蒲田耕二の発言

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「語る 人生の贈りもの」

2017-11-10 | 文化
というコラムが朝日にある。それぞれ一家をなした人々の懐旧譚である。オレはこれが読みたくて朝日デジタルの有料会員になった。あまりにベタなタイトルは、ちょっとなんとかしてほしいけどね。

もっとも、いつもいつも読ませる話ばかりではない。タレントのそれは八方美人発言が多くて面白くない。学者や大学教授の回想なんてのも、大体言葉が形骸化していて詰まらない。

しかし、いま掲載されている柳家小三治師匠の思い出話は、最高だ。噺家だもの、話がうまいのは当たり前? 違うね。人格の問題だと思うよ。

どう最高かというと、話し方の品がいい。押しつけがましさがなくて、余韻がある。

この人、若いころはいなせなイケメンだったから、テレビにも盛んに出ていた。当時、沼津に行ったら、テレビで浮かれてないで、しっかり落語をやってくれと地元の若い芸者に釘を刺されたそうだ。

小三治師匠、その言葉が骨身に応え、以後、修行に精を出して真打ちへの階段を駆け上がっていった。

10何年か後、沼津を再訪して件の芸者をお座敷に呼ぼうとしたら、彼女はすでに亡くなっていた。宿を彼女の母親の経営する旅館に取ったのだが、翌朝、勘定を済ませようとすると女将に、そんなものいただいたらあの子に叱られますよ、と言われた。

で、師匠いわく、「つらいねえ」。

万感のこもる一言とは、このことだよな。

この人はまた、オーディオ・マニアとしても知られていた。音楽誌に寄稿したり、座談会に出たりしていた。オレなんか、落語より先にオーディオを通じて小三治の名を知ったぐらいだ。

そのころ読んだエピソードの一つ。

あるとき師匠が自宅でレコードを聴いていて、途中でトイレに立った。戻ってきて、ふたたびレコードに針を下ろしたが、あれ、音が出てこない。

よくよく見ると、カートリッジの針先がぐにゃりと曲がっている。

なんでだ、と訝りつつ、ふと気づくと、そばで遊んでいた幼い息子が半ベソかいてお父さんの顔を見上げている。師匠、それで一切を悟ったが、息子さんを叱りつけはしなかったようだ。

カートリッジやレコードプレイヤーはマニアにとって、命の次に大切なものだけどね。

子供は好奇心の塊だ。黒いお皿がくるくる回り出し、そこへ細い棒のようなものを持ってきて下ろすと、部屋中に音があふれ出る。お父さんが日々やってる不思議な魔法を、自分も試してみたくてたまらなかったのだろう。

そういう情景を、しゃべりすぎることなく綴った文章が、サラリと温かく闊達だった。80近くなった今の話しぶりと同じ。あのころの師匠は、まだ30代初めだったはずだけどね
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