蒲田耕二の発言

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フランス人

2012-10-16 | 社会
パリへ行くと、日本人なら思いも掛けない仕打ちを受けてゾッとすることがある。カフェのウェイターは釣り銭をごまかし、タクシーのドライバーはメーターをごまかし、ホテルのコンシエルジュは宿代をごまかす。

そんなの、中国にもアメリカにもロシアにもあるじゃないか? そう、あるかも知れない。だが、フランスのそれはケタ違いだ。何よりも、ごまかしを指摘されても飽くまで否定し、果ては悪いのはそっちだと言い出す彼らの心根が他国とは違う。自分の非を絶対に認めない。そういうとき、フランス人の、特にパリジャンの荒んだ心をモロに見せつけられて、鉛を呑み込んだような気分になる。

あの国の人間は、絶えず他人の隙をうかがっている。他人の足をすくうチャンスを狙っている。だから、住民間の相互不信が日本やアメリカよりはるかに強い。同じ町内の隣人同士でも、心を許すことがない。他人にだまされまいと常に気を張っているから町には険しい空気が充満し、住民の心は荒み続ける。

こういう社会は、弱者に対して非情である。弱者に同情すると、他人に隙を見せることになるからね。老いを嫌悪し、病人を軽蔑し、身体的障害を嘲笑する。制度上、老人、病人、障害者の保護は手厚い。だが、市民の本心はそれと異なる。市民が弱者を保護しないから、制度が保護するのである。

フランスの国営テレビが、川島に手が4本あるように画像を加工し、原発事故の影響ではないかとコメントしたという。その報道を読んで、あの胸の中を寒風が吹き抜けるような感覚を思い出した。

フランスのテレビは去年も、ヒロシマ原爆の被害写真と福島原発事故の写真を並べて、日本は60年間復興していないと嘲笑した。あのとき同様に、これもジョークだ、表現の自由があると彼らは言い張るのだろう。

荒んだ心は、陰湿なジョークしか思いつくことができない。フランス人が文化的でエレガントで繊細だなどというのは、国家的イメージ戦略で作り上げられた虚像にすぎない。障害を嗤う醜さに対し、心がすでにマヒしているから、こんな悪趣味なジョークを平気で放送できるのだ。

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