続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

サダオちゃん、リョウコちゃん、トシ坊

2017-03-14 16:21:23 | ひとりごと
お目目パッチリのサダオちゃん、静かな性格でお母さんそっくのリョウコちゃん
甘えん坊のトシ坊、一緒に大空襲を逃げ切った可愛いお隣の兄弟妹です。
どうしているかしら。お父さんは戦死しました。コックさんだったとか、
父が兵隊のご飯を作っているだろうから、無事に帰れるだろうなんて言っていましたが。
奉天で戦死しました。しっかり者のお母さんが三人を育てていました。私は三人が大好きでした。
可愛いい子たちでした。
特にトシ坊は可愛かったのです。一年生だった私たちの給食は、ぱさぱさのパンでした。
いつまでも喉を通らなくて、水ばかり飲んでいました。食べないと帰してくれません。
最後はいつも私です。6年生が掃除に来ます。パンを目の前にして、しくしく泣きます。
6年生は、こいつまた泣いてるぞ、片付かないから帰らせよう。と言うことで、パンを
持って家に帰えることが出来ます。そこで待っているのが、トシ坊です。 
私の顔を見て、 たちーたちー (菓子菓子)と言って騒ぎます。
私はランドセルからぼそぼそのパンを出してトシ坊にあげます。喜んで食べています。
給食は毎日ではなかったように思いますが、何しろ泣いて泣いて、6年生に迷惑がられても
トシ坊のために たち を持って帰りました。
どうしているかしら、可愛い三兄弟妹たち。懐かしいな。

大震災から6年

2017-03-11 17:15:51 | 怖かった
今日14時46分に黙祷しました。大変な災害でした。
あの日友人のMちゃんがお菓子を持ってきてくれました。玄関先でおしゃべりをしていたら
大きな揺れが来ました。私はダウンコート着てバッグを持ってふらふらして玄関に行きました。
Mちゃんは動く玄関の扉を抑えてくれていました。どうしたら良いか二人で玄関の柱に
しがみついていました。
揺れが治まって、Mちゃんは家に帰りました。長い揺れでした。北上市に住んでいる次男の家族が心配になり、
すぐにメールしましたが、返事はありませんでした。その後家の中はめちゃめちゃです。とだけ返信がありました。
後でわかったことですが、子供たちを学校に迎えに行き、帰ったらマンションが立ち入り禁止になっていたそうです。
一日目は車の中で、後は公民館にいたそうです。すぐに部屋に戻れたのですが、あと片付けが大変だったそうです。
都内に住んでいた長男は学校へ子どもを迎えに行くのが大変だったそうです。でも皆無事でした。
夫の従兄従妹たちは津波の被害に遭いました。命は助かりましたが、怖ろしい目に遭ったそうです。
夫が生きていたら、気を揉んだことでしょう。
元の生活に戻れない人たちがたくさんいます。どうか体に気をつけてくださいとしか言えなくて、申し訳ないです。

東京大空襲

2017-03-10 17:44:43 | ひとりごと
今日は東京大空襲72年目になります。私は母に背負われて逃げました。
前の日には足を挫いてしまったいたのです。母は大変だったと思います。
わが家は両親、姉3人隣の家族母子4人合計10人で逃げました。
姉はお隣の4歳のリョウ子ちゃんを負んぶしました。
道路には大きな火の粉が飛んでいます。両親は私たちを神社の防空壕において、
一度家に戻りました。私は、行っちゃダメ~と叫んだことを覚えています。
間もなく二人は、戻ってきて、逃げることになりました。橋を渡って前方を見たら、
沢山の人がこちらに向かって来ました。
避難しようとした方から火が来ていたのです、その時馬がぱかぱかと駆けてきました。
馬に蹴飛ばされないよう軒下に隠れました。そして川沿いを下って、橋を渡りました。
木の橋だった船堀橋です。橋のたもとに男の人達がいて学校に案内してくれました。
その時母は従姉のことを思いだし屋号を言いました。間もなくおじさんが迎えに来てくれて、
その家にお世話になりました。みんな顔が真っ黒だったそうです。
私たちが橋を渡り終えて間もなく、橋は燃えてしまったそうです。
ほんの少しの差で私たちは助かりました。
大きな火の粉、物凄い風に吹き飛ばされずに、橋を渡りきったものです。
お隣のサダオちゃん、リョウコちゃん、トシ坊どうしているかしら。
6年前我が家があった所、神社を訪ねました。区役所の方が、私たちの避難経路を聞いて
よくご無事でしたね、と言ってくださいました。
なくなられた方々のご冥福をお祈りします。


人魚のミイラ

2017-03-09 16:42:14 | ひとりごと
今日は朝は少し冷たい空気が漂っていましたが、風もなく穏やかでした。
お風呂場のお掃除を簡単に終えて、近くの国立民俗博物館に行きました。特別展 (見世物大博覧会)が
開催されていいます。なんといっても 人魚のミイラが見たくて・・・
見世物と言えば私のはしたない感覚で、浅草の見世物小屋の様子が浮かんできます。大きな板に血を塗って
オオイタチ なんて漫画の世界です。。
幼い頃浅草に行って見世物小屋の呼び込みのおじさんが、蛇女、熊女、なんて言っていました。見たいな~
ヤマガラのオミクジもやらせてくれない両親だから、見世物なんて無理でした。
そんな気分で行った歴博でしたが、見世物について詳しい解説でいろいろ勉強しました。私は見世物小屋の
事ばかり考えていました。実は、珍しい動物、軽業、細工物、からくり人形など沢山の見世物があったそうです。
動物園水族館もこの続きになるのかもしれません。
何しろ人魚のミイラは見たい  ありました。頭は猿尻尾は鮭で作られているそうです。
作り方も説明されていました。
最初はロシアから来て御利益のある有難い物として大切にされていたようです。
その後日本で作って幕末から明治にかけて、ヨーロッパに沢山輸出されたそうです。
野次馬気分で行った歴博でしたが。1700円の本を買ってきました。ゆっくり読んで勉強します。

小学校のクラス会

2017-03-08 16:31:58 | ひとりごと
今年も小学校のクラス会の知らせが来ました。小学校を卒業してから
毎年欠かさずやっています。我が儘を言ったり、喧嘩をしたり、兄弟姉妹のような
みんなです。亡くなった人も結構います。行かないと来年会えなくなってしまうかしら。
なんて考えたりしています。私は畳に座ることが出来ないので、今回欠席です。
座布団を重ねればOKだよなんて言われましたが、牢名主みたいだし・・・
電話で元気な声も聞けたし、相変わらずの賑やかな雰囲気を想像して、家にいることに
しました。
大学を出たばかりだった先生も、亡くなられました。とても優秀な人が北朝鮮に
帰国してしまって、消息不明です。お祖父さんお祖母さん、ご両親、兄弟の反対を
押し切って一人で帰国してしまいました。朝鮮国籍とは知りませんでした。
その人の名はコウイチくん。
何処かで無事でいますよう。祈っています。   
いい歳をして好き勝手におしゃべりしたり、飲んだりできる幸せを有難く思います。