続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

75年前の今日のこと

2020-08-15 12:51:14 | 忘れない
東京大空襲で焼け出された私たち一家は、焼け残った
空き家を借りて落ち着きました。
そこでも日夜、空襲、特に艦載機が怖かった。
おちおち寝ていられませんでした。
両親はどんな気持ちでいたのでしょう。父はどうせ死ぬなら
みんな一緒に死のう、と言っていたそうです。
8月15日天皇陛下の大切なお話がある。と言われました。
我が家のラジオは半分壊れていたので、近所のお宅に
みんな集まりました。私は白いブラウスを着せられました。
放送が始まっても雑音がひどく、お言葉は難しく私は分かりません。
お言葉が終わって、大人たちは泣いていました。お母さんに
抱っこされていた赤ちゃんがお母さんが泣いているので
一緒に泣いていました。
みんな本土決戦になると思っていたそうです。
家に帰り、父が終わったな、母がこれ以上空襲が続いたら
気が狂ったかも知れないと言いました。
私たちは本土決戦がなく命びろいしましたが、沢山の命が
失われました。その頃長兄が、ニューギニアで戦死したのも
まだ知りませんでした。
戦争が終わった、万歳!なん言っている人はいません。
喜んだ、万歳、と言った人はどんな気持ちの人
だったのでしょう。
あの日の空は抜けるような青空でした。今日は少し雲が
あります。
世界中の戦死した人たち、爆撃でなくなった人たちの
ご冥福を祈ります。
それにしても靖国神社に御親拝がないのが情けないです。