女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

1972年の秘密女装パーティ@新宿 ①

2024年11月26日 | ★女装体験記
週刊ポスト 1972年4月14日号に「女装パーティ潜入ルポ」が掲載されていました。
いまから52年前です。
当時、女装はまったくのアンダーグランドでありました。
そのころに行われた女装愛好者の集まりはどのようなものだったでしょうか。
記事のコピーを入手しましたので、再録します。クラブの秘密パーティに記者が潜入したものです。


潜入ルポ 医師・会社役員・高校生・助教授が集まる女装パーティの痴態
15歳から68歳まで「愛好者」たちがみせた変身と恍惚の一部始終

とにかく「パーティ」をのぞいてみていただきたい。カクテルドレスの中年紳士、ミニスカートの青年、和服姿のでっぷり太った初老の男…。場内に流れる妖しいリズムにのって踊り、もつれ合う。目をそむけ吐き気を催すのはオクれている証拠か。なにしろ「脱自己」をめざす 果敢な試みなんだそうだから--。



化粧をするとボーっとなる
「私って子供の時から母の化粧品なんかいじって、いつも叱られてたの。女の下着つけたらどんなに気持ちいいだろうなんて、本気に思い詰めていたわ それでいっぺん女装してみたらもうやめられなくなって….」(会社員・22・クラブではカヨコと名乗る)
「鏡を見ながら化粧するでしょ。下地からクリーム、アイシャドウ、頬紅、ルージュ。ええ普通の女の人の手順よ。衣装をつける頃にはもうボーっとなっちゃって、下着がつっぱっちゃって、一度なんか帯を締め終えて ポンとお太鼓を叩いた途端、いっちゃったわ」「大学助教授・32・ユミちゃんが会員名」
<3月中旬土曜日・午後7時40分>
黒いレザー黄金のノッカーの扉をして一歩踏み込む。内部が暗く、数分--目が慣れると赤と紫のミラーボールが先着の会員(20人くらい)を照らす。いる、いる。和服の服装が9人、ミニスカートが3人、キラキラしたカクテルドレスが5人、男の服装そのままが4、5人。
手前のカウンターに腰を下ろすとセーラー服の子がスッと脇に座る。「新しい会員のかた?」
早速ビールを抜いてくれる。
「君いくつなの?」
「17よ。真弓って呼んで」
「マユミちゃんは、そいじゃ高校生?」
細い襟首から背にかけてのゆったりとクセのない長い髪。鼻にかかった声が甘い。
「僕、女装じゃないけどいいのかな」
「ええ、男の人が少ないから大歓迎じゃない」
全く調子が狂う。あどけないマユミちゃんをはじめ、掛け値なしのオトコばかりと途中で何度も自分で確認していないとオトコが不明になってしまう。
「お願い、離してぇ」
「かわいいね、僕とお話ししようよ」
隣のボックスで、黒のパンタロン、胸に白いリボン、赤いブラウスの子が嬌声を上げる。
「あの子なんて、名前?」
「エイコよ、大学生なの」
相手は財閥系のバンカーだという。バンカー氏がエイコを膝の上に抱きすくめ、ほおずりしている。
一方の隅では、白地に大輪の菊花模様の和装が、赤いミニスカートとしゃべっている。
「今日のカズヨさん、おきれいねぇ。ミニがすごくかわいい….」
「あーら、オリエさんだってお色気いっぱいよ。あたし、おねえさまにキスされたい」
カズコさん(会社員・28)とオリエさん(開業医・46)の粘っこいやり取りの向こうでは、着流し、薄いサングラスの中年男がカクテルドレスと抱き合って、熱い口づけの最中。音楽のボサノバがけだるく流れ….。

高校生から助教授、会社社長の女装マニアが「月一回、都内某所でマル秘パーティーを開く」という噂を聞き、僕はこの目で見たいとさる筋に依頼。やっとOKが取れて、指定の喫茶店(新宿三越裏・H)で呼び出しを待つことしばし。
かねて打ち合わせどおりの仮名で、店へ電話があり、そこから別の場所を指定される、という厳重なチェックぶり。
女装ファンなら誰でもOKとはいえ、入会には紹介者が必要で(「芙蓉クラブ」はマジメな女装ファンであることが第一条件)、秘密保持が厳しく守られている。
やっと指定のクラブ(新宿コマ劇場付近にあるビルの地下室。普段は普通のクラブ)にたどりついて、そこでまた2度目のチェックをされたのである。

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『女性としてすごす旅へのアドバイス@1993 』②

2024年11月24日 | ★女装体験記
静さんは鉄道マニアだったんですね。
いまから30年前、寝台特急が活躍していたんですね。
私も懐かしく思い出しました。

つづきです。

食事 
 おそば屋さんや喫茶店等は相席にならない程度に空いていないと入りにくい。ガラ空きも暇な店員の視線が気になるし。高級レストランでは絶対に相席にならず、席の間隔も広く他人と接近しないのがいいわ。
 一般的に和食の方が席と席の間隔は扶そうね。いずれにしてもテーブルマナーをきちんと守って、お行儀よく振る舞っていれば大丈夫よ。

身のこなし 
 私の声は男としては高い方だったけれども(過去形、声もトシをとるのよ)、やはり練習すればかなり女らしい発声ができるわ。高低よりも女らしい発声としゃべり方が大切。女らしく振る舞っていれば声が少し低くても平気。ただし、一朝一夕にはできないから、日頃から周囲の女性を細かく観察し研究しておくこと。近頃の若い女性はお手本にならないかな。テレビドラマ等の女優の仕ぐさを研究し、自分も役者になったつもりで練習してね。指先の表情なども大切なポイントと思うわ。行きずりの人とお話できると後で大きな満足感にひたれるわよ。

身仕度など 
 服装は少し頑張って上から下までコーディネートして、きちんと決めていれば、まず径しまれません。着替えも持っていければ楽しさ倍増。持ち物を軽くするために、化粧品等液体は総て小型軽量容器に入れ替えて持つ。海外旅行用品専門店には軽薄短小の品々、殊に化粧用品等女性関係の物がいろいろあるから、これらを活用することね。

旅への誘い 
 昔を思い出してみると、あたしもずい分緊張していたわ。それがかえって不自然に見えることはわかっていても、緊張するなという方が無理だったわね。まだ初心者だった頃、松江の街で夕暮れ時、通勤者の列の中に入って歩いてみたの、皆さん家路を急いでいるから誰からも無視されて足早やに駅に向かっていたわ。札幌の街も初めて歩いたのは夜だったわ。
 旅を重ねて今では我ながら大胆になったと思います。緊張しないためには、女らしさを演じる日頃の訓練と、いろいろな形の万一の場合にあわてない対応の仕方を自分なりに考えておくこと。
 あとは、今日は私は女ですよと思いつづけながら、ある程度開き直っていることね。誰でも初めは初体験から、いろいろ研究しておいて、お金が貯まったら、お休みをいただいて、貴女もいかが……

    出所 『くいーん 1993年12月号』

>今日は私は女ですよと思いつづけながら、ある程度開き直っていることね。
奥行きのある言葉です。
さすが女装旅行のベテランの静さんです。



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『女性としてすごす旅へのアドバイス@1993年』①

2024年11月23日 | ★女装体験記
おはようございます。
勤労感謝の日です。
晩秋の晴天がきれいです。
どこか旅にいきたくなりますね。
前回に引き続き、『くいーん』1993年12月号から女装旅行のお話を紹介します。
お書きになられたのは静さん。
女装旅行の大ベテランで、編集長さんが執筆を依頼したようです。


女性としてすごす旅へのアドバイス 

 エッ、あたしが書くの? 
 あたしは旅ばかりしているけれど、特殊な条件での旅だから参考にならないわ。
と辞退してみたものの、編集長さんにお会いしてしまえば断わりきれません。
さらに、紙面の制限がとても厳しいの。具体的な例でお話する余裕はないわ。

 旅のハウツーはその目的で道うんだけど、何せ、気苦労の多い旅ですものね。
 私の場合 あたしには悪い条件が多すぎると思っているのよ。もちろん家には内緒なのだけど事情があって、どこに居ても毎日家と交信しなければならないの。悲しい宿命だわ。だからホテルのチェックインは本名でないとダメ。
 一さい合さいを詰めたE亀戸店のロッカーの中にある重たい鞄は前夜、駅のコインロッカーヘ。
 元来鉄道マニアだから列車の旅。私の基地となるホテルヘ男装でイン。着替えて外出。翌日は日帰りの旅。といっても今は速い列車があるから、かなり遠くまで行けるわ。チェック・アウトも男姿なので同じホテルに二泊以上しないと遊んでいる時がないの。
 旅にはお金と暇が必要。私はこの点だけば恵まれているから、有利な点で不利な点を補っているわけよ。

ホテル 
 例外のない話はないけれど、一般的に高級シティーホテルはショッピングアーケードやレストランなどがあり、宿泊客でない人々も多数出入りしているから目立たないし、ルーム・キーを預けないで出入りするのには好都合。イン・タイムは早く、アウトータイムは遅い傾向もあって、雨でもホテルライフを楽しめるわよ。但し、いわゆる観光ホテルは全くダメ。小さいホテルほどイン・タイムが遅く、掃除係が遅くまで廊下を右往左往していて外出しにくいこともあるわ。

乗り物 
 特急列車等は座席が全員前向きだから気楽だわ。窓側の席に座ると通路側の客が景色を眺めながら至近距離で、横顔をじっくり観察してくれるかもしれません。自信のない人は要注意。トイレは性別がないわけだから、なるべく車内で利用しておく。
 近頃の寝台特急は個室があるから、車掌さんの検札が済んだら変身してロビー等で楽しむ。A個室なら室内に洗面台もあるわよ。
 ローカル線や地下鉄では混んでいても案外平気。空いている方が視線を浴びやすそう。でもラッシュアワーとなると、スリルも楽しめるけれど目的駅が待ち遠しい。それと注意するのは下校時間帯。女子高生の集団が最もイヤラシイ相手だわ。
 タクシーは声を克服できれば気楽な乗り物ね。

写真 
 セルフタイマーで苦心していると「撮ってあげましょうか」と声をかけてくれる人(老若男女)が意外に多い。カメラによっては、セルフの解除を忘れると相手もあわてるし、当方も「アラッ、セルフのままだわ。ごめんなさい」とかけより、顔と顔。指と指が触れるようにして解除することになるのでご用心。私も前のカメラの時やっちゃったけれど、これでバレたという気配はなかったわ。
 アベックを見つけたら「お二人で……お撮りしましょうか?」と積極的に声をかけて撮ってあげれば、その後で「私のもお願い……」と頼みやすくなるわ。これは私も毎度やっているの。写真は末永く楽しめるから放の思い出にぜひ。


 続きます




執筆者の静さん
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読者旅行記『一粒で二度美味い』②

2024年11月18日 | ★女装体験記
姫路ではホテルが取れなくて大変だった恵美さん。
なんとか切り抜けて、姫路城に向かいます。

5月3日。
てなことで、旅館を後にした私は、一路姫路城へ。今日も今にも振りだしそうな空。「いけずやなあ」。それにしても、さすがに人が多い。時期外れの修学旅行かしら。学生さんがちらほら。
「ちょっとそこのお姉さん,一緒に入らへんか」と声をかけられ、ついVサインで写真の中に入ってしまう私。「お姉さん、こっちも」とまた何処かで。私はきっと、彼らの卒業アルバムに載ってしまうんですね。
 姫路城を後にした私は、姫新緑で一路津山へ。信州の山並みのように、そびえ立つといった感じではないのですが、山間をぬって走る車窓からの風景は、中国山地独得な良さがありますよ。「今度皆さんも、きんちゃい」。列車にゆられること2時間。この日は、津山で一泊。

 5月4日、やっと晴れて、初夏の日差しが心地好い。駅のコインロッカーに荷物を預けて、市内をぶらぶら。8年ぶりに訪れる地は、思っていたほど変わってなく、素朴さを残していました。津山を後にした私は、姫新緑で本竜野へ。竜野は醤油の里と同時に、播磨の小京都と呼ばれた古い城下町。駅前のレンタサイクルで自転車を借りた私は、市内をサイクリング。良く晴れたせいか、日向はだいぶ暑くなって来ているものの、素肌にあたる風は、まだ冷んやりしていてサイクリングには最適。自転車に乗って明治、大正にタイムスリップした気分。醤油樽の前で写真を一枚。

「あれ、私何でハンドバックとカメラしか持ってないのかしら?。あっ‥ 津山のロッカー」。そしてまた一路津山へ。スゴロクをしている気分です。津山に着いたのは、3時を回っていました。もう帰りの列車を待つしかなく、ベンチに腰を落とし、うなだれていました。すると、一人の女の子が、足早に近寄って来ました。そして私を見るなり、「ねえ、男の人ですよね」といきなり。私は不意を突かれて言葉にならず、ただうなずくと、「やっぱりそうじゃ。いゃ~私、前からこうゆう人に会ってみたかったんやわ」。てなわけで岡山までの1時間半、質問の嵐。
 「性転換しようとは思わないの」の究極の質問に、「女性が好きだし、自分の子供が欲しいので、しようとは思わないけど、どうしても好きになってしまった女性が超レズで、男を受け付けなくて、でもお互いどうしても好きになってしまって、『お願い。ねえ、お願いだから、私のために女になって……』てせがまれたら、性転換してしまうかも知れません」て答えたら、飲んでたジュースを噴いてしまうほどうけていました。

 彼女とは、岡山の駅で別れ、新幹線で帰路に。ところが、ゴールデンウイークも終わりにさしかかっていることもあって、車内は超満員。途中乗ってきた子連れのお母さん。荷物に腰掛け、こっくり居眠りを始めました。子供がたいくつそう。そこで、持っていたパンフレットの紙で折り紙をして、遊んであげました。特に、紙鉄砲や、兜が気に入ったみたいです。ニコニコ笑って遊んでいたけど、彼の目に私はどう写っていたのかな。

 東京駅に、無事到着。とうとう最後まで、立ちっぱなしでした。こうして今回の女装一人旅も、無事幕を閉じました。天気にはあまり恵まれませんでしたが、旅先で出会った皆さん、暖かい方々ばかりでしたので、楽しく旅を終えることができました。心から感謝しています。

 今回で、女装の旅は5回目ですが、4日間全て女装で通したのは、初めてでした。終わった後、「もう女の子なんてなりたくない」て思ったのに、またすぐに…。
エピローグ
 カラオケもしたいし、大好きなプロ野球も見に行きたい。映画にも行きたいし、旅にも出たい。買い物もしたいなあ~。もちろん女の子にもなりたいし。
 でも、多忙な私には時間がない。さてどうする!?
 「え~い、女装でやっちゃえ!」
 というのが、そもそもの始まりです。皆さんも困った時は、趣味と趣味の組み合わせをやってみては。そこからきっと、何かが生まれますよ。(了)
               出所 『くいーん』 1993年12月号


この大沢さんの旅行記、自然体のところがいいですね。
そしてオープンマインドで旅で出会った人たちと気軽に話しています。
こうした肩の力を抜いた女装旅行記も大いに参考になります。






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くいーんの読者旅行記『一粒で二度美味い』①

2024年11月17日 | ★女装体験記
どうも私は男子が女装して「女性」として旅行することに魅かれるようです。
このブログでも、九州旅行、鬼怒川旅行、京都旅行と『くいーん』誌に掲載された女装旅行体験記を紹介してきました。
普段は男性として生活している人がまったく別の人格となって旅行する。
そのドキドキ感とそこからの体験や新たな気づきを得る。
こうしたことが好きなんですね。

ということで、今回も1993年の『くいーん』誌に掲載された大沢恵美さんの旅行記をご紹介します。
大沢さんはすらりとしたスリムな美人です。
ショートの髪形もお似合いです。
大沢さんは懐かしい大垣行夜行鈍行に乗って、姫路・津山など中国地方を女性として旅をしました。
読者旅行記『一粒で二度美味い』です。 『くいーん』1993年12月号に掲載されたものです。

「やった! 上がり」「おっと! またですかい。お姉さん強いね。あれ、そりゃないぜ。え? やだやだ、うそ!」
 と言っている間に、あれよあれよと大貧民への下り坂を転がり落ちて行く私(トランプの最中)。熱くなり、男言葉に戻ったり、女言葉になったり、一度大貧民に落ちた私に、容赦無く襲ってくる彼女達の弱い者いじめ。

 私、大沢恵美は、5月1日の夜から4日にかけての4日間、全て女の子で旅をしてまいりましたので、今日はその報告をさせていただきます。
 5月2日、0時7分、霧雨の降るちょっと寒いJR横浜駅の東海道線ホームから、大垣行に飛び乗った私。ちょっぴり不安。なぜってそれは、数日前に誤って切り過ぎてしまった髪の毛のせいです。すっかり男の子になってしまったため。気になる周りの反応。ところが、心配御無用でした。ほとんどの人が気付いてないみたい(ただ単に無視していたのかな)。混んでいるんで、皆それどころじゃないのかもね。ちょっぴり残念。でも、案外入れ替えが激しかった事もあって、茅ケ崎駅で座ることができました。やれやれ 一段落。安堵の気持ちとともに睡魔が襲って来て、不覚にも寝入ってしまいました。

ふと気が付くと、列車は静岡駅に到着した所でした。何だか団体さんが乗って来たらしく、戸が開くと同時に一気に騒がしくなりました。「あの、すみません。こちら空いてるでしょうか」と声をかけて来たのは女の子4人組。「え、ええ……」と答えるが早いか、荷物を網棚に乗せ、さっさと座ってしまいました。驚いた事に、私の前の席には、詰めて3人座ってしまったではありませんか。私は圧倒されて、窓際で小さくなっていました。彼女達には、向かいのボックスシートにも、男3人、女1人の仲間がいました。さて、皆で何人でしょう?。なんてことは、平成教育委員会でないので、さして重要ではありませんね。

本題へ戻ります。それから、彼女達はトランプを始めだしました。私がやりたそうな目をしていたのを察してか、入るように誘ってくれました。「シメシメ、気付いてないな」と思ったその時、仲間の一人が不思議そうな目をして見つめているのに気付きました。もう限界だと察した私は、とっさにウインクとVサインを贈ってしまいました。と同時に驚きと爆笑の渦。

 「えっうそ! 男の方なんですか。へえ! 似合ってますよ。足だって奇麗だし、その胸本物?」てなわけで、足は触られるわ、胸はもまれるわ、握手は求められるわで、しばらくは大変。トランプどころではありませんでした。でも、これがきっかけで、すっかり打ち解けられて、楽しい一時を過ごす事ができました。

 大垣から各駅停車を乗り継いで大阪へ。この日は曇りだったこともあって、梅田の地下街で軽いショッピングなどをしてゆっくりした後、向かいました。
「実は私の弟も女装願望があるみたいなんです」と打ち明けてくれたのは、姫路  に行く途中の列車の中で、知り合った女の子2人組みの内の一人。どうやら彼女、弟可愛いさに、幼い頃の弟にスカートを履かせてみた事があったそうです。弟さんは現在高校3年で、来春大学受験を控えているので、姉としてはとても心配な顔で、悩みを語ってくれました。私も当時は、弟さんとちょっと似た境遇でしたし、弟さんの今の状況が大体想像できました。そこで、彼女には、「今の所その程度なら、さして問題はないし、逆に問い詰めて、頭から止めさせたりしたら、かえっておかしい方向に向かってしまいますよ。聞けば成績も良いみたいなので、ここは一つ、お姉さんとしては、来春受験が終わるまで、黙って暖かく見守ってあげて下さい。そして、大学受験が終わった時に、優しい口調で問いかけてみては」とアドバイスして、クイーン誌の存在を教えてあげました。彼女素直にうなずいてましたけど、この時、皆さんでしたら、どう答えてましたか。 

 姫路駅についたのが、夕方の6時。
 大変! 何処も満室。泊まる宿がないが‥ 雨の降りしきる中、隈無く探して、 十数件目にやっと見つかる。ところが、これが旅館。旅館と言うのは、ホテルと違って大体がバス、トイレ、洗面所全て部屋と別ですよね。旅館の人は私が女だと思っているのか、案内された風呂が女湯だったのにはビックリしました。おまけに、仲居さんが食事、布団と、ちょくちょく見えるので、おちおち化粧も落とせない。結局、夜寝る前に、こっそりと洗面所へ行ってメイクを落とし、翌朝一番で、仲居さんが食事を運んで来る前に、メイクを仕上げました。(続く)


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女装しての京都ひとり旅③

2024年10月03日 | ★女装体験記
紘子さんは旅行記の最後をこう締めています。

 女装の理由は人それぞのよう。失意にあって、周回の現実がひっくりかえって欲しいという変身願望が私の場合。
 この三日間あきる程に女装に徹底すると、女装とは無関係に、この世の中の美しさ、素晴らしさ、人情の切なさを讃えている自分を発見している。
 祭り提灯のむこうの暗い空の深さの美しさを再び見出している私に、大丈夫かもしれないと安堵する。

 九時半、帰り仕度をして、バスの出る阪急ホテルに行く。雨は更に激しくなる。
 人の少ないロビーに腰を下ろし、この旅行を考えていた。
 この馬鹿げた旅は、成功だった。まるでドラマのように色々なことが起った。いつも少し遠慮しながら接した多くの人のほんの小さな触れあいから、優しい力が心にしみてきた。疲れて疲れてただ歩いただけなのに、まるで死の世界から帰還したような感動がある。

 第四日。明け方のバスの中で、女装している自分の姿がおもしろく、思えた。
 出かける前より、ずっと女性が身についてきたけれど、それは大したことではない。
 女性の部分も否定しない新しい人間に生れかわったような。
 そう、本当の変身に成功したような気がする。変身とは、女性に変ることではなかったのだ。
 ありがとう、皆さん。
            新潟 紘子


~女性の部分も否定しない新しい人間に生れかわったような。そう、本当の変身に成功したような気がする。変身とは、女性に変ることではなかったのだ。

一人旅は自分との会話を重ねる時間ですね。
紘子さんは素晴らしいことに気づきを得たのですね。


紘子さん


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女装しての京都ひとり旅②

2024年10月02日 | ★女装体験記
紘子さんは京都駅に戻ってきました。
季節は夏、京都の夏は暑いですね。

 再び、一人バスに乗り、駅へ帰ってくる。かなり度胸がついてきて、駅近くのそば屋に入る。本当は、レストランに入ったこともない初心者なのに。京都名物にしんそばを食べたいが、化粧くずれを恐れて、冷たい京風そうめんにする。店員は全くの素知らぬ顔。どうして大丈夫なのかしらと、鏡の中の顔をみつめる。
自分にはすぐわかる男の笑顔がみえる。若くない、美人でないのがよいのかなと、やや寂しい納得をする。三千院にゆかなかった分、時間があまる。仕方がない。荷物をロッカーから出して、宿泊予約してある新ミヤコホテルヘゆこう。

 チェックインの時間まで、ロビーの喫茶室に。大きくて立派なホテル。外は暑いが、ここは別天地の涼しさ。何故、こんなに暑い梅雨時の京都を女装して訪れる気になったのか。バカみたい。とにかく女性で通すしかない。ホテルの洗面室は、きれいで鏡も広い。化粧をチェックして、汗の臭い消しスプレーを使いに使う。
 一時。更に十分待ってから、フロントヘ。「……絃子様ですね。ありがとうございます。御予約承っております。……」
 と流れるようなサービス。心配していた女性としてのチェックインは、あっけなく解決。部屋はシングルだけれど、大きなソファもあって普通の二倍の広さはある。その上、一泊八○○○円は、東京とくらべると信じられない程、安い。空調もよく効く。思わずベッドの上に大の宇。

 ああ疲れた,昨攻からめ繋張感は大変なもの。気楽な姿に戻りたくなるが、下着一枚男物は持ってこなかった。気おくれしても逃げ場のないように、断念したのだけれど、やっぱり苦しい。
 スリップー枚で、鏡の前に立つ。「よくやるね、おまえは」と自分にむかって話しかける。顔もダメ、スタイルも悪い、若さもない。おまえは、一体何に狂っているのかい。ま、話せば長い。いいじゃないか。あと2日、頑張りましょう。
気をとり直して、シャワーを念入りに浴びる。それから、本格的に外出の化粧をはじめる。化粧には一種の魔力がある。自己流ながら、変貌してゆく過程にひきずりこまれる。女性の気持がわかる一瞬。

 その時、電話が入る。偶然知り合った京都の男性(Oさんという)から。これから、鞍馬山ヘドライブにゆこうという。ドキッとするが、OKしてしまう。不安なくせして、どうしてこう度胸がよいのだ。えーい、女の子。やるときはやるのよ。
 でも本当はドキドキがはじまる。何を着てゆこうかしら。
半袖のスーツに黒のハイヒール。ポリエステルの軽いスカートのすそを、くるくる廻してみる。何かの映画でみたような記憶がある。男性とのデートは、矢張りはじめて。妙に興奮するのだ。でもなかなかやってこない。一時間ちかくも、そわそわしながら待つ。待つ。うーん、待たせることにこれ程心理的効果があるとは、知らなかった。

 あらためてみるOさんは、背の高いなかなかのハンサム。彼は私の正体を知っているにも拘らず、ソフトな女性扱いは変わらない。かなり、女性の敵みたい。
 ダブルの洋服で、その上ベンツを運転してやってきた。なにか、あやしいな。でも、どういうわけか、話をしているうちに、こちらの方がわがままな女の子に変っていってしまう。こら、絃子。しっかり者が売り者のおまえにしては、おかしいじゃないか。

 車は、祭でわいている街中を巧みにさけて、鞍馬山を目ざす。
日中の暑さが落ちついてきて、山中は冷気さえ感ぜられる。あちこち走って鞍馬寺の山門に歩を進めた時は、もうほの暗くなっていた。
 山門から中に入ると、石段を登りながら、大声で声明を唱えている男性に出あう。ろうろうと響き渡る男声は素晴らしく心に沁みた。杉木立の間からわずかにダークブルーに変わりつつある空がみえる。夏には、写経の会が一般の人に開放されて行なわれる旨の表示があった。宗教が、 いや仏教が一般の人に密着していることを目にするのは、とても快い。さすが京都なのかしら。下りの階段に、ヒールをひっかけてよろけてしまう。と、腕が延びてきて、しっかりエスコートされる。

 今は体温で暖かくなっている人工乳房がソフトにいつまでも圧迫されると、妙に 頭がしびれてきた。男性の腕にすがれるというのは、女の良さだナと思う。胸がズキンとする。
 それから、貴船神社までは上の空の状態でよく覚えていない。貴船神社は、まっ暗になっていた。わずかな灯りで、それとわかるかえでの木の下で腕を組むと、とても幸せな気分になる。

 一寸待て。うますぎるではないか。紘子はプレイ派ではない筈。いいのか絃子。
 目をさませ。辛うじて帰りの車中で自分をとり戻す。それにしても、○さん、貴方はうますぎる。プロではないかと思ったら、恐くなって、目がさめてきた。ホテルまで送ってもらって、別れたけれど最後まで紳士を捨てなかった。新米女装者は自分にも恐くなった。心理的には、完全に女性になってしまうことがあるのだナー本当に。こわい。

 本当に恐いのは明日の夜も会っていただけませんか、いいそうになった自分の心だ。男性に甘えられるということは、快くあまりに魅惑的なこと。化粧をおとし、シャワーをしっかり浴びても、顔が男に戻らない。私は大胆すぎる。

 三日目。朝早くから目がさめる,昨夜は結局、祇園祭にはゆかなかった。今日 こそ出かけよう。
ホテルで朝食をとる。その為にも、又々シャワーを浴びて化粧しなくては。
 昨夜の興奮がまだ尾をひいている。ボーイに導かれた席は、白人の外国人夫妻の隣。不思議なことに、英語で話す方が男女を意識しないですむ。しばらく京都や鞍馬の話のあとで、彼らは観光に出かけてゆく。
 ボーイとウェイトレスのサービスが、とてもよい。何度も食後のコーヒーを注ぎにきてくれる。平然と彼らのサービスを受け入れている自分に、自分で驚いている。
 半分、女性を意識しないで女性をしているのだから
             新潟 紘子
 出所 『くいーん』1992年4月号


まだ紘子さんの京都の旅は続きますが、引用はこのくらいにしておきますね。
私も仕事では何度も京都に行きましたが、駅前のビジネスホテルとクライアント事業所の往復で観光は全くしませんでした。
紘子さんの旅行記を読むと改めて観光しておけばよかったなと思います。


紘子さん

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女装しての京都ひとり旅①

2024年10月01日 | ★女装体験記
『そうだ、京都、行こう』
このコピーはJR東海が1993年から展開している京都観光促進キャンペーンのキャッチコピーです。
山手線の駅でみると、やっぱり行きたくなりますね。
コピーライターは博報堂の杉山恒太郎さんです。

新潟に住む女装子・紘子さんも京都に行きたくなりました。
それも女の子として....。
『くいーん』1992年4月号に投稿された紘子さんの京都旅行記をご紹介しま
6頁の大作ですが、今回は前半部分を掲載しますね。
おや、掲載日からいくと「そうだ、京都、行こう」キャンペーンの前ですね。

『3泊4日の京都ひとり旅』 (新潟  紘子)
 この道半年というのに、3泊4日の女一人旅を実行してしまいました。女装外出は地方に住む者には誰もが望んでいることですが、未熟であるが故の大胆さの結果をレポートしてみましょう。参考になればうれしいと思います。
 さて、3泊4日といっても、そのうち2日は夜行長距峻バスを利用していますから実際は1泊2日に近いです。初めての完全女装旅行ですから、最初から昼の汽車利用はとても気持ちの負担が大きいですし、夜遅く出発して早朝に帰る日程ですとうまくすると休暇をとらないですむ利点があります。

 第一日。夜10時30分出発にあわせて、夕方から準備をはじめる。免許証、キャッシュカードなど身分を証明するものは一切残してゆく。メガネ以外の男物は何一つ持参しないことにした。ともすると気が弱くなって男に戻りたくなることを拒否する為。

夜8時、念入りに化粧する。夜だからという気もするが、化粧の手技きをするほどベテランではない。黒地に白の水玉模様の袖なしワンピースに、白地のボレロを重ね、黒の夏物オシャレ麦わら帽子、白のパンプスと、中年の旅行好きオバサンをイメージする。15分前に出発点へ。次第にどきどきしてくる。大丈夫だろうか。同じバスの利用者が集まるにつれ、口の中が渇き、視線がどうしても下を向いてしまう。夜だというのに、ついサングラスをかけてしまう。

搭乗券のチェックが始まる。案ずるより産むが易し。荷物をあずけ、座席へ。29人乗りの大型バスは満席。座席はリクライニングで、隣とは通路をはさんで独立している。隣の女性は、早々にねむりはじめる。誰も周囲の人を気にすることはない。安堵のため息。暗い窓ガラスに映る自分にむかって、「さあ、肩のカを抜いて。もう後戻りできないのよ。貴女は紘子なんだからね」と、声をかける。雨粒が重なって、窓ガラス、紘子、顔がにじんでくる。

第二日。まんじりともせぬうちに、早朝、京都駅につく。
そう、祇園祭、京都、これが目的。
午前6時10分。まだ殆ど人のいない駅のトイレで着がえてから、お化粧を直す。
雨はあがって、暑くなりそうな空模様。午後一時のホテルのチェックインまでの間、大原の寂光院と三千院にゆくのが、午前中の予定。コインロッカーに荷物を入れて、サァー、紘子、レッゴー。

上下の白づくしの夏物に、黒の帽子とサングラス。ハンドバッグにでカメラだけの軽装で、大原行きの始発バスを待つ。どこもお店は開いていない。用意したサンドイッチを口にする。意外なことに落ちついている。ふーん。結構やるじゃない。

定期バスの一番前に席をとる。見晴らしは良い上、地元の人達の乗り降りを見るだけでも楽しい。途中、並走するトラックの運転手にじっとみつめられるが、ニッコリすると安心したような顔となる。

三千院には、今迄二回来たことがある。観光客のいない早朝、静かな三千院の木々の間にふりそそぐ陽光は金色にみえて、心をゆさぶる。今回は、例の平清盛の娘の巡礼門院のついのすみかとなった寂光院が主目的。

終点、大原まで約一時間。おだやかな山村の風景が広がる。寂光院はバス停から歩いて十五分。バス通りを中心に三千院とは反対側の山懐に抱かれるようにあった。小さいけれど、素晴らしい建物と庭。石段を登りつめたところの山門から、山の傾斜にあわせて庭がある。寂光院からみると、三千院ですら豪華にみえてしまう。歴代の尼憎たちの信仰した地蔵尊のわびしさが尊くみえる。女性として参拝すると、昔の人々の心が伝わってくるよう。

 ところで、始発で来たというのに私の前に既に観光客がいる。自家用車という  手があったのを忘れていた。3組の老夫婦と京都の青年と私。この八人を本堂に  入れて、寺の方が一五分程、話をしてくださる。しめ切った暗い本堂のタタミに正座しての快い緊張感。開放されて外に出ると、女一人の私は目立つのか、色々な方が話しかけてくる。困る。
 「お一人ですか」
 「ええ」
 「どちらからですか」
 「新潟」
 「大原ははじめてですか」
 「いいえ」
 「前にも来られたことがあるのね」
 「ええ」
 「寂光院も?」
 「いいえ」
 イエスとノーの笞を続けているうちに、段々腹がすわってくる。
 「鞍馬へ行ったことがありますか」
  一組の老夫婦の案内をしているという男性が声をかけてくる。
 「いいえ、でも是非行ってみたいと思っています」
冷汗が背中を流れる。もしかして、わかっていて声をかけているのではないかしら。逃げ場もなく、グループのようになって石段をおりる。三千院への道で老夫婦に別れを告げ、バス停に戻る。三千院には行きそびれてしまった。





紘子さん

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前から欲しかったロングブーツな手に入れて履いてみたくて久々の外出

2024年09月30日 | ★女装体験記
『ひまわり』1994年1月号にむつみさんの投稿とお写真が掲載されていました。
むつみさんとはどこかでお会いしたかもしれません。
(またはネット上のお写真かもしれません)
ボーイッシュでスリムなお姿が印象的です。
今回はロングブーツを買ったうれしさでの外出ですね。
お似合いですよ。

 読者の皆さん始めまして、〇〇むつみです。初めて「ひまわり」に写真を送ってみました。この写真は紅葉を見に行ったときのです。
 実は前から欲しかったロングブーツを手に入れ、それを履いてみたくて久々の外出をしました。
 ブーツを履いて歩いているだけでうれしくってたまりませんでした。
 子供の時に新しいクツを買って貰ったときと同じ気分かな。
 外で写真を撮るのは今までもありましたが、三脚を立てて自分の写真を撮っている姿は目立ちます。ましてや、それが女?となるとなおさらです。通りがかった車からへんな視線を感じることがしばしばでした。そのせいか、緊張してほとんどの写真の表情がカタイんです。写真はやっぱり撮ってもらうのがいいですね。その方が表情がもう少し柔らかくなる気がします。セルフタイマの前で独りポーズをとるのはかなり空しい。
 私は住んでいるところの問題で、外出は簡単には出来ません。外出するときは深夜や早朝に出かけるか、外で変身してます。この写真の時も車の中でお化粧と着替えをしました。
 どこかでお会いする事があればよろしくお願いします。


ひまわり誌はモノクロ写真でしたが、AIソフトを使ってカラー化してみました。

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女装心理の一断面

2024年09月27日 | ★女装体験記
『くいーん』20号の読者投稿欄「くいーんひろば」に掲載された千春さんの体験記です。
内容的にもかなり際どいものになっています。
(暴力的なシーンがありますので、不快感を感じる方は読み飛ばしてください)
実体験か、創作が入っているかはわかりません。
女になって絶望的な窮地に立たされる。
その時の千春さんの心理は......。

女装心理の一断面

 数年前の秋の事でした、千春は女装して夕方外出し、夜遅くなって帰宅の途中、住宅街の淋しい道を急いで歩いていると、後方からきた一台の乗用車が近くに寄ってきて、乗っている男の人から、声をかけられました。
 附近に人影は全く見当りませんので、返事をしては却って面倒になると思い、  相手を無視して黙って歩いていましたら、突然、車の座席から、二人の男の人が出てきて、千春をいきなり抱きかかえ、あっと言う間もなく千春の身を後部座席へ抱き込んだのです。
 運転する者も含めて、男達は三人でした。後部座席で二人の男に狭まれて、真中に座らせられた千春は、両手を後手に捻じ曲げられて押えられ、抵抗出来ないままに、左右から胸のふくらみや、内腿のつけ根を揉みほぐされたのです。
 「いやーん、止めて!、お願い!」と、思わず悲鳴をあげたのですが、忽ち私の紅唇は右側の男の分厚い唇で、べったりと塞がれてしまいました。ねっとりとした男の舌が千春の口中深く差し入れられ、まるで軟体生物の様にうごめいて私の舌に縮みついてくるのです。
 男の生温かい唾液が、舌から舌へぬるぬると流れ込んできました。
 執拗にディープキッスを強いられ、身をいたずらされて、千春はもう恐怖で生きた心地もしませんでした。
 車が暫く走ってから、私は知らないマンションの一室に、力ずくで連れ込まれました。
 もう絶体絶命となり、千春は勇気を出して私は女装者で男なのだと告白し、許して下さいと泣いて謝ったのです。
 彼等三人は吃驚して怪しみ、その内の一人が私の股間へ手を差し入れて、ガードルの上から私の男のものに触れて、男であることを確認しました。
 千春はこれで許して貰えるものと思ったのですが、三人が異ロ同音に「お前みたいな、器量よしならオカマでも良いから抱いてやること言い出したのです。
 私は必死で哀願したのですが三人の男に、手取り足取り素裸に剥かれ、ベッドの上に仰向け組み敷かれて、操り人形の様に手足を自由自在に操られ、あられもない破廉恥な痴態嬌態を強いられて、ロ淫、肛姦、シックスナインその他の淫虐な変態セックスや猥せつプレイで、三人の男達からかわるがわるタライ回しに輪姦されたのです。
 千春は犯された処女の様に、激痛に呻き、ヒーヒー泣き叫んで、全く狂乱状態でした。
 羞恥と屈辱に打ちのめされ、肛陰に大怪我を負わされて、漸く解放された脳のですが、その時の暴行を受けた苦痛の中での、めくるめく様な女性快感が、今でも、わが身の心の奥底に秘められていて、女装すると脳裏に蘇えるのです。
 女装したからといって、観念的には男の人に身を抱かれたくはないのですがあの時の愛してもいない、行きずりの男達にムリヤリ肌身を犯された時の妖しい感触が、どうしても忘れることが出来ないのです。
 女装男子の倒錯した性の哀しい業とでも言うのでしょうか、それとも肉体が女性化した私だけの異常なのでしょうか。
       千春

出所はくいーん 20号



千春さん

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