事務仕事・ややこしい書類作成で一日を座って過ごすことが多いと、夜に歩くようにしている。
昨日もそんな日で、雨もやみ、涼しい風が吹いておったから、銀座から江東区に入り、荒川まで2時間かけて歩いた。
2万歩弱だったが、しっかり汗をかいて、一日を終えた。
永代橋で隅田川を渡るとき、佃島方面が幻想的で、普段は人工のモノには興ざめするんだが、しばし眺めておった。
こういう景色を見ていると、飛び込んで俺の波を立てて泳ぎたくなるが、大きな取引を控えているのでやめといた。
契約ごとは終わっても、すぐには収入にはならないのが再開発のような大きな話だから、仕方ない。
ただしゼニカネなど興味の無いギャンブラーではある。
ゼニカネに振り回されないで生きるには、まず稼いでからのお話で、無いものねだりや負け犬の遠吠えでは意味が無い。
コロナな時代でも関係なく、稼いでも自分自身では持ち貯めることはせずに、いつも身軽に次へと向かってる。
山や海では紙幣なんざ、鼻紙くらいにしか使えない。
俺がこの不動産業の世界に足を踏み入れたのが40年くらい前になる。
不動産バブルの前の時代で、なんでもありの乱暴至極な世界だったが、当時の最初の営業の目標が年収1000万円超えだったが、今の不動産業の若い営業に話を聞くと、そんなにも貰ってないと言う。
10数年前の局地ファンドバブルでは、俺のまわりの自営やデキる個人営業は年収が億円の単位になっておった。
日本人サラリーマンや公務員らは、国家に騙されてると感じないのか?? 不思議なことだ。
40年前の収入レベルと、今も変わらない収入レベルで、借金や物価は上がっている。
俺なんかはあちこちで笑い話として話してる。
そんな何度も繰り返してるバブルを謳歌した者でも、その後に彼や彼女たちは、ほとんどが蒸発してしまってる。
文字通り、泡と消えている。
バブルというモノを何度もド真ん中で経験して来てると、じきに蒸発して消えてしまう人間が、ひと目見ただけで解ってしまうのも、オモシロイとこだ。
猿はすぐに木に登り、勘違いしてしまうのも、その人の生きてる価値観こそがバブルの泡、自分独自の生き方価値観を築けて無い猿では、散財するかまわりに利用されて終わってしまうのも、時間の問題だ。
踊りたい者には踊らせておけばいい。
じきに居なくなる奴とは、稼ぐ小道具にはするが、それ以上は関わり合わない。
言われるまで気が付かないではなくって、潰れるまで解らない、大人の世界とはそんなもんさ。
そもそも国家が作るバブルで儲けてるようなヒヨッコでは、夢は一時の夢。
自分独自のバブルを作って行くようになれば、一人前だろう。
さ、山に帰るさ、海に帰るさ、あとは野となれ山となれ。
真っ暗な奥山に行き、月明かりも届かない樹林の中から、ヘッドライトだけで山に登り始めることもある。
自分の影に驚き、自分の足音に怯み、自分のザックの木や岩に触れる音で肝を冷やし、暗闇に光る獣の眼光に立ち止まり、鳥や獣の鳴き声でギョッとする。
怪しい光や怪しい影、この世のモノとは思えない闇の森では、幽霊や霊魂を怖れる者の足は進まなくなる。
メディアでやってる肝試しなんざお子ちゃまの遊び、小心ションベン垂れには、暗いうちから山には登れない。
山は鳴り、風も鳴り、地鳴りのように足元を震わす荒れ果てた道を、ゆっくりと登って行く。
ナニが居るかも解らない、ナニが飛び出してくるかも解らない、ナニが起きるかも解らない、怖ろしい世界だ。
人の寄り付かない奥山の林で、自殺か他殺か、傷んだ遺体に出くわすこともある。
バラバラになった獣の身体が、喰い散らかされて散乱してる場所もある。
山は素敵なとこなんかじゃない、地獄とおんなじだ。
退屈な天国よりも、難儀で油断ならない地獄を選んだ者だけが、大笑いしながら歩き回ってる。
そうやって登った山の頂きから、絶景を見渡す訳だ。
昔から、銀座の近所の子供らには聴かせてやってる。
実話だから、そりゃ~下手な怪談よりも怖いだろう。
ナイトハイク、夜の山歩きに銀座の子供らをよく連れていっておった。
皆にヘッドライトを付けてやり、決して列を乱すな! と怒鳴って出発する。
時々に大声や奇声を発してやると、銀座の悪ガキどもは恐怖から動けなくなる。
・・・ションベンちびったか?? 大笑いしてやる。
獣の気配を感じると、立ち止まって、静かにさせて俺のヘッドライトでその方角を照らしてやる。
ギョロっとした赤い目が幾つも現れると、座り込んでしまう。
そんな遊びを経験させてやると、いつまでも俺には逆らわない。
怖ろしいオヤジになっている。
これが今の大人社会のチンケな現実だと、教えてやる。
悪魔か夜叉か閻魔にでもなれる人間でなければ、そんな遊びなど楽しく出来ないだろう。
静寂の森に、俺の叫び声が何度も木霊する。
ここに、俺がいるという証でもある。
獣たちは怖れ慄き、逃げ出して行く。
幽霊や霊魂など可愛い物語で、現実の世界にはもっと怖ろしいことがたくさんある。
そういう日常も、俺の日常ではある。
どうだ? 一緒についてくるか? 皆さんの言う、三途の川の渡し場で生きて居る。
酒や薬やスマホがなければ生きて居られないような現代人には、無理だろうな。
コロナごときばら撒いて、人類を管理しようなどと安易に考える成金猿どもには、出来ないことだ。
そういうオヤジやオバはんが、意外にたくさん生息している。
それがナニを意味するのか?
ミミッチ~日常にヨダレを垂らしている大人たちには、解らないだろう。
ほらほら、あんたのすぐ後ろで、そんな獣が笑っている。
よ~く見てご覧、目は笑ってなどなく、冷ややかに睨んでおるだけだ。