電話に出ないんだよと知人からメールが来て、初めて鳴らなくなっていたことに気づいた。

電話は、鳴れば気づく。鳴らない不具合には気づきにくい。

で、独り暮らしの巣ごもりで電話1回線ではやっぱりヤバイなあと、もう1台契約。楽天モバイルである。1年間データ通信無料。1年過ぎても1GB以内なら無料。通話も、楽天の電話アプリを使えばほとんど無料。

LINEもフェイスブックもツイッターもやらず、メールは大抵WiFi経由でパソコンないしiPadから発信のオレには打ってつけの条件である。支払うのは事実上、端末代だけ。契約しない方がバカみたいだ。ドコモ解約して、楽天をもう1台買おうかな。

購入したのはシャープの端末だが、ビックリしたなあ。価格はiPhoneのほぼ4分の1なのに、機能的にはそれほど差がない。というか、動作は体感的により機敏に思える。画面は液晶だが、iPhoneの有機ELに見劣りしない。iMacやiPadとの連携は、さすがにちょっと面倒だけどね。

とにかく、iPhoneがいかにボッタクリであるか、ということです。確かにアップルの製品には、パソコンでもスマホでも独特の魅力があるんだけど。

iPhoneの着信音が鳴らなくなるトラブルは、わりと多いらしいよ。ネット検索すると、再起動やブルートゥース・オフその他、対策を記したページにゾロゾロヒットするもの。そのすべてを試してみたが、治ったと思ったら再発の繰り返し。どうも安心できなくて落ち着かない。
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ジュリエット・グレコ

2020-09-26 | 文化

10年ほど前だったか、"ホームレス歌人" が話題になったことがある。朝日の投稿歌壇に「ホームレス・公田耕一」と名乗る歌人が彗星のように現れ、数か月後、ふっつりと消息を絶った。関係者が行方を追ったが、ついに判明しなかったらしい。その謎の歌人作に、次の一首があった。

「美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻」

1950年代までの日本で、シャンソンはある程度、洗練された趣味と知性の音楽を意味した。日本の歌謡曲やアメリカン・ポピュラーの対極で語られる音楽だった。そのこと自体には是非を論ずべき余地があるが、いまは措く。

ともかく、かつての日本でシャンソンは知識人、教養人の聴く音楽であり、その知的な音楽を代表する歌手がジュリエット・グレコだった。グレコを愛する教養人が住まいを失い、漂泊する空想のドラマを人々はホームレス歌人の歌に見た。

グレコの名前には、それほども一つの時代を象徴し、一つの文化を想起させる力があった。エディット・ピアフやイヴ・モンタンでは、そうは行かない。

グレコがそうした特別の存在になったのは、第2次大戦後、日本人が徐々に希望を取り戻しつつあった時期に出現した巡り合わせと共に、自我を貫いた独特の生き方のおかげと見ても間違いではないだろう。

戦後パリの新風俗の聖地だった1950年代のサンジェルマンデプレで、グレコが物見高いブルジョワの見物人と立ち回りを演じるニュースは、外国の事象に旺盛な好奇心を燃やしていた当時の日本にも盛んに伝えられた。それを通じて旧体制と異なる新しい文化、新しいモラルのシンボルというイメージがグレコに形作られていった。戦後の新しいシャンソンを代表する歌手は、日本人にとってグレコ以外になかった。

しかしフランスでは、彼女は長いあいだ異端の歌手だった。

セーヌ左岸に立てこもって中産階級とその伝統的価値観に牙を剥くグレコは、当然のことに悪名高い存在となった。無名時代のマイルス・デイヴィスとの恋愛が、悪評に拍車を掛けた。異人種と恋愛するグレコは、敬虔なカトリック教徒のフランス人にとって道徳と秩序を破壊する淫乱女以外の何者でもなかった。

悪名は海外まで轟き、53年にグレコがリオデジャネイロにツアーしたときはステージ上で全裸になるとのデマが飛んだ。公演は連日押すな押すなの盛況になった。

一方、フランス文化はなんでも肯定の日本では、グレコの真似をしてアフリカ人とカップルになることがパリの先端的な若い女性のあいだでファッションになっている、などというニュースが一種の羨望をもって伝えられた。グレコの人気、というより崇拝に翳りが出ることはなかった。

グレコは決してうまい歌手ではなかった。リズムの乗りは重く、表情はキメが粗く、歌い振りはぶっきらぼうだった。ファンはそのヘタな歌を媚びのない清潔な表現と讃えたが、それはまあヒイキの引き倒しというものだった。サルトルは彼女のファースト・アルバムに「グレコの喉には幾百万の詩がある、まだ書かれていない幾百万の詩が Gréco a des millions dans la gorge : des millions de poèmes qui ne sont pas encore écrits」との苦しい賛辞を寄せた。要するに未完成の歌だということだ。
1952年のファースト・アルバム
ただ、その粗っぽい歌にダイヤの原石のような無垢の輝きがあったことも否定できない。強い精神力に裏打ちされた生き方のもたらす輝きだった。

2016年に最後の日本公演を行ったとき、当時89歳のグレコは足取りもおぼつかないほど体力が衰えていたが、1時間あまりにわたって直立不動の姿勢で吠え続けた。それは歌というより、信条の叫びだった。グレコの精神性がステージ上に屹立していた。

彼女の影響がいかに大きかったかは、いわゆる "日本のシャンソン歌手" たちがほとんど軒並みぶっきらぼうな歌い方をすることからもうかがえる。ただし、彼女らの歌はグレコの精神性を欠いているので、ただヘタなだけである。

グレコ自身も1966年発表の『La Femme』でピークに達したあと突如スランプに陥り、坂道を転がるように歌手としての輝きを失っていった。不調を力ずくで克服しようと力み返り、ますます傷を広げた。以後、亡くなるまで本当の意味で復調したことはない。

だが1960年代前半の、もっともよかった時期の彼女は時として歌の神が憑依したかのような、異様なほどの魅力を発揮した。そのころ録音された下記3アルバムは、永遠に輝きを失うことがないだろう。特にマコルラン・アルバムに収録された「天佑のジャン」は、客観的な表現の中にそこはかとなく滲むノスタルジーが無類に美しい。
"Gréco chante Mac Orlan" (B77.933L)
詩人マコルランの詩による歌を集めたコンピレーション。61年から63年にかけてバラバラに録音された。ここにはフランス盤のモノラルLPを掲示したが、フォルテでの歪みが激しく、63年に日本で発売されたステレオ盤の方がずっと聴きやすい。なお、このアルバムがLP時代にステレオで発売されたのは日本だけで、フランス盤はCD化されるまでモノラルのみだった。
"Juliette Gréco à Bobino" (840.587PY)
1964年のコンサート・ライヴ。なぜか、今日までCD化されていない。03年に出た20枚組のCDボックスからも除外された。
"La Femme" (844.702BY)
ジャケットに見られるとおり、禁欲的哲学的な "実存主義のミューズ" から大きくイメチェンしたグレコ。日本でも発売されたが、収録曲はかなり異なる。フランスでグレコの代表的なヒットに挙げられる「私の服を脱がせて」が日本盤ではカットされた。音楽的には大して面白くない曲だから無理もないが。

10年前の映画『ゲンスブールと女たち』は、女性蔑視の傾向があったガンズブールの視点を採っていたから出てくる女たちは概して冷笑的に描かれていたが、グレコだけは別格扱いだった。

1960年ごろ、まだ無名だったガンズブールは作品を歌ってもらおうとグレコを訪ねる。緊張しきっていた新人ミュージシャンは居間で待つあいだ、飾り棚にあった高価そうなグラスを手に取り、そそっかしく取り落としてしまう。あわてて破片を拾い集める彼のそばに、いつの間にかグレコが現れて不思議そうな顔で彼を見下ろしている。黒いドレスをまとったその足は、裸足である。

グレコの個性的な在り方、そういう彼女にフランス人が払う敬意が端的に暗示されたシーンだった。

グレコは好調だったときよりも不調だった時期の方がはるかに長い。それでもなお彼女は、その誰にも真似の出来なかった生き方によってフランス文化に不朽の刻印を残し、そして去った。
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四季の危機

2020-06-29 | 文化
コロナ禍でさまざまな劇団やホールが経済的に窮乏しているとニュースは、すでに目にしていた。しかしその波が、四季のように、比較的に経営が安定していると見えた大劇団にまで及んでいるとは知らなかった。

こういうことは普通、みだりに公言すべきではないのだが、劇団自身がネットで窮状を訴え、クラウド・ファンディングの募集を公示している以上、オレも率直に連帯を表明する方がベターと判断した。何よりも、2002年の『マンマ・ミーア!』以来、長年にわたってお付き合いしてもらってきた恩義がある。

劇団四季の上演スタイルについては、一部で「古い」「新味がない」「役割は終わった」等々の評価を下す向きもある。オレも時に、あまりに生マジメな舞台作りに違和感を覚えたことがあるのは認めなければならない。

しかし、四季のオーソドックスな正攻法スタイルは、演劇上演の基本、あるいは王道というべきものだろう。何も、ここからすべてが育っていったというつもりはないが、蜷川もケラリーノも松尾スズキも三谷幸喜も野田秀樹も、四季と浅利慶太の楷書風の上演スタイルがあったからこそ、それぞれの個性が対照的に際立ったとは言える。

基本がなければ発展もない。

もしも四季が活動を停止することにでもなれば、それは1個の劇団の消滅ではなく、一つの文化の死を意味する。

四季は、ジロドゥーから米英のミュージカルまで、なじみの薄かったジャンルを日本に定着させ、レパートリー・システムと専用の劇場によってロングランを成功させるという前例のない興行形態を根づかせた。この劇団は、類例のないパイオニアなのだ。文化の創始者なのだ。

こういう存在の衰退に、手をこまぬいていてはならない。

演劇などエンタメに注力するよりは、まずワクチンの開発や医療現場にリソースを回すべきだとの考え方もあるかも知れない。しかし、文化なくして生きながらえて、人間が人間でありうるだろうか。
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ヨイショ感想文

2019-10-06 | 文化
新潮社と言えば、120年以上の歴史を持つ日本の代表的な出版社だ。海外でも信用があり、フランスのガリマールなどは、新作の見本を真っ先に新潮へ呈示すると聞いた。

その名門があろうことか、たかが1作家のために「ヨイショ感想文を求む」だとさ。手本として掲載した文例に曰く、「この作品は人生に必要なすべてをおしみなく読者に与えてくれる。知らぬ間に涙が頰をつたっていた。『そうか。この本と出会うために、僕は生まれてきたんだ。』」

気持ち悪っ。これ書いた人、書いてて死にたくならなかったかね。

当該作家(名前を挙げるのもケッタクソ悪い)の海坊主風ポートレートを入れたキャンペーン画像ってのがまた、ゾッとするほど悪趣味だ。

こういうキャンペーンを拒否しないモノ書きの神経が、そもそも信じられない。

この間、投稿されたツイートには「感動しました。読んでないけど」なんてのがあったそうだ。無名の読者の方が、文章の専門家よりもよっぽど気が利いてら。

もっともこれ、ひょっとしたら百田に対する新潮のホメ殺し作戦なのかもね。上記の例文、正気の沙汰とは思えないもん。まともな文芸編集者なら早晩、こんな三文作家には愛想を尽かすだろうし。
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