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「宅墓」の続き

2020-11-04 09:35:48 | 日記
 先回、「宅墓」を紹介しました。納骨の仕方の一種で新しいやり方です。お墓に間違いないけど、家におけるお墓という意味です。小さいので、墓地につくる墓と比較したら、数倍の値段の安さも売りです。
 当然流行りになるから、新聞が取り上げるのです。その記事を読んだ人も、これまで知らなかったことに気づき、いい考えだとしてある一定程度は増えていくでしょう。
 現在は、納骨の仕方がいろいろあるので、「タック墓」がものすごくはやっていくとは限らないでしょう。

 わたしがなぜ「宅墓」の続きを書きたいと思ったかについてですが、やはり、納骨にこだわる日本人の遺骨に対する考えを再度考えてみたかったからです。
 わたしは島根県の奥出雲というほんとに田舎の出身ですが、高校3年生のときに曾祖母が亡くなりました。1960年代、昭和でいえば、30年代後半です。まだ土葬があたりまえの地域でした。土葬を行えば、遺骨の心配などありませんでした。一年経つと、棺桶と遺体が朽ちていくので、そこで初めて土地をならし、墓石を安置するのです。だから、墓石が一つしかない墓では、遺体を母性の横に掘って遺体を埋めるのです。そのまま一年経って墓石を移動させる場合もあるのですが、その墓石の下にも遺骨があるので、そのままでもよかったのです。
 子どもの頃、土葬のために土を掘っていくと、遺骨が出てくるのを見に行くのです。近所の子といっしょなのですが、怖いもの見たさで、実際に白骨をみたら、「キャー」といって逃げ出したものです。遺体を埋めた後、「火の玉」というか、リンが燃えるのも何回もみました。
 
 そういう時代に遺骨は何も問題になりませんでした。遺骨について考えたこともなかった日本人です。
 都市部は遺体を焼くことが早くから、近代以降に始まりました。遺体を焼くと、遺骨が残るので、拾うことになったのです。それを墓に納めるのをあたりまえのことにしたのですが、その墓の作り方が近代以前と違ってきたのです。新しい墓地を買い求めねばならなくなった高度成長期以降の問題となったのです。都市へ集まった人たちが、家族を亡くすようになったとき、墓地がなかったのです。霊園などがつくられることと重なっていき亜mす。お墓をつくるのをあたりまえにしたのです。
 そのあたりまえが、管理ができない、後を見てくれる人がいないなどの理由によって、墓そのものが問題になってきました。
 それなら、再度、お墓をどう考えるは、ある程度定着したと思います。新たにつくることを由としない人が出てきました。
 それなら、「遺骨」についても、再度どう考えるかを考えるかの時期にきていると思います。どんな結論かを急ぐのではなく、議論が必要です。遺骨をどう考えるかの議論が行われているとは思えません。まずは、「宅墓」がよいという前に、遺骨をどう考えるかという議論から始めたらよいと思いますが、いかがでしょうか。「宅墓」だって最後の見る人が亡くなったときにどうするのかは、お墓と同様問題になってくるでしょう。
コメント
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