亀戸駅から明治通りを南へ歩くと、「五の橋」の手前に休憩場があり、
「堅川河川敷公園、三代豊国・御渡亭園」の看板が目に付きます。
下におりると、「三代目歌川豊国の生地」の説明板があり、
「五の橋」下の壁面に「三代目歌川豊国」の作品、
浮世絵ギャラリーがあります。
「当世庭訓往来」 長坂のそば信州更科蕎麦所 五渡亭国貞(文化・文政頃)
「五大力五人切籠」 五渡亭国貞(天保四年1833年)
(天保四年中村座で上演された歌舞伎から)左は市川海老蔵、右は岩井杜若
「東宰府境内藤見え図」 喜翁豊国
(亀戸天神を描いた三枚続きの作品)
「松乃井」
「東都亀井戸天満宮」 香蝶亭国貞(文化十二年~天保十三年1815~42年)
(鷽替神事を描いた三枚続きの作品)
芝居絵「助六由縁の江戸桜」 三代歌川豊国(安政四年1857年)
(歌舞伎、助六由縁の江戸桜に登場する出前持ちを描いた作品)
芝居絵「桂川連理柵」 一陽斎豊国(嘉永三年1850年)
(歌舞伎の演目から取材した作品)
「梅の薫」 五渡亭国貞(天保四年~五年1833~34年)
(亀戸天神にあった茶屋「のきば」の三枚続きの作品)
左は三代目尾上菊五郎、右は五代目市川海老蔵
「亀戸藤乃景」 三代歌川豊国(弘化二年1845年)
(藤盛りの時の茶屋を描いた三枚続きの作品)
「皐月」 一陽斎豊国(弘化四年1847年~嘉永5年1852年)
(皐月の花を描いた三枚続きの美人画)
「暗の梅 臥龍梅」 三代歌川豊国(嘉永六年1853年)
(役者は初代中村福助)
蛍光灯の光が邪魔して見づらい箇所もありましたが、
管理が行き届き、素晴らしい、粋な美人画・役者画を、
気持ちよく見ることが出来ました。
「五の橋」を渡りながら、見ることが出来るギャラリーです。
三代目歌川豊国は江戸時代後期の浮世絵師で、
本名を角田庄五郎と称し、本所五ツ目(亀戸5・6丁目付近)
に生まれ、生涯亀戸周辺で過ごしました。
五渡亭・一雄斎・胡蝶桜・一陽斎豊国等多くの画号を持ち、
79歳で亡くなるまで、多くの作品を残しております。
墓所は亀戸光明寺にあります。
当社のHPはこちらです
http://kosei-hs.jp/index.html
「堅川河川敷公園、三代豊国・御渡亭園」の看板が目に付きます。
下におりると、「三代目歌川豊国の生地」の説明板があり、
「五の橋」下の壁面に「三代目歌川豊国」の作品、
浮世絵ギャラリーがあります。
「当世庭訓往来」 長坂のそば信州更科蕎麦所 五渡亭国貞(文化・文政頃)
「五大力五人切籠」 五渡亭国貞(天保四年1833年)
(天保四年中村座で上演された歌舞伎から)左は市川海老蔵、右は岩井杜若
「東宰府境内藤見え図」 喜翁豊国
(亀戸天神を描いた三枚続きの作品)
「松乃井」
「東都亀井戸天満宮」 香蝶亭国貞(文化十二年~天保十三年1815~42年)
(鷽替神事を描いた三枚続きの作品)
芝居絵「助六由縁の江戸桜」 三代歌川豊国(安政四年1857年)
(歌舞伎、助六由縁の江戸桜に登場する出前持ちを描いた作品)
芝居絵「桂川連理柵」 一陽斎豊国(嘉永三年1850年)
(歌舞伎の演目から取材した作品)
「梅の薫」 五渡亭国貞(天保四年~五年1833~34年)
(亀戸天神にあった茶屋「のきば」の三枚続きの作品)
左は三代目尾上菊五郎、右は五代目市川海老蔵
「亀戸藤乃景」 三代歌川豊国(弘化二年1845年)
(藤盛りの時の茶屋を描いた三枚続きの作品)
「皐月」 一陽斎豊国(弘化四年1847年~嘉永5年1852年)
(皐月の花を描いた三枚続きの美人画)
「暗の梅 臥龍梅」 三代歌川豊国(嘉永六年1853年)
(役者は初代中村福助)
蛍光灯の光が邪魔して見づらい箇所もありましたが、
管理が行き届き、素晴らしい、粋な美人画・役者画を、
気持ちよく見ることが出来ました。
「五の橋」を渡りながら、見ることが出来るギャラリーです。
三代目歌川豊国は江戸時代後期の浮世絵師で、
本名を角田庄五郎と称し、本所五ツ目(亀戸5・6丁目付近)
に生まれ、生涯亀戸周辺で過ごしました。
五渡亭・一雄斎・胡蝶桜・一陽斎豊国等多くの画号を持ち、
79歳で亡くなるまで、多くの作品を残しております。
墓所は亀戸光明寺にあります。
当社のHPはこちらです
http://kosei-hs.jp/index.html