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続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

仙石線の思い出

2019-03-13 17:20:35 | 辛い
今から17年ほど前の頃石巻にいる次男の家から

電話が来る。息子が風邪を引いた、入院するので、来てほしい。

ママの実家のお母さんはお仕事、息子も仕事が忙しい。

私の出番です。夫は現役のバリバリ。

またかよ~、仕方がないでしょ~ 留守を頼みます。

新幹線で仙台まで行って、仙石線に乗り換える。

初孫ちゃんは、私に似て風邪を引きやすい体質のよう。

ぜんそくかも・・・夜は遅く帰ってくる息子にご飯を食べさせて

次に日はママと交替。こんな繰り返しを、何回したことかしら、

次の孫も風邪引き体質で入院、初孫ちゃんは私とお留守番です。


仙台から石巻までことこと電車に揺られて、うとうとして

乗り降りの学生たちの様子を見るのが楽しみでした。

榴岡 多賀城、宮城野原、苦竹、野蒜、松島海岸、蛇田、矢本、

自然に名前が出てきます。


まもなく次男は転勤で内陸の方へ住むことになって、

その時も入院で呼び出しが掛かってきました。

転勤して10年後に石巻は、津波の被害をうけました。

駅の前の立派なスーパーも美味しいお魚屋さんも、穴子の天ぷらの

美味しかったお店も、被害に遭いました。

病院まで行くタクシーの運転手さんも親切でした。

顔を覚えてくれて、小学校にあがれば丈夫になりますよ。

と励ましてくれました。うれしかったです。

みんなご無事でしたかしら。

仙石線ののどかな車内を思い出し、辛い気持ちと懐かしい気持ちが

重なります。








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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
地元に住む者としては・・・ (ケンスケ)
2019-03-13 20:00:46
嬉しいですね
仙石線の名前が出てきておやっ・・
俺も仙石線の駅のそばに住んでいるもんでね
仙石線の車両は今はどうだか?山の手線のお下がりでね
ドアーは自動でなくなり手押しで開けたり締めたりですね
俺も東京から来た時降りたいの開かないのには焦りましたよ・・・(笑)
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そうでしたか (続強子の部屋)
2019-03-13 21:01:01
コメント有り難うございました。
夫は高校生の時松島海岸に住んでいました。
結婚して鎌倉に行ったとき、砂が黒いな~と
言っていました。野蒜の砂は肌色だと言うので
仙台の実家に帰ったとき、子どもたちを連れて野蒜に行きました。
本当に綺麗な砂でした。民宿の女将さんも親切で
3年連続遊びに行きました。
奥松島も船で楽しみました。大鷹森にも行きました。
あのあたりは、津波の被害に遭ったのでしょうか。
なんだか次々思い出しました。
のどかな仙石線懐かしいです。
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