続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

台風の傷跡

2016-09-04 11:16:32 | ひとりごと
秋の気配なんて呑気に言っていましたが、まだ岩手では
孤立している集落があるとか、不安な気持ちで過ごしているでしょう。気がかりです。
私は小学生のころ、水害に遭いました。堤防が決壊したのではなくて、越水というもので
激流が迫ってくると言うものではありませんでした。私と姉、お隣の兄妹の四人で
母に言われた学校に行きました。その時はまだ水は足首ぐらいでした。
教室に入って、なんだか4人は興奮して、はしゃいでいました。だんだん人が増えて
やっと事の重大さが分かってきました。そのうちお隣の家族、母、兄が来て大変なことだと
分かりました。母が作ったおにぎりと、お隣の小母さんが焼いた、するめを食べました。
次の日、私と姉は祖母の家に行きました。お隣の仲良し兄妹とはしばしのお別れしました。
夏休みが終わって、水も引き、学校に行きました。みんな元気でした、久しぶりに会えて
喜び合いました。夏休みの宿題が流された、水浸しと言うことで提出しなくて良いと
先生に言われたのがのが、とてもうれしかった思い出です。
水浸しのあとかた付けは大変だったそうです。消毒をしたり、保健所の検査があったそうです。
私はその頃祖母の家で頃従弟たちの夏休みの宿題を手伝っていました。家が残っただけ幸せだと、
母は言っていました。

東京五輪1964

2016-09-01 11:33:27 | ひとりごと
素晴らしい秋晴れの日開会式を迎えました。
あの感激は忘れることがありません。あのころ小学生だった人、学校からみんなで
国立競技場に見に行った人、私のように家のTVで見た人、
TVがない会社の独身寮から、後輩たちがわが家へ毎晩見に来ました。円谷幸吉選手
依田郁子選手、東洋の魔女たち、皆で応援しました。懐かしいです。  
水泳の選手を紹介する放送も、どこかのんびり暖かい気持ちにさせました。
ファーガソンさん~、フレーザーさん~、キャロンさん~、~木原さん~、そしてハンガリーの
とても可愛い選手OOベリーさん、木原さんもがんばりました。
その後公開された円谷幸吉選手の遺書は、辛く切ない気持ちになります。
オリンピック楽しんできます。と言う選手も出てきました。世の中変わったのかしら。
でも今回はみんな素敵な選手たちでした。私の好きな入江凌介選手が、力を出し切れなくて
残念でした。間もなくパラリンピックが始まります、リオまで行くのに大変な時間がかります。
車椅子の選手は大変でしょうね、どうぞ選手の皆さん頑張ってください。