92歳の、癌で認知が進んでいた爺様と、86歳まで車を運転して田舎で暮らしていた婆様を、怒涛の引っ越しで銀座の近くに呼び寄せて、1か月近くになろうとしている。
東京大学にも色々あるが、その中でこれはという病院で癌は見てもらうことにして、その他の病気や診察もそれなりの病院に変えて、俺自身もいろんな勉強をさせてもらっており、最先端の医療を、身をもって感じている。
酷かった認知はまったくなくなってしまい、陽気でボケてる楽しい爺様に変貌してしまってる。
朝夕に仏壇の前で長々と繰り広げていた、あの世との交信もまったく興味もなくなったようで、収まってる。
癌の進行も止まってしまっており、命の終焉の方が先だろうと、そんな状態でエエ塩梅だ。
田舎にいるとコロナひとつでも新聞・テレビで散々に脅かされていたが、都会に来て、通院しながら眺める景色には自粛の景色はなく、みな自由に動き回ってることを驚きの目で眺めている。
メディアの洗脳の嘘を、痛感している。
大企業のコマーシャルや、政府が舵を握る報道の嘘、地方の国民こそ、人間扱いをされていないと、知っただろ。
俺の傍に来れば大丈夫!! これは単なる自意識過剰な言い草ではなくて、キッチリと根拠のあるモノだったが、人殺し呼ばわりしておったまわりの人間たちも、さすがにグ~の音も出なくなったろう。
俺の生きている山や海にも、これからは連れて行ってやろうと想ってる。
相変わらず、仕事も忙しくて、オストメイトも含めた人生相談もあちらこちらからとある日常に、ふたりの高齢者の介護も入ってきてるが、先週は山にも登って来てるし、この日曜も海でさんざんに泳いで来た。
忙しい合間の時間を、休息には使わずに山や海で過ごす。
これで身体障害者だと手帳までもらってはいるが、近親者たちは、だ~れも優しくはしてくれない。
化け物、そんな風に見られているから、ナニをやっても別に驚かれることもない。
63年泳いでいる日本の海は、今年も俺にはゆりかごのような心地いい揺れを与えてくれてる。
うねり、とも言う。
鉢巻を締めて、ゆっくりと泳ぎだす。
コロナで温水プールで泳げなくなっていたから、随分と久しぶりの泳ぎになっていても、海に入れば身体が覚えているようで、なんの違和感もなく、気持ちの良いいろんな泳ぎを堪能している。
ただ一年近く泳いでないと、あちこち筋肉痛がある。
長く、沖の冷えた海を泳いでいると、足が攣ったりもあるが、浮き身でのんびりマッサージをして、また泳いでる。
浜でアル中バーベキューをしてる連中や、日よけテントの中で野性味出してる髭面や、波打ち際で入れ墨を見せて日光浴してるチンケな猿らは、泳ぎながら遠くから眺めていると、どれも波に打ち寄せられた哀れな流木みたいに見えてる。
・・・日本人なら、泳がんかい
そうかそうか、お前さんたちは島国日本人ではなくって、日本を貶める為に洗脳され果てた猿回しの猿だったか。
帰りにシャワーを浴びれないのも残念だが、ガキの頃はそのまんま釣り糸を垂れていたりしたもんで、そう考えればなんということもない。
車の横で素ッ裸になって着替え、美味い地元の魚を喰って来る。
やっぱり夏は海が良い。
今週も、時間があればまたさんざんに泳いでくるわさ。
俺の登る山は、いつも人がいない山ばかりになってるが、海も、今年は去年とおなじで泳いでる人がいない海になってるから、気持ち良いことこの上ない。
オリンピック? どうでもエエがな。
日本人も、おかしな生き物に成り果てたもんだ。