ゆり根を食べました。
暮れに北海道から取寄せました。
先ず卵とじです。美味しくて沢山食べてしまいました。
昔々母が甘く煮てくれたことがありましたが、
苦くて大人の味かなと思っていました。
池部良さんが、江戸っ子の倅 に書いていらっしゃいました。
お父さまの池部均画伯が、ゆり根を美味しそうに食べて
いらっしゃったので、お父さまが横を向いているとき
こっそり小鉢のゆり根をつまんでしまったそうです。
口に入れたときは、柔らかくて噛んだらとても苦かった。
軽妙な池部さんらしいなと読みました。
私も食べた時これがあの百合か・・・と思いましたが、
父は美味しそうに食べていました。
昨日は卵とじばかりでなく、薄味で煮てみました。
少しもほろ苦くなく、少しがっかりしました。
今は食用に口当たり良く改良されて、いるのでしょうか
とても美味しいのですが、あの苦みを懐かしく
思いました。我が儘です。
池部良さんは、軍隊でとても辛い体験をなさったそうです。
苦労知らずのお坊ちゃまでしたが、
幽霊のようになって生還なさいました。
映画の中の池部さんからは、分かりませんでしたが、
時々、哀しそうな目をした写真を見ました。
池部さんに無視されたと思った俳優が、
俺はソ連で苦労したんだ。
なんて言っていますが、池部さんの事を知らなかった
んでしょう。
あらあらゆり根から池部良さんまで来てしまいました。
ゆり根というと茶わん蒸しに入っているのしか食べたことがありませんが、お芋のような栗のような食感でおいしいです。(´∀`*)
昔のは苦かったんですか。
苦い物が好きな人だと今のゆり根は物足りないでしょうね。
池部良さん、、穏やかで優しそうな人という印象しかないです。
たくさんのご苦労があってそれを心の中に秘めていらっしゃったんですね。
奥ゆかしい方なのだと思いました。
池部良さって随筆が楽しいのですが、
所々に、戦争のことを何気なく書いています。
寒い満州に行って、輸送船で南方に行って、潜水艦に
沈没されて、海原を10時間以上漂って、着いたところがところがハルマヘラそこで守備をしていて、食料を米軍に爆撃されて、栄養失調で死ぬ寸前に、敗戦、やっと帰ってきたそうです。
そんな人に見えませんでしたね。
私の兄は海を漂って、その後ニューギニアへ 行かされてジャングルをさまよい餓死しました。
池部さんの随筆は笑い転げたり、しゅんとしたり楽しいです。是非読んでみてください。
私の姉は池部さんの大ファンでした。凄い人気だったそうです。
おはようございます。
ゆり根は苦いですか?
私大好きです。
最近は食べたことがありません。
小さい頃、病気になったら、ゆり根を卵でとじたものを母が作ってくれました。甘く煮てくれていたので苦いと言う記憶がありません。
母の暖かさと病気の辛さから苦みが薄れていたのかもしれません。
最近の記憶では、噛んだ後飲み込む前にほろ苦さを感じるようにはなっています。
今は亡き母のことを思い出させていただきました。
池部良さんの随筆にあるように、昔は苦かったです。
大人はほろ苦いと言ったのかしら。
暮れに北海道から取寄せたのは、全く苦くなくて
ちょっと拍子抜けがしました。
でも美味しいです。卵とじはおいしいです。
少し甘く煮たのも美味しかったです。
ゆり根は栄養があるそうです。
お母さまの優しい心が伝わってきました。
昔、結婚したばかりの頃に「おせち」用に甘く煮て作りました。その内に子ども達も喜ばないので、作らなくなってしまいました。卵とじはやった事がありません。美味しそうですね。
かつて毎日新聞で「池部良」さんのコラムが連載されていた時、引き込まれて読んだ記憶があります。でも、軍隊の時の話は知りませんでした。「池部良」さんも「高倉健」さんも素敵な俳優さんでしたね。
お節はゆり根、クワイも大人の味でした。
昨年スーパーでクワイを見て懐かしくて買いました。
とても美味しかったです。
取寄せお節のクワイより美味しかったです。
やはり少しほろ苦かったです。
池部良さんは、奥様のお怒りを受けて、スーツの
ズボンを半ズボンにされたそうです。
何着も・・・何をしたのでしょうね。