蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

文化抑圧

2019-09-27 | 文化
あいちトリエンナーレの補助金、不交付決定。

芸術はすべからく反権威反権力であるべきで、お上のカネなんぞ貰って紐付きになった日にはロクなことはないから却ってよかった、などと能天気なことを初めのうちは考えていたのだが、昨日のニュースに萩生田某が出てきて、ニタニタしながら手続上の問題、検閲じゃない、などと屁理屈をほざいてるのを見て考えが変わった。

輸出規制の強化は元徴用工裁判と無関係、とかいう説明と同じで、政府のこういう詭弁は常に国民をダマす狙いを裏に隠している。うっかり真に受けると、あとで飛んでもないことになる。

どんな風に飛んでもないことか、小田嶋隆の記事がもう一言も異議を挟む余地がないほど完璧に証言しているが、これを読むと秘密保護法が成立したときと同じレベルの焦燥感に駆られてしまう。

ホント、政府のやりたい放題ほっとくと我々日本国民はいずれ、現在の中国と同じ窒息社会に追い込まれると思うよ。

環境省が環境破壊にお墨付きを与えるための役所であるように、文化庁は文化抑圧のための役所であることがハッキリしたね。孤立無援の大村知事が痛ましい。
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改元

2019-04-02 | 文化
昭和が平成に変わったのは30年前だが、トシを取るとまるで昨日のことのようだ。あのときも今度のように全国的なお祭り騒ぎだったかどうか、その辺の記憶は定かではないが。

しかし、名エッセイストだった丸谷才一が軽妙な一文を朝日に寄せていたのは覚えている。当時の日本社会には、まだ悪口を楽しむ余裕があったから、丸谷が書いていたのも「平成」なる元号の悪口である。

いわく、「エ」の発音は大体において品がない。「ハハハ」と笑えば明朗闊達な雰囲気だが、「ヘヘヘ」は卑屈な追従笑いだ。「ハイ」の返事はきりっと締まっているが、「へえ」は軽薄でダラシがない……て具合に例証をいろいろ挙げて、極めつきは「例の気体」。

その「エ」の音(おん)が「平成」には二つも入っている。しかも、その他の音は「イ」だから、日本語の発音習慣でいずれ「ヘイセイ」が「ヘーセー」になってしまうのは目に見えている、「エ」だけの下品で軽薄な名前、云々の小文だった(記憶で書いているから原文どおりの引用ではない)。実際には、「ヘーセー」と発音する人はあまりいないみたいだけどね。

ああいうオトナの洒落た戯文は同調圧力が強まった昨今、とんと読めなくなったよなあ。日本社会の幼児化?

さて、今度のキラキラネームみたいな元号には、どんな方がケチ、もとい、論評を加えてくださるんでしょうね。これまで目にした中では、朝日のデーブ・スペクターのが一番おもしろかったけど(「日本にこだわるのなら、ひらがなにしてもよかったのでは?」)、やっぱりちょっと腰が引けてる。
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「語る 人生の贈りもの」

2017-11-10 | 文化
というコラムが朝日にある。それぞれ一家をなした人々の懐旧譚である。オレはこれが読みたくて朝日デジタルの有料会員になった。あまりにベタなタイトルは、ちょっとなんとかしてほしいけどね。

もっとも、いつもいつも読ませる話ばかりではない。タレントのそれは八方美人発言が多くて面白くない。学者や大学教授の回想なんてのも、大体言葉が形骸化していて詰まらない。

しかし、いま掲載されている柳家小三治師匠の思い出話は、最高だ。噺家だもの、話がうまいのは当たり前? 違うね。人格の問題だと思うよ。

どう最高かというと、話し方の品がいい。押しつけがましさがなくて、余韻がある。

この人、若いころはいなせなイケメンだったから、テレビにも盛んに出ていた。当時、沼津に行ったら、テレビで浮かれてないで、しっかり落語をやってくれと地元の若い芸者に釘を刺されたそうだ。

小三治師匠、その言葉が骨身に応え、以後、修行に精を出して真打ちへの階段を駆け上がっていった。

10何年か後、沼津を再訪して件の芸者をお座敷に呼ぼうとしたら、彼女はすでに亡くなっていた。宿を彼女の母親の経営する旅館に取ったのだが、翌朝、勘定を済ませようとすると女将に、そんなものいただいたらあの子に叱られますよ、と言われた。

で、師匠いわく、「つらいねえ」。

万感のこもる一言とは、このことだよな。

この人はまた、オーディオ・マニアとしても知られていた。音楽誌に寄稿したり、座談会に出たりしていた。オレなんか、落語より先にオーディオを通じて小三治の名を知ったぐらいだ。

そのころ読んだエピソードの一つ。

あるとき師匠が自宅でレコードを聴いていて、途中でトイレに立った。戻ってきて、ふたたびレコードに針を下ろしたが、あれ、音が出てこない。

よくよく見ると、カートリッジの針先がぐにゃりと曲がっている。

なんでだ、と訝りつつ、ふと気づくと、そばで遊んでいた幼い息子が半ベソかいてお父さんの顔を見上げている。師匠、それで一切を悟ったが、息子さんを叱りつけはしなかったようだ。

カートリッジやレコードプレイヤーはマニアにとって、命の次に大切なものだけどね。

子供は好奇心の塊だ。黒いお皿がくるくる回り出し、そこへ細い棒のようなものを持ってきて下ろすと、部屋中に音があふれ出る。お父さんが日々やってる不思議な魔法を、自分も試してみたくてたまらなかったのだろう。

そういう情景を、しゃべりすぎることなく綴った文章が、サラリと温かく闊達だった。80近くなった今の話しぶりと同じ。あのころの師匠は、まだ30代初めだったはずだけどね
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ピコ太郎

2017-07-12 | 文化
って、いまごろ取り上げるのもナンだが、すごいウィットのある芸人なんだね。今朝の朝日に載ったインタビューを読んで感心してしまった。

外務省のSDGsプロモーションに起用されたんだとか。

芸人がお上に取り込まれるのかよ、とか初めは思ったが、言い分を聞くとこの人、しなやかに機転を利かせながら対応していて、決して身売りはしてないよ。

いや、「感心」なんて言い方自体、上から目線で傲慢かな。でもまあ、トシ寄りの言うことだから。

トシ寄りついでに、も一つ開き直らせてもらうと、ピコ太郎って往年のトニー谷を連想させるんだよな。チョビ髭を生やした顔つき自体、似てる。

トニー谷が活躍したのは、第2次大戦後の混乱がまだ治まっていない時期だった。敗戦による自信喪失で人々はむやみにアメリカ様をありがたがり、カタコト英語を口にした(長嶋茂雄のしゃべり方に、その名残がある)。

トニー谷は、そういう戦後社会の風潮を敏感に掬い取っていた。「レディース・アンド・ジェントルメン、アンド・おとっつぁん、おっかさん」なんてギャグを連発した。「さいざんす」「ゴメンあそべ」等々、山の手言葉のパロディも盛んにやった。

トニー自身に風刺の意図があったかどうか定かではない。芸人の直感で、ふざけたギャグをバラ撒いていただけかも知れない。しかし、それらのギャグには、戦後日本の軽薄な欧米崇拝や、セレブ階級の偽善的マナーを痛烈に衝く毒があった。

そこで、大人よりはるかに感覚の敏感な子供たちに大受けし、その一方で、彼らの親たちには目のカタキにされた。のちに、オレたちはキリストより有名だと発言して袋叩きに遭うビートルズと同じくらいに。

その点では、ピコ太郎とトニー谷は根本的に異なる。英語を使ってもピコ太郎に風刺の毒は一滴もない。だから、お役所にも好まれる。

しかし、彼の生きている社会のいまを体現している点で、ピコ太郎もトニー谷と変わりない。

いま、トニー谷のような芸人が現れても決して人気は得られないだろう。SNS発信の大多数が示すように、いまの日本は同調圧力社会だ。批判的言辞、異端的行動はそれ自体、嫌われ、バッシングされる。正しかろうと間違っていようと、批判の対象外の人々からも。

秘密保護法が成立してもやがて忘れ、安保法制が成立してもやがて忘れ、そして共謀罪もいずれ忘れていくだろう社会が生んだ芸人。それがピコ太郎という毒のない瞬間芸の人なんだろうと思う。
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女子アナの英語

2017-01-20 | 文化
テレビ局の女子アナは英語を話せることが採用条件の一つらしくて、みなさん流暢におしゃべり遊ばす。特に報ステの小川アナ、いまトランプの大統領就任の取材でアメリカに行ってるが、ほとんどネイティブ並みだね。

しかし、しゃべり方がちょっと残念。ペシャッとひしゃげたような、黄色い鼻声でフガフガ話す。『真夜中のカーボーイ』って古い映画で、ダスティン・ホフマン演じるホームレスがやってたしゃべり方に近い。

あれじゃ、いくら立派なことを言ってても相手に侮られてしまうよ。

差別と取られて困るが、低学歴、障害、生活水準その他、さまざまな理由でコンプレックスを持つ人々は客観的に見て、多くの場合、妙に歪んだ不自然なしゃべり方をする。自信を持ってしゃべることが出来ない。そういうキャラをホフマンは、あのしゃべり方によって鮮やかに造型していた。

映画ならそれでもいいが、リアルではまずいんと違う?

アメリカ人は……って大体どこでもそうだが、中身より外見で人を判断する。頭より顔、心より身なり、話題よりしゃべり方なんだよな。

小川アナにコンプレックスがあるとは思えないが、英語を覚え始めたころ、嫌なクセが身についてしまったんじゃないかね。彼女は基本的に有能なジャーナリストとお見受けするから、今からでもしゃべり方のトレーニングを受けてほしいと思うよ。余計なお世話かも知れないが。
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