女装子愛好クラブ

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1977年、新宿歌舞伎町にいた白系ロシアの血を引く美少女?

2022年11月08日 | ★女装の本・雑誌
前回、松本富雄さんの『シーメールレッスン』を紹介したところ、読んでみたいという反応がありました。
ブログを書いていると、こうした反応はうれしいですね。
ということで、今日もシーメールレッスンです。
(ステッドラーの翌日はシーメールかい!と自分で突っ込む....)
1970年代後半のある夜、女も男も全方位外交の松本さんは新宿歌舞伎町にいました。
いまの綺麗な歌舞伎町ではないですぜ。
魑魅魍魎が跋扈する、それはそれはデンジャラスな地帯ですぜ。
そこで一人の美少女と出会うのです。


 いまから一七年くらい前のある日、ぼくは深夜の新宿・歌舞伎町をウロウロしていた。一人だった。
 新宿コマ劇場近くのゲームセンターで、一人の女の子に注目してしまった。フリル付きのワンピースを着た、フランス人形みたいにきれいな子だった。
 酒の勢いもあって、ぼくはすぐに彼女に近づき、提案した。
 「お茶でも飲まない?」
 彼女はすぐについてきた。そして同伴喫茶に入った。
 個室でキスの儀式を済ませたおと、白系ロシアの八分の一の血を引く、透き通るような顔に心配そうな表情をためて、彼女はぽくにこう訊いた。
 「怒らない?」
「うん、怒らないよ」
 と、ぽくは答えた。
 「あたし、プロよ」
 そのことは、うすうすぼくも予感していた。だって、深夜の歌舞伎町で美少女がぼくの声一発でついてきちやうなんて、まずありえない。
 「八千円」
 で、決着がついた。つまり下世話なことだけど、ぽくのサイフの中身から今夜のホテル代と明日の営業活動の諸経費等々を引くと「八千円」になる。現実はシビアだ。
 ホテルに入った。
 彼女の顔を、後頭部にまわした右腕で抱き寄せ、キスをした。うっとりと唇を離したあと、フランス人形は不安げな面持ちで、また言った。
 「怒らない?」
 えっ、まさか、と今度は心配になった。その七、八ヵ月前、淋病の第一回目の災禍に遭ったぼくは、もしかしたら、と身がまえた。
 「いいよ、怒らないから、なんでも言いな」
 と、半ばあせった。
 「あたし、男よ」
 ドピュー。
 彼女の発言は、完全に意表を突いてくれた。ぼくは美少女をまじまじと見返した。どう見ても、女としか見えなかった。現在ではニューハーフと経験豊富なぼくは、すぐに違いを選別できるんだけど、当時は初心者だったのだ。まったく信じられなかった。
 実証主義者のぼくは、フリル付きのワンピースを脱がせ、スリップを剥ぎ取った。背中に手をまわしてブラジャーもはずした。
 小さいけれど、並下くらいの女のオッパイが実存した。
 しかし、下腹部に視線をのばすと、ちっちゃなパンティから隆々と左横に顔を出した、彼女のペニスの頭の部分を確認した。
 ぼくは納得した。
 彼女はワンちゃんポーズをとって、”ぼく”を要求した。コンドームをつけてしたんだけど、初心者だったぼくは、お尻というイメージが強くて途中で萎えた。
 「めったにバックはさせないのよ」               .
 と、美少女は不満げに述べた。
 通常は太腿でしめつける素股や、手や口でするという。だが、そんなことを言われても、ぽくはアヌス慣れしていなかったのだ。
 しばらくして機嫌を直してくれたフランス人形は、彼女の通常のやり方で、してくれた。
 彼女とは1回きりだった。でも、その後も歌舞伎町でよくすれちがった。たいてい仲間のニューハーフと一緒だった。ぼくを見つけると、
 「お兄ちやん!」
 と、手を振った。ぼくも手を振り返した。一緒にいるぼくの友達からは、
 「あれ、誰?」
 と、そのたびに訊かれた。その白系ロシア八分の一の彼女も、一年ちょいくらいで、歌舞伎町から姿を消した。
 主よ、迷える小羊を救いたまえ。
   出所『シーメールレッスン』松本富雄著

うーん、内容が過激だな。
レギュレーションから外れるかな、という心配はおいておいてですね、シーメールレッスンが刊行されたのが1994年。ですから、ここから17年前というと1977年頃と推測されます。
1977年、女装子やニュー―ハーフという言葉はなく、女装はアンダーグランドだったのではないでしょうか。
性の達人・松本富雄さんでも知らなかったのですから。
いやいや、この本が出た1994年も十分にアンダーグランドだったでしょうね。

それから約30年、歌舞伎町も変わったけど、女装界も変わりましたね。



中古価格があがっています。
私が紹介したせいでしょうか.......ごめんなさい。
コメント
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