台湾人と仲良しの中国人の金持ち同士が、日本の不動産について当社でヒソヒソ話をしていたり、ロシア人が借りていた店舗を仕事仲間のウクライナ人経営者が引き継ぐ交渉を当社でやっていたり、日本のメディア奴隷にはとても理解できない生の現実が、俺の関わる現場では普通の日常になっている。
戦争してる相手と? いがみ合って紛争が絶えない敵同士が? 俺の前では仲良くヒソヒソ笑い合っている。
テレビや新聞やネットの怪しい情報だけで解ったような顔をして生きてる猿の群れなど、社会の現場では単なる喰われる餌、死ぬまで目が覚めない方が幸せかも知れないね。
偉そうな政治家や大企業のトップに君臨してメディアには偉人・賢人だと褒めさせている連中でも、予約のとれない人気の飲食店になんとか予約を入れてもらえないか? とか、大学の教授やメディアでも有名・著名な連中でも、幼稚な我欲から無理難題を頼んでくる客も相変わらずに多いけんども、今の俺はメンドクサイからすべてお断りしている。
視聴者・消費者の側から見たら雲の上の人であっても、ただの猿回しの猿ばかりだ。
こうやって青山や銀座で40年近く周旋屋をやっているとね、店は小さく汚い骨董屋みたいになってはいるが、メンドクサイ頼み事は増えている。
人間は独りでいる時はみな神や仏に聖人君主となれるが、複数でつるんだ瞬間に邪悪な悪魔になって行く。
ならば最初から群れにはならず、常に独りで生きておれば差別も格差も生まれないし、あらゆる人たちが集まって来る。
俺が銀座の街で周旋屋を続けて来て大笑いしている訳は、そんなことさ。
借金・負債も無く、貸し借りも無い、敵らしい敵もおらずに常に一対一のサシで秘話。
ナニが楽しくて生きて居るの? こういうことを子供や若者たちに思われたら、もうその大人たちは終ってしまってると言っても良い。
増してや自分のことがナニも無いから、子供や若者たちに文句ばかり、偉そうな批評ばかり、あれは駄目これもダメそれもだめと否定ばかり、社会の癌でしかない。
お前らガキが知らないこんな楽しいことも、そんな愉快なこともあんな笑えることも、幾らでもあるんだぜ! と、先頭切って死ぬまで生きて見せてやることが大人の責任だ。
親の務めだとも言える。
・・・家族を養うために一生懸命働いている!!
これは裏を返せばゼニカネだけの為に生きて居る、見栄を張ってまわりと歩調を合わせる為に無理をして、と自分で言っているだけの惨状だろう。
金では買えないものは幾らでもあるが、ナニも知らないナニも興味がない自分も無い。
俺は66歳になるが、いまだに子供らには負けないくらいに忙しくって、そのうえ山や海で遊び惚けているから、子供や若者たちよりも元気に笑っている。
若い時分は貧しいことも多かったし、高速道路は使わずに下道だけで長野や新潟や福島の山に登りに出掛けるのが毎週の普通のことだった。
メディア奴隷のチンケな大人社会など、最初から興味も無いし、相手にもしてない。
良い人生を送って行くには、日常にどんな心持ちでどんな価値観で生きるのか? を先に作り上げるべき。
ゼニカネなんざ、自分の生き方が出来上がれば、幾らでも向こうから集まってくるもんなんだが、頭デッカチのお子ちゃまたちには解らないらしい。
石破も小沢一郎とおなじで血縁や子弟関係から採用された独立独歩の創業者ではないから、まわりが見えてないのと我欲と自己顕示欲が強すぎて、冷静冷酷な人間にはなれず、国家の舵取りには人物として無理だろう。
島国の政治家なんざその程度の人間しかいない訳で、代襲制度のような陰湿な世界だから、いよいよ顔も歪んで心も醜い妖怪ばかりになってるだろうよ。
昔から、偉人・賢人は野に居るものさ。
日本の国土の森林が占める割合は7割くらいだろうか、そのうちの3割くらいが国有林になっている。
戦時に要らなくなった猛毒・有毒な物質や、ベトナム戦争時に米側に供給する為に国内でこっそり製造していた猛毒・有毒な物質を、埋めていたりして人が近づかないように長い年月を放置して来ている。
こういう怪しい国有林を再開発するとナニが起こるのか?
そう、怖いお化けや恐ろしい霊が湧き上がって来て、地獄への扉が開いてしまう。
ということで、我々のような半世紀にも渡って山に関わって生きて居る者らは、決して近づきたくない山塊というものも知っている。
古くは龍が出る、大蛇が棲む、大ムカデが暴れる、ダイダラボッチやコロボックルが居る、そんな山々の伝説は日本各地にあるが、それらは山に眠る宝を独り占めしようと企む連中が吹聴した民話であったりもする。
近づくなと言われれば気になってしまい、結界に足を踏み入れると祟りがあると言われれば入ってしまいたくなる俺のような獣には、楽しい話の宝庫でもある。
ま~、それだけの話しか書かないが、気になる人がいるものならば、山登り山歩きを自分の足で始めてみるとエエで。
老いて来ると1か月先の話になっても、その時に生きて居るかどうか? を考えると笑うしかなくなる。
老いた者の思考や感情を理解するには、常に老いた者らとも生活をしてなければ解らないし、子供や若者たちの思考や感情を理解するにもおなじことだ。
現代の老人たちは自分たちの手で介護をキチンとやってなかったヘナチョコばかりだから、自分が老いて始めて戸惑ってしまい、自分の老いに振り回されている。
キチンと身近な介護をたくさん積み重ねて来た老人たちは、笑って愉しい老後を送っているが、身勝手な消費生活にうつつを抜かしていた老人たちは、笑顔が無くなってる。
若い人たちもそれを反面教師・教訓にして生きて行くべきだ。
老いて医療や薬や健康食品に振り回され、思うようにいかなくなった自らの身体に苛立ち不愉快な日々を送るだけの、哀れな老後しかなくなってるよ。
俺の90になる婆様は3人の身内を傍に付き添って生きて来たツワモノだから、ナニが起きても笑っている。
俺はもっと多くの高齢者たちに付き添っているが、いつも笑い話だけになっている。
老いてそれまでの生き方が大きな影響を及ぼしている現状を見ていると、ゼニカネで他人任せにしている現代の介護は、嘘だろうと解るさ。
忙しいとか、時間がないとか、大変だとか、お金がないとか言い訳は腐るほどあるが、それは恋愛でもおなじことで、大嘘でしかない。