オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

酒や薬でだらだら過ごすのは無駄

2022-08-26 10:25:17 | 新型肺炎コロナ・ワクチン

 

 人間の世界のことには、正解なんてない。

 法律や規則や規制なんてものは、その時代その時代に、それを差配する者にとって都合の良いものになっているだけのことで、大きな強奪を隠すために小さな美談を大々的に拡散報道し、生かさず殺さずの中庸をよしとする規律で終始させ、その度が過ぎれば交代劇が起こるが、いまの日本では単なる首の挿げ替えだけで終わっている。

 万人に公平な法律や規則や規制なんて有り得ない以上、不条理はかならず残る。

 そういった人間の世界では、自分自身ですべてを考え行動する者と、拘束されても他人任せで与えられる選択肢を待つ者とに分かれてしまい、後者の方が圧倒的に多いのが日本と言う国家だろう。

 そこで生きて、後悔のないように関わり合って、そうして起きるすべての責任を負う、これが出来ればすべてが正解だとも言える。

 そもそも心の動きが雲のように七変化する人間がいて、おなじ人間が関わり合って、答えがいつもおなじになる訳がないのだよ。

 一対一の関わり合いには、正解なんて在りようが無い。

 その二人が正解だと想えば、正解、まわりがあ~だこ~だ言ったところで、なんの意味もない。

 両方かどっちか片方が理解の浅い人間だと、そのゲームはとっとと終わってしまうだろう。

 続くのは、それなりに個々の努力と理解をし合える双方の気持ちだけ。

 そんな相手がひとりなのか、二人なのか、もっと多くても良いのかも、それさえ正解などありゃ~しない。

 ましてや社会や他人から逃げ回って、閉じ籠って、他との変わり合いを極力避けて行こうという人たちには、正解どころか間違いすらナニも無いろう。

 義務教育や、親や大人社会に決めつけられて、いちいち悩むなよ。

 メディアに決めつけられて感情を動かすなよ。

 正解の無い命の遊び方は、それぞれが他との関わり合いの中で作って行くしかないのが本当だ。

 自分はこう愉しく生きる、ただし社会や他人との関わり合い方ではこうする、それをキチンと分けることが出来なければ、いずれ行き詰まり破綻する。

 

 生真面目に、我慢して、社会で言うところの小さな善人として頑なに生きている人たちは、ワクチンを律義にも何度もうち、あらぬ病に罹り始めている。

 自然免疫がワクチンによって破壊されてしまってる以上、どんな病になるのかも解らない。

 いままで脅威でもなかったウイルスでも、命を落とすこともあるだろう。

 昔から、癌は生真面目な人ほど罹るというが、生真面目という言葉の意味は利口で正しいという意味ではなく、単に国家や時代が要求する項目に素直に従って生きている、そういうことだ。

 何万年もの時間をかけて、自然に人類が獲得していた免疫が、余計なお世話なワクチンによって、破壊された。

 予防医学という、保険や保証とおなじ弱い獣の弱点を突いた金儲けが、盛んになって難病・奇病は増えている。

 薬漬け、無菌室、処方がなければ生存出来ない、そんな時代になるのかどうか?

 じきにワクチン接種を止めた人間は、免疫をつけながら生きて行く自然な姿に戻れるのかどうか?

 ただ結果も定かではない無駄な回復という時間を、世界中の人間が過ごさなければいけなくなった。

 それで大儲けして、ますます人類を管理できるようになった者らは、大笑いをしているだろう。

 

 健康に生きることばかり考えて、日常から余計なお世話な管理をされてしまっている多くの人は、栄養だの、マシントレーニングだの、サプリメントだの・・・と、なんの為に健康でいる必要があるのかも解らない癖に、ただただ暇だからと洗脳されたオツムで朝から晩まで健康ゴッコ。

 生きている意味すら、健康のため、そんな阿呆な状況に成り果てている。

 そこには他人を愛するとか、他人に寄り添うだとか、そんな社会との関わり合いなんてまるでなく、あくまでも自分自身の健康のことばかり、成金や資産家には多いのは、その老後の狂った孤独を見て居れば、よ~く解る。

 金も無いのにおなじような日常を送っている人たちもいるが、もっと悲惨な老後しか見えない。

 愉しく、後悔無く、愛して、恋して、たくさん関わり合って、それでとっとと逝く、これが俺の本望だが、機械ロボットのように不老不死を願い、その為に他人や社会を犠牲にしてまで守銭奴を極める輩は、惨めで卑しく寂しい生涯で終わっている。

 多くの馬や鹿ばかりに囲まれて幸せそうに見えてるキツネやタヌキは、少数でも心を開き合って楽しく過ごしている人間が羨ましくて悔しくて、それに比べて取り巻きの馬や鹿を見ているうちに、自分も馬鹿なのか? と、気が付く時にはすでに恐ろしい孤独は終わりが見えている。

 

 昼下がり、年寄りの面倒を見て来て店でランニングシャツになって汗を拭いていたら、日本でも、書道の世界では草分けの会社の会長が、フラッと遊びに来て、俺の姿にギョッとするでもなく笑い・・・あ~、やっと会えたよ、マスクしてるとどこのジジイかわかんね~か?・・・と、ズカズカ入って来た。

 ・・・そうか、あんたも30年になるか、俺んとこは60年を超えているよ、記念になんかやるのか?

 ・・・なにもないよ、別にただ好きにやっていたら30年だから、これからも別にナニもないよ

 古い顧客でもあるが、共通の知り合いでもある能の家元の内輪話から始まって、近所の古い連中がどんどんいなくなっている寂しい昔話、親の介護の話まで、色々と笑って話していた。

 銀座の伊東屋まで歩いて買い物に行ってるみたいで、70過ぎて足腰弱ってるから、こうやって歩いて行くんだよと、ラフな姿で手提げをぶら下げておられた。

 いまでもキレイなベンツを運転している。

 こういう銀座の古馴染みのお爺さんやお婆さんたちの来訪も多くて、多忙な折でも笑って迎えいれている。

 いまさら不動産の話よりも、昔話や近所の話に花が咲いている。

 長く自営をやっていると共通の話題は多くって、幾らでも話は出てくる。

 さ~、また来るよ! で、手提げを振り回して伊東屋に向かわれた。

 

 ・・・ワクチン? 仕事では3回うってることにしてるが、一度もうってないよ

 おなじだな~、互いに大笑いしておったが、俺の親しい自営の連中は、みなそんなことだ。

 生真面目な人たちとは、話を合わすことでやり過ごして来てる。

 愛も、恋も、歌の文句のレベルのお子ちゃまには、会話はそんなもんさ。

 

 ジャクソンホールかい? 

 マイケルではなくて、堕ちるジャクソンだろう。

 勝手に騒いで市場の上下動を煽ってるのはメディアと守銭奴ばかりで、右往左往するのも猿ばかり。

 既定の事実を繰り返しているだけのこと。

 ゼニカネの話は、どんなに儲けても満たされることなど永遠にないさ。