国立劇場で前進座の5月公演を観る。『鳴神』と落語ネタの『芝浜の革財布』の2本。断然『鳴神』がすごい。どうすごいって、プロットが全然ない……ことはなくて、一応あるにはあるが、どうでもいいような筋である。
ポイントは男の憤怒だ。女にだまされた男が恨みを全開にする。そのエネルギーの爆発だけでドラマが成立している。険しい山奥に華やかな振袖姿のお姫さまが一人で登ってきたり、若い修行僧が股ぐらから酒やタコを取り出したり、主人公の上人が美女の体を探りまくったり等々の脱論理なエピソードはすべて、この大爆発のパワーをいや増すためのお膳立てに過ぎない。
原典は17世紀末の古典だそうだが、古い演劇ってのはなんですね、近代劇の理念ってヤツをすっ飛ばして、起承転結そっちのけで突っ走るからダイナミックだよね。一筆書きの勢い(ちょっと違うか)。
観ていて、ロッシーニの『アルミーダ』を思い出してしまった。『鳴神』と対照的に、男に捨てられた魔女が怒り狂って復讐してやるぞとワメき出すまでを描いたオペラ。観てる方は、で、復讐はできたの? できなかったの? とか思ってしまうんだが、古典はそういう論理性を超越する。そこがぶっ飛んでいて痛快です。