地球の異常気象に合わせ適応することなく、人間界の習慣と規則を頑なに守ってる人類は、阿呆や。
この夏も極暑で、そんな中で激しいスポーツを当然のような顔をしてやってる連中には首を傾げてしまう。
俺は海に浸かって泳いで冷やし、高い山に登って心地よい風で生気を養っている。
いまの自分にとってこれ以上の無理はしない、それは他人と比較してではなく、いつも観察している自分。
身体に障害を負ってからは、その基準を下げている。
それでも健常者の日常の行動と較べても激しいと言われてるが、俺にとっては随分と基準を下げている。
地球や宇宙に従う、天皇や総理大臣を上に仰いで生きてる訳では、無い。
太陽や月のことはいつも眺めて感謝しているが、おなじ人間にそんな想いは決して持たない。
老若男女、みな平等、なんの上下も、無い。
小さな子供でもハッとするような発見があればお礼を言うし、先祖の墓の話ばかりする高齢者にははっきりと馬鹿じゃ~ね~のかと言い放ってる。
地震や豪雨や台風や、津波や噴火で大地は揺れ動くというのに、銀座の街では隣地境界線の2センチのズレで大喧嘩してる大人って、ドのつく阿呆や。
そんな銀座で30年近く周旋屋をやってる俺の身にもなってくれよ。
小さな小さな人間の群れが、小さな小さな物語を作ってると言えば可愛らしくて素敵に聴こえるかも知れないが、なんのことはない、ナマコとヒトデの三文芝居。
毎週、山の疲れがあるうちから、股割りを続けている。
息が上がって汗が滲むまで、一日トータル1000回くらいを目安に、なんども繰り返す。
これをやっておくと週末の山行が随分と楽になる。
大きく足を開いて、膝を揃えて、膝を回しながら、背筋を後ろに傾けながら、色んな形でやる。
還暦を迎えた身体は、強化というよりも維持することすら難しくなってる。
のほほんと親の資産をアテにしておったものが、ロクな結果にならなくなって、ゼニカネに血眼になってると、同じようなゼニカネに血眼になってる輩が寄ってくる。
俺のようなオヤジのまわりには、群れに惑わされず、ゼニカネには振り回されず、悠々と独自の道を歩いてる、頑固な変わり者ばかりが寄ってくる。
どう生きるか? それで関わり合う相手も随分と変わってくるもんだが、自分の日常は棚にあげておいて、素敵な関わり合いばかりを求めてるタコには、近寄ってくるものも茹でダコかタコ焼きくらいのもんだろう。