オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

変な風が、昨日から吹いているぞ

2018-08-17 09:41:41 | 価値観




 ひとりの人として、どう生き、どういう社会や他人との関わり方を持ち、なにが愉しくて生きるのか?
 自分自身の、生きてる意味を、しっかりと確認出来て日常を生きてる大人なんて、そんなにたくさんいやしないのがほんとうだ。
 ただただ時計の針に急かされて、他人や組織に急かされて、仕方なくロボットのように動いてるだけ。
 地球や宇宙とともに、生きる、これが出来るには、なににも拠らない自営しかない。
 ただガキの頃から自営を目指して生きて居らねば、チョイと組織人に疲れたからでは、自由な自営など出来るもんでもない。
 若い頃からその準備もナニもしてない奴らが、時間とゼニカネが手に入ったからとやる自営なんざ、サラリーマンの延長経営者でしかなく、なんの意味も無い。
 そういう自営業者も、腐るほどいる。
 オツムに自由さがまるでない偏った自由人を称するド阿呆は仰山おるが、学者や評論家、政治家なんかとおなじで、その偏向ぶりは吉本新喜劇並みに滑稽なだけ。
 ・・・良いこと言ってはおるがの、その日常生活の価値観は間抜けな神経質、やっぱり阿呆やな
 そういう偉そうな大人は特にメディアでは、素晴らしい扱いを受けて木に登っておる。
 専門家や、細分化、一芸に秀でてるだけで勲章を貰えた時代は、過去のモノだ。
 世界の今が、なにも見えてないことには、変わりない。

 登山や遠泳は、なにも別にたいしたことでもなく、日本人ならば普通に身についてる遊びだろう。
 いちいち教室や先生や、指南書やガイドブックなどなくても、誰でもガキの頃からやってて当たり前の遊びだ。
 その当たり前のことをやらない現代人が、エエ歳こいて遭難や事故を繰り返してるのも、お笑いか。
 
 ・・・あんたは相当に変わってるから、ナニを聞いてもオモシロイ答えが出て来る
 昔からよく言われることだけんども、近所の94歳になるビル・オーナーにも、昨日は言われた。
 そりゃ~そうだろう、自営で、自由自在に生きてると、こんなに突き抜けた日常を送るようになる。

 ・・・○○証券の、✖✖と申します!
 ・・・◇◇デベロップメンとの、✖✖と申します!
 よく飛び込みでやってくるけんども、
 ・・・あ~、要らね~、用はね~、とっとと帰れ!!
 それ以上のことは喋らない。
 押し売り並みにしつこい奴らもおるが、こちとら高度経済成長時に、不動産の飛び込みセールスで常にトップにランク・インしてたオヤジだから、それ以上の喋りをしつこくやっておったなら、痛い目に遭わせてやる。
 暴力ではなく、口先で・・・だ。

 ・・・NTT東日本代理店のぺけぺけコミュニティと申します
 電話のセールスで一番多いのがこれだが、NTTに苦情を言ってもなしのつぶて、別会社のことだから、って。
 ・・・オフィス用品のあべこべカンパニーです!! 今お使いのコピー機などの件で・・・!
 これも多いが、怒鳴って切ると無言電話を繰り返しかけてくる。
 ・・・いまどきさ、そんな古風な営業は流行らね~んだぜ
 横でそれを聞いてる奴らは、俺が暴力的で怒鳴ってるから、
 ・・・そんな風に言わなくても・・・
 あんたね、大事な電話を待ってる時に、そんなフザケタ電話がしつこくかかってくる身にもなってみろよ、だ。
 優しく断る、話は聞いてあげる・・・これを礼儀だと抜かしてるからこそ、俺のセールスはよく売れていた。
 素敵な間抜けの大行進。
 
 テレビやネットのコマーシャルでは素敵な風でも、やってる連中やバックはチンピラ・ヤクザに右翼、そんなの常識だろうよ。
 セキスイハウスなんざ、目黒で怪しい地面師に大損害被ってる癖に、テレビでは優しいCMのオン・パレード。
 どいつもこいつも、笑わしやがる。
 関わってる政治家の名前まで出してやろうかの??

 ニクソンと中国、ニクソンとソ連、ベトナム戦争を終結させたのもニクソン大統領だった。
 そのニクソン大統領の側近として仕えて、世界中を走り回ってた頭脳が、ヘンリー・キッシンジャーだ。
 いま、100歳を前にしても精力的で、トランプ大統領の黒幕として俄然光を放っている。
 当然、中国やロシアとも繋がりは深く、アメリカの時代の後、世界をどうするかについても構想がある。
 日本なんざ、その話の末席にも座れない安倍政権のまんま、従順な奴隷国家として未来も金魚の糞だ。
 政治の話だが・・・俺のような自由人には、あんまり関係ない。
 本来ならばこのキッシンジャーの懐に飛び込んで行く日本の政治家が居らん方がおかしい。
 だからいまでも日本国憲法の上には日米安保が、錆びついても在る。

 あらかじめ画用紙に、国家によって下絵が描いてあるものに、いろんな色を塗るだけで生きて居るのが普通の大人社会ならば、俺は白紙の画用紙に、最初から下絵無しで自分の思いつくままに絵を描いて生きて来た。
 あんたらが嬉しそうな顔して会話して居っても、俺にはあんたらのことはよ~く見えてるが、俺のことはな~んにも伝わってはいない、これがこの60年だったか。
 塗り絵の生と、ナニも無いとこから描き始めてる生、それは永遠に交わることはないんだろうか・・・。
 おなじ日本語を使って会話をしておっても、そのひとつひとつの言葉の持つ意味から違っている。
 高い山の頂で一服するとき、そんなことを考えたりもする。
 だから俺は言葉の必要のない女ばかりを、若い頃から愛して来てる。
 俺が自然の中で、社会で、その子供らを育てることで、生きてる意味を伝えてきたようなとこもある。
 学校や社会や爺婆とは違う、ホンモノの生を丸裸で、たくさんの事柄と一緒に、目の前で見せてやりながら身に付けさせる、これが俺の父親としてやってきてることだ。
 適当ではない、好い加減ではない、中途半端ではない、あやふやでもない、子供を育てることが俺の自己主張のひとつだとも言えるが、その張本人もまた誰よりも子供のまま生きて居るのかも知れない。