続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

東京大空襲

2017-03-10 17:44:43 | ひとりごと
今日は東京大空襲72年目になります。私は母に背負われて逃げました。
前の日には足を挫いてしまったいたのです。母は大変だったと思います。
わが家は両親、姉3人隣の家族母子4人合計10人で逃げました。
姉はお隣の4歳のリョウ子ちゃんを負んぶしました。
道路には大きな火の粉が飛んでいます。両親は私たちを神社の防空壕において、
一度家に戻りました。私は、行っちゃダメ~と叫んだことを覚えています。
間もなく二人は、戻ってきて、逃げることになりました。橋を渡って前方を見たら、
沢山の人がこちらに向かって来ました。
避難しようとした方から火が来ていたのです、その時馬がぱかぱかと駆けてきました。
馬に蹴飛ばされないよう軒下に隠れました。そして川沿いを下って、橋を渡りました。
木の橋だった船堀橋です。橋のたもとに男の人達がいて学校に案内してくれました。
その時母は従姉のことを思いだし屋号を言いました。間もなくおじさんが迎えに来てくれて、
その家にお世話になりました。みんな顔が真っ黒だったそうです。
私たちが橋を渡り終えて間もなく、橋は燃えてしまったそうです。
ほんの少しの差で私たちは助かりました。
大きな火の粉、物凄い風に吹き飛ばされずに、橋を渡りきったものです。
お隣のサダオちゃん、リョウコちゃん、トシ坊どうしているかしら。
6年前我が家があった所、神社を訪ねました。区役所の方が、私たちの避難経路を聞いて
よくご無事でしたね、と言ってくださいました。
なくなられた方々のご冥福をお祈りします。