東京大空襲の時私たちと一緒に逃げて無事
助かったお隣には、サダオちゃん、良子ちゃん、トシオちゃんが
いました。お父さんが出征したので、母子4人暮らしでした。
トシオちゃんは私はとし坊と呼んでいました。2歳ぐらいだったのかしら。
私が給食で残してきたパンを たちたち(お菓子) と待っていました。
ぼそぼそのパンで喉につかえそうで、食べるのが辛いパンでした。
食べないと叱られて、家に帰らせてくれません。
いつも3人ぐらいが、泣きそうにしていました。
最後は私です、上級生が掃除に来ます。早く食べろよ・・・
私は泣きます。しょうがないな~もう帰れよ、と言われて、パンを
袋に入れて飛んで帰ります。
家に着き店にランドセルを置いて、すぐにお隣のとし坊の家に
行きます。とし坊は たちたち~ と喜んで抱きつきます。
可愛かった。何回も泣いてパンを持って帰りました。
うるさいから早く帰らせろ、と言う上級生と、またこいつかと怒る
上級生がいても、ひたすら泣き戦術で乗り切りました。
しばらくしてその給食もなくなりました。
とし坊も可哀想でした。
とし坊はどうしているかしら、サダオちゃん、良子ちゃん、も
三人のお父さんは満州で戦死しました。
お父さんの実家にみんなで帰りましたが、その後のことは
分かりません。もうみんな75は過ぎているでしょう。
元気かしら。可愛かった三人でした。