さて、「丙午の ”ひのえ”って何?」という質問を中国人からされて答えられなかった私ー
日本人として、キチンと中国人に説明してやろうじゃないのお~!
と意気込んで、調べましたよ~。
まずは、干支についてえ~。
干支というのは「子丑寅卯・・・」の十二支しか知らなかったんだけど、
本来は「甲乙丙丁・・・」の十干も含んで干支と呼ばれるのだそうです。
干支の始めは「甲子」。次いで「乙丑」、「丙寅」と続いて行きます。
名前の通り、十二支は12個、十干は10個存在し、12と10の最小公倍数である60個干支は存在します。
(60個の干支を見たい人はコチラ)
そして、今回話に出てくる丙午は干支の組み合わせの43番目に当たる訳ですがー
「丙」と「午」は五行思想的にあまり宜しくない組み合わせになるんだそうで、
陰陽五行(←中国の物)では、十干の丙は陽の火、十二支の午は陽の火となり、火性が重なることから、
「丙午は火災が多い」とか、「丙午生まれの女子は気が強い」等の迷信が存在しました。
また、中国の丙午山(へいごさん)の牝馬が雄馬をかみ殺すという中国の俗信が、
江戸時代初期に日本に伝えられ、「丙午生まれの女は、夫を尻に敷き、出世させない」という俗説まで追加され、
1683(天和3)年、八百屋お七の事件がきっかけとなって、丙午の迷信は根強くいきわたってしまったのです。
特に後者の「丙午生まれの女子は気が強い」という迷信は、
過去に日本の子供の出生数に大きく影響した経歴を持っていて、
日本の出生数の変移のグラフを見ればよく解るのですが、
前回の丙午の年(1966年)の所だけ出生数が異様に低いです。
日本の出生数⇒ (日本の出生数及び合計特殊出生率の推移)
この事を調べて、早速彼女に教えた私ー
私 「この前言ってた干支の話し、あれ、元は中国からだったんだよお~!」
中 「エエー! チュウゴクデハ ソンナハナシ キイタコトナイヨ?」
私 「もう、3百年も前に日本に伝わった事だから、あまりに古い話しで、中国では消えちゃってるのかもね。
でも日本では、その話しに尾ひれが付いて、ずっと言い伝えられてきたんだろうね。」
自分達が使っているものなのに干支の事をよく知らなかった日本人と、
干支の元を教えた国の人間なのに、その内容を知らなかった中国人ー
なんだか日本と中国の歴史の一部を見たような気がして、
彼女と私は、顔を見合わせてニッコリ~。
ま、丙午年生まれだからって、今時そんなに気にする事じゃないです♪
ちなみに、秋篠宮文仁親王の妃の紀子様だって、丙午年生まれです。(1966年9月11日生まれ。)
天皇の跡継ぎ問題の時、紀子様が悠仁親王をお産みになられた時は、同い年の友達と、
「流石は丙午年生まれよね!ここ一番って時に頼りになるよねえ~♪」と、
なんだかとっても自慢だったー
紀子様にとっては迷惑な話しだろうケド、でも、同じ丙午年生まれとして、
皇室の一大事を紀子様が解決したって事が、とっても誇らしかったんだよねえ~
☆今回の干支について調べていて、干支に興味が湧いて来た!
特に『陰陽五行』ってナニ?陰陽道みたいなモノ?安倍晴明?
という事で、私の好奇心の芽がウズウズ~
参考にしたサイト ・ 丙午 Wikipedia ・丙午について ・迷信丙午 ・干支情報サイト
日本人として、キチンと中国人に説明してやろうじゃないのお~!
と意気込んで、調べましたよ~。
まずは、干支についてえ~。
干支というのは「子丑寅卯・・・」の十二支しか知らなかったんだけど、
本来は「甲乙丙丁・・・」の十干も含んで干支と呼ばれるのだそうです。
干支の始めは「甲子」。次いで「乙丑」、「丙寅」と続いて行きます。
名前の通り、十二支は12個、十干は10個存在し、12と10の最小公倍数である60個干支は存在します。
(60個の干支を見たい人はコチラ)
そして、今回話に出てくる丙午は干支の組み合わせの43番目に当たる訳ですがー
「丙」と「午」は五行思想的にあまり宜しくない組み合わせになるんだそうで、
陰陽五行(←中国の物)では、十干の丙は陽の火、十二支の午は陽の火となり、火性が重なることから、
「丙午は火災が多い」とか、「丙午生まれの女子は気が強い」等の迷信が存在しました。
また、中国の丙午山(へいごさん)の牝馬が雄馬をかみ殺すという中国の俗信が、
江戸時代初期に日本に伝えられ、「丙午生まれの女は、夫を尻に敷き、出世させない」という俗説まで追加され、
1683(天和3)年、八百屋お七の事件がきっかけとなって、丙午の迷信は根強くいきわたってしまったのです。
特に後者の「丙午生まれの女子は気が強い」という迷信は、
過去に日本の子供の出生数に大きく影響した経歴を持っていて、
日本の出生数の変移のグラフを見ればよく解るのですが、
前回の丙午の年(1966年)の所だけ出生数が異様に低いです。
日本の出生数⇒ (日本の出生数及び合計特殊出生率の推移)
この事を調べて、早速彼女に教えた私ー
私 「この前言ってた干支の話し、あれ、元は中国からだったんだよお~!」
中 「エエー! チュウゴクデハ ソンナハナシ キイタコトナイヨ?」
私 「もう、3百年も前に日本に伝わった事だから、あまりに古い話しで、中国では消えちゃってるのかもね。
でも日本では、その話しに尾ひれが付いて、ずっと言い伝えられてきたんだろうね。」
自分達が使っているものなのに干支の事をよく知らなかった日本人と、
干支の元を教えた国の人間なのに、その内容を知らなかった中国人ー
なんだか日本と中国の歴史の一部を見たような気がして、
彼女と私は、顔を見合わせてニッコリ~。
ま、丙午年生まれだからって、今時そんなに気にする事じゃないです♪
ちなみに、秋篠宮文仁親王の妃の紀子様だって、丙午年生まれです。(1966年9月11日生まれ。)
天皇の跡継ぎ問題の時、紀子様が悠仁親王をお産みになられた時は、同い年の友達と、
「流石は丙午年生まれよね!ここ一番って時に頼りになるよねえ~♪」と、
なんだかとっても自慢だったー
紀子様にとっては迷惑な話しだろうケド、でも、同じ丙午年生まれとして、
皇室の一大事を紀子様が解決したって事が、とっても誇らしかったんだよねえ~
☆今回の干支について調べていて、干支に興味が湧いて来た!
特に『陰陽五行』ってナニ?陰陽道みたいなモノ?安倍晴明?
という事で、私の好奇心の芽がウズウズ~
参考にしたサイト ・ 丙午 Wikipedia ・丙午について ・迷信丙午 ・干支情報サイト