承前です。
作家の梶山季之氏のことはほとんどの方がお知りでないでしょう。
昭和30年代から社会派小説の先駆者であり、性を真摯に取りあげた作家です。
ポルノ小説家と言われていますが、それだけではなかった梶山季之氏の幅広い活動はこちらをお読みください→★
以前にこのブログで金髪人妻のミシェルが浣腸で苦しむ小説をアップしました・
いまは非掲載にしていますが、もうひとつ梶山季之氏氏は「青い旋律」(梶山季之)でゴムフェチストの長浜昭彦の行動を書いています。
長浜昭彦は、新しい楽しみを得た。
一つは、むかしのように、オムッをあて、その上にいろいろと重ねて、用心のため女学生のブルーマーを穿き、散歩に出かけることである。ヱンパィャ・ステート・ビルの満員のエレベーターの中とか、レストランの中などで、素知らぬ顔をして小さい方を漏らすのである。
最初それを試みた時は、ドキドキした。
息を詰め、ちょっと力を入れて、チョロチョロッと漏らしはじめた時の、あの犯罪者のようなスリルよ!
昭彦は、その素晴しさに恍惚となり、ポーッとなってしまうのだった。
オムツを当て、重武装しているから、大丈夫だとは思うものの、ズボンにまで沁み出すのではないか......と考えると、はらはらもする。
しかし一度、漏らしはじめたものは、もう止まらない。生暖かいものが、次第に尻のほうへと伝わってゆく。オムツが吸い取ってゆく濡れた面積がわかる。
<音が問えないかな?>
<匂わないかな?>
と周囲の人々を見廻す。
腰のまわりが濡れてゆく。
歩きだすと、生暖かいものが、遂に漏れて、太腿を伝わりはじめる....。
その時の感触が、たまらないのだった。
昭彦は、次第に大胆になる。
ティファニーの女店員と、ショーケースを間にして会話しながら、チョロチョロと漏らし てみたり、地下鉄に乗って、わざと白人娘の前に佇み、彼女の顔を注視しながら、お漏らししたこともあった。
雨の日――それはゴム・マニアの彼には楽しい日である。
レインコートや、ゴム長靴を堂々と身につけられるからである。
ナイロン・パンティの上に、パンティ・ストッキングを穿き、ゴムズロースとブルーマーを穿く。
そして、たとえばバスの停留所で傘をさしながら、バスを待つ女性に話しかけながら、ゆっくり漏らす。
それはパンティからストッキングを伝わって、ゴム長靴の中へと流れ込んでゆく。雨の日だから、少し位、ズボンが濡れていても、人々は気づかないのである。
アパートに帰り、鏡の前に立つ。
「まあ、どうしたの? こんなにジュクジユクに濡らしちゃって!」
「また、我慢できなくて、お漏らしをしたのね! いけない子!」
などと、鏡の中の自分に話しかけながら、異臭のするものを、一枚一枚、剥いでゆく時…彼は必らずエレクトしたのだった。
もうーつの愉しみとは何か?
――浣腸である。
昭彦は、その指揮者のように、浣腸して外出する勇気はなかった。
あと始末が大変だからである。
その代り彼は、自分でーつの、マゾヒステイツクな遊びを考案したのだった。
それは貴婦人が、浣腸され、立ったまま我慢し切れなくなって、
「ああ、もう漏れるわ!」
などと口走りながら、遂に漏らしてしまう...という構想になっている。
彼は、女装するための道具を買い、アパートの壁に十字架をつくった。
鏡に向かって化粧し、カツラをかぶる。
そして浣腸する。
紙オシメ、生理帯、ゴムズロース、ブルーマーなどを穿いたあと、踊り子の穿くような網目のストッキングをつける。
ブラジャーをつけ、 スリップを着て、ハイヒールを履いたあと、彼は十字架の裾にとりつけた鉄鎖で、足枷を施すのだ。
そのあと、十字架の横木に両腕を廻し、仕掛けのある革手錠で、両手首を固定するわけである。
..間もなく激痛が襲ってくる。
はじめは、しばらく時なおいて、じわーッと痛みが押し寄せる。
「お前たち....侯爵夫人である私を、こんな恥しい目に遭わせてよいのかい!」
彼は、声色を使って、辱しめられている貴婦人を演ずるのた。
「ああ....お願い。お金なら、いくらでもあげる。トイレに行かせとくれ!」
痛みは、間断なく訪れだす。
「ウーム、苦しいわ.....。お前たち、主人の私に、こんな苦しみ、辱しめを!」
「痛いわ。辛抱できない! 誰か! 誰か来て!」
「助けてくれたら、私の貞操だって上げるわ! お願い、トイレに行かせて!」
「ああ、もう駄目!」
「あたし、死んじゃうから!」
「ああ、神様!」
声色を使いながら、女装した彼は、額に脂汗を浮かせ、顔面蒼白となりながら、恥しい音と共に、みるみる紙オシメを濡らしてゆくわけである。
自分で、自分を虐める、いかにも芸術家らしい浣腸プレイではないか.......。
梶山季之「青い旋律」(集英社文庫刊)から引用
あれぇ、電子ブック化されていなんかなぁ?
作家の梶山季之氏のことはほとんどの方がお知りでないでしょう。
昭和30年代から社会派小説の先駆者であり、性を真摯に取りあげた作家です。
ポルノ小説家と言われていますが、それだけではなかった梶山季之氏の幅広い活動はこちらをお読みください→★
以前にこのブログで金髪人妻のミシェルが浣腸で苦しむ小説をアップしました・
いまは非掲載にしていますが、もうひとつ梶山季之氏氏は「青い旋律」(梶山季之)でゴムフェチストの長浜昭彦の行動を書いています。
長浜昭彦は、新しい楽しみを得た。
一つは、むかしのように、オムッをあて、その上にいろいろと重ねて、用心のため女学生のブルーマーを穿き、散歩に出かけることである。ヱンパィャ・ステート・ビルの満員のエレベーターの中とか、レストランの中などで、素知らぬ顔をして小さい方を漏らすのである。
最初それを試みた時は、ドキドキした。
息を詰め、ちょっと力を入れて、チョロチョロッと漏らしはじめた時の、あの犯罪者のようなスリルよ!
昭彦は、その素晴しさに恍惚となり、ポーッとなってしまうのだった。
オムツを当て、重武装しているから、大丈夫だとは思うものの、ズボンにまで沁み出すのではないか......と考えると、はらはらもする。
しかし一度、漏らしはじめたものは、もう止まらない。生暖かいものが、次第に尻のほうへと伝わってゆく。オムツが吸い取ってゆく濡れた面積がわかる。
<音が問えないかな?>
<匂わないかな?>
と周囲の人々を見廻す。
腰のまわりが濡れてゆく。
歩きだすと、生暖かいものが、遂に漏れて、太腿を伝わりはじめる....。
その時の感触が、たまらないのだった。
昭彦は、次第に大胆になる。
ティファニーの女店員と、ショーケースを間にして会話しながら、チョロチョロと漏らし てみたり、地下鉄に乗って、わざと白人娘の前に佇み、彼女の顔を注視しながら、お漏らししたこともあった。
雨の日――それはゴム・マニアの彼には楽しい日である。
レインコートや、ゴム長靴を堂々と身につけられるからである。
ナイロン・パンティの上に、パンティ・ストッキングを穿き、ゴムズロースとブルーマーを穿く。
そして、たとえばバスの停留所で傘をさしながら、バスを待つ女性に話しかけながら、ゆっくり漏らす。
それはパンティからストッキングを伝わって、ゴム長靴の中へと流れ込んでゆく。雨の日だから、少し位、ズボンが濡れていても、人々は気づかないのである。
アパートに帰り、鏡の前に立つ。
「まあ、どうしたの? こんなにジュクジユクに濡らしちゃって!」
「また、我慢できなくて、お漏らしをしたのね! いけない子!」
などと、鏡の中の自分に話しかけながら、異臭のするものを、一枚一枚、剥いでゆく時…彼は必らずエレクトしたのだった。
もうーつの愉しみとは何か?
――浣腸である。
昭彦は、その指揮者のように、浣腸して外出する勇気はなかった。
あと始末が大変だからである。
その代り彼は、自分でーつの、マゾヒステイツクな遊びを考案したのだった。
それは貴婦人が、浣腸され、立ったまま我慢し切れなくなって、
「ああ、もう漏れるわ!」
などと口走りながら、遂に漏らしてしまう...という構想になっている。
彼は、女装するための道具を買い、アパートの壁に十字架をつくった。
鏡に向かって化粧し、カツラをかぶる。
そして浣腸する。
紙オシメ、生理帯、ゴムズロース、ブルーマーなどを穿いたあと、踊り子の穿くような網目のストッキングをつける。
ブラジャーをつけ、 スリップを着て、ハイヒールを履いたあと、彼は十字架の裾にとりつけた鉄鎖で、足枷を施すのだ。
そのあと、十字架の横木に両腕を廻し、仕掛けのある革手錠で、両手首を固定するわけである。
..間もなく激痛が襲ってくる。
はじめは、しばらく時なおいて、じわーッと痛みが押し寄せる。
「お前たち....侯爵夫人である私を、こんな恥しい目に遭わせてよいのかい!」
彼は、声色を使って、辱しめられている貴婦人を演ずるのた。
「ああ....お願い。お金なら、いくらでもあげる。トイレに行かせとくれ!」
痛みは、間断なく訪れだす。
「ウーム、苦しいわ.....。お前たち、主人の私に、こんな苦しみ、辱しめを!」
「痛いわ。辛抱できない! 誰か! 誰か来て!」
「助けてくれたら、私の貞操だって上げるわ! お願い、トイレに行かせて!」
「ああ、もう駄目!」
「あたし、死んじゃうから!」
「ああ、神様!」
声色を使いながら、女装した彼は、額に脂汗を浮かせ、顔面蒼白となりながら、恥しい音と共に、みるみる紙オシメを濡らしてゆくわけである。
自分で、自分を虐める、いかにも芸術家らしい浣腸プレイではないか.......。
梶山季之「青い旋律」(集英社文庫刊)から引用
あれぇ、電子ブック化されていなんかなぁ?