オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

夏山もエエが、そろそろ遠泳する 

2021-07-12 22:14:34 | 地球と生きる

 

 この20日間は、人間の世界の修羅場のことなら、だいたいはこなしてきている俺でも、初めての経験だった。

 愚かな日本人の社会は、相変わらずコロナだ、ワクチンだ、オリンピックだと、間抜けな騒動に夢中になってるが、そんな時期に? と、俺は人殺しのように言われていることも、知っている。

 92歳になる癌患者で認知な爺様と、86歳で口だけ達者な婆様と、この二人の荷物を3分の1くらいに減らして荷造りし、搬出を見届けて、飛行機に乗せて東京まで連れて来て、都会を見下ろす素敵なホテルに3泊させ、その間に銀座の店から歩ける古いマンションに搬入し、移動させる、認知の進行を最小限に留める為に、二人には俺ひとりが常に寄り添って、あとは長年に渡ってのイレギュラーな不動産屋稼業で築いてきた各方面の、性根の座ったプロ連中に現場を任せて一気に進め、ゆっくりと入居させる、それをやっておった。

 転入届けも出してない住所不定のホテルの2泊目に、爺様は激しい嘔吐に襲われて、死にかかったが、なんとか安静にして付き添い、医者にはかからずに知り合いのベテラン看護士やらの助言でなんとか持ち直し、その間に急いで転入手続きをして後期高齢者保険証も申請して、新居に入ったらまた動けなくなって死にかかり、救急車は呼ばずに車椅子に乗せて病院に連れて行き、そこでまた持ち直しと、凄まじい日々を過ごして居った。

 病院の転院もいくつかの症状に分けてやっと終えつつある。

 ずっと傍にいたせいなのか、安心したらしく、買い物にも杖をついて自分で歩いてついてくるようになり、俺の顔を見ると手を合わせて、手を握り、子供のような笑顔を見せるようになってる。

 その都度に、爺さん婆さんを抱き締めてやってる。

 酷かった認知が、高齢の引っ越しによってもっと酷くなるとは聞いていたが、田舎の実家の大量の残置物の処分・片付けと売却に向けて、それを予期して引っ越しのプロと弁護士や司法書士の古いベテラン連中にも待機していてもらったが、逆に認知が止まってるというよりも、なくなってしまった。

 穏やかな毎日が、笑顔とともに始まってる。

 この嵐のような怒涛のアクションで、それを同時にやってやろうと思っていたが、上手いこといっている。

 こちらではキチンとした医療を受けさせることにしていたので、代々かかっていた田舎の病院や市民病院の治療のいい加減さや時代遅れを知り、投薬の酷い実態も教えてやり、すでに田舎の嫌な過去は忘れ果てているようでもある。

 自主回収して処方されていない薬や、過去にやったこともない脳梗塞の薬やらが日常に投与されていた、

 それらをいちいち内容確認し、こちらの医師と首を傾げる連続ではある。

 東京でも酷い医療や無意味な投薬はある。

 ただ田舎は酷すぎる。

 新聞・テレビだけが情報源となっている情報弱者は、まともな人間として扱われていない、そんな感じだな。

 ひとつひとつのことを、キチンと把握して分析し理解し、そのうえで誤りを指摘して教えてやってると、高齢者自身も驚きと腹立たしさが湧いて来てるようで、それが心臓の力を強くしてるようでもある。

 たくさんの子供らをこの手で強く育てあげてきたが、死という現実が目の前にある高齢者に、ナニが出来るか?

 これを徒労だと思ってしまえば、すべては元の木阿弥。

 生きている限りは笑っていさせてやりたい、その想いだけであっという間に20日が過ぎた。

 コロナの嘘も解っただろうし、政治や経済の大嘘も、ことあるごとに話して教えてやっている。

 現代日本人の哀れなオツムの構造も、身をもってして解っただろう。

 田舎特有の、在りもしない憑きモノが、キレイに落ちたようでもある。

 

 ・・・ということで、俺は体重が4キロ痩せ、皆にやつれたとは言われるようになったが、ここで倒れる訳にはいかんと、4時間くらいで目が醒めてしまう睡眠不足でも、この日曜日は山梨の1700mに登って来た。

 相当にキツイだろうな、暑さも半端ない、途中で止めても構わない、そんな登り始めだったが、鹿たちのピ~ピ~元気な鳴き声に迎えられて、山頂まで汗だくで辿り着いた。

 雪山では眺望は360度だったが、葉が茂り、少し覗けた甲府盆地は霞んでいた。

 帰路、中央高速の渋滞回避で相模原に抜けるあたりで雷雨に見舞われ、雨宿りに入った農園レストランが大当たり、すべての食材が半世紀続けている自家栽培、米まで美味くてお代わりし、マンゾク満足で走っていると、多摩センターのあたりでキレイな虹が見れたもんだった。

 

 夜、高齢者二人の元に顔を出すと、昼前に顔を出したあとに山梨の山に登ってきた行動に驚き桃ノ木、なんて奴だと大笑いしておった。

 土産はさ、ありきたりの信玄餅だったが、田舎者には相当に嬉しかったみたいだ。

 

 日曜日から、田舎の実家の大量の荷物の片づけと処分に、東京からその道のプロを派遣してあって、俺も明日か明後日、日帰りで出掛ける予定になってる。

 今日は金融機関へ二人を連れて行き、新規口座の開設、歩け!歩け!とドヤして、大笑いしているわな。

 

 仕事も忙しいまんま、一日2万歩以上は歩き回っている。

 山や海で一年中鍛えあげている63歳は、この程度のことではビクともしない。

 せっかく絞れた身体を、このまんま維持するために、夏山にも登り、太平洋でも遠泳する。

 愉しい愉しい日常が、戻ってきたわな。