コンクラーベ。「ダヴィンチコード」でも語られた10億人の信者を抱えるカソリック総本山バチカン内で行われている法王選挙。
グアテマラを尋ねた時が、復活祭を迎える時期。色んなミサに連れられて、ちょっと異様な雰囲気が漂う、違和感。カテドラル(大聖堂)は、紙と木の建物に住み、八百万の神々とつかず離れずの生活を送る私には余りな圧迫感。
以前も書いたけれど、右手に殺戮道具、左手に聖書の征服者たち。自分達の言語を否定され、スペイン語(ブラジルはポルトガル語)を強いられた人々が、征服者の宗教に改宗。そんな歴史を思うに、歓喜のトランス状態になってる彼等を見るに、複雑な感情を持ったものでした。
神は自分の心(脳みそ)にいるのに。私はいつも言います。
自分にとって自分以上の存在はない!って。そうなのよ。
どんな偉い人でも、神仏でさえ、個人にとってはナンバー2に過ぎないのよ。そこから、本当の解放が始まるのよ。増してや法王の存在をありがたがるなんて、ああた、自分を冒涜してるのよ。やんぬるかな!
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