続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

東京大空襲

2012-03-10 23:25:27 | ひとりごと
月10日は67年前の東京大空襲のあった日です。
当時江戸川区に住んでいた私の家も跡形もなく焼けてしまいました。
夜中に起こされ寝ぼけまなこで外を見たら、大きな火の粉が家の前の通りを
どんどん飛んでいきます。両親姉三人、隣の家の小母さん子供たち三人、
総勢10人で避難しました。隣の家の小父さんは、満州に出征中で留守
を頼まれていたのです。
最初避難したところは神社でしたが、熱くていられなくて、そばの橋を
渡りました。橋の向こう側にはこちらに向かって避難してくる人が大勢
いました。興奮した馬がパカパカ駆け回っていたのが怖くて工場の軒下
にみんなで身を寄せ合っていましたが、ここも熱くて次は土手伝いに
川を下り、船堀橋を渡って無事熱くない所にたどり着きました。
橋は木造で私たちが渡り終わった後燃え尽きたそうです。私たちの後の
人たちは、川に落ちてしまったのでしょう。
母の従姉が船堀に住んでいたので、そこにしばらくお世話になりました。
隣の小母さん、Sちゃん、R子ちゃん、T坊は無事小母さんの実家館山に
帰りました。
昨年初めて神社、区役所に行って見ました。昔の地図に我が家の載っていました
大変な時間がかかったことでしょう。両親がなぜわざわざ逆の方に避難したか
不思議でなりません、小松川橋を渡れば、まだ田園地帯だったのになぜか?
区役所の戦災の語り部の方が、よくご無事でしたね、と仰っていました。
これからもあのころのことを思い心を引き締めていかなくてはと思った
二日後大震災が起きました。
食糧、水、おかげで慌てなくても自分のことは大丈夫でした。
近所の方、自治会の方、様子を見に来てくださってありがたいことでした。
あれからランタン、電池、寝袋、など買いました。
今度は家族も増えたことですし備蓄食料の見直しをしなければと思っています。