女装子愛好クラブ

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執筆しながら夢想するさまざまな「SM遊戯」には、実際に行うよりも大胆で、奔放で、飛躍的で繊細で、官能味が強く、生々しく快楽的である。

2025年03月08日 | ★女装の本・雑誌
承前です。
濡木痴夢男さんの『「奇譚クラブ」の絵師たち』には、奇譚クラブに寄稿する作家の姿が描かれていました。ほぼアンダーグラントのSMマニア雑誌ですから、さまざまな人がペンネームや仮名で原稿をかいていたとのことです。その寄稿者のなかのA氏を濡木さんは取り上げています。

映画の助監督を職業とするA氏が、「岡田咲子」の名で告白レズ小説を執筆するときには、自分自身が女になりきる。
身も心も「咲子」になりきり、その「咲子」になった自分が、女に責められる小説を、興奮し、欲情しながら書く。
小説の中で「咲子」を責めてくれる女は、むろんホンモノの女である。そしてその女は「咲子」、つまりA氏が日頃イメージする理想の美女でなければならない。

むくつけき大男が、深夜、一人で胸をゆすり、腰をくねらせながら、声に出して、「ああ、いや、いや、そんなにきつく縛らないで……ああ、でも気持ちいいわ、もっと、もっと私をいじめて、おねえさま!」などと泣きながら原稿を書いている情景を、どうか想像していただきたい。

私には、容易に想像できる。なぜなら、原稿を書いているときの私自身が、そうだからである。SMレズ小説を執筆中のA氏の姿を、私はすぐに自分の姿に置きかえることができる。その種の読物を書いている自分が、女になりきるというのは、自分の肉体までが女になり、女の性器、つまり膣をもっていると錯覚するところまでいく。
その、女になった自分の膣の中に、男性器が無理やり侵入してくる妄想を、実感とともに快楽として味わうイメージ力がないと、生きている被虐の女は描けない。

執筆しながら夢想するさまざまな「SM遊戯」には、実際に行うよりも大胆で、奔放で、飛躍的で繊細で、官能味が強く、生々しく快楽的である。妄想はほとんど無限に拡大し、展開する。
イメージの中では自分は膣をもつ女なのだが、現実に体についているのはやはり男性器である。その男性器を勃起させながら原稿を書き続ける。イメージの中では快楽は絶頂に達し、ときには射精にまで至る。
出所『「奇譚クラブ」の絵師たち』濡木痴夢男著

(際どい描写がありますが、引用部分なので私は改変することができませんので、原文のままでご紹介しています)

執筆しながら夢想するさまざまな「SM遊戯」には、実際に行うよりも大胆で、奔放で、飛躍的で繊細で、官能味が強く、生々しく快楽的である。
私も拙い女装小説に書きますが、まさにA氏や濡木氏と同様に夢想しながら、自分が女装した女やその女装者を責めさいなむ加虐性の強い男性になるという「女装遊戯」を夢想をしながら書いております。夢想の中で、女装者と男が絡む官能的なシーンを書いているとこれもお二人と同様に勃っていくのです。

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