オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

身体障害で介護と看護の、独り言

2022-08-19 11:30:27 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 木曜日は、直腸癌の93歳になる爺様の便通が悪いと聞き、ここのところ歩いてないというので軽く散歩と婆様の買い物に付き合ってやって、忙しい仕事に戻っていたが、夕方、いよいよ調子が悪いと言うので薬の処方を聞いてみると、便通が悪くなりそうなときには早めに飲むべき薬を飲んでないことが解り、急ぎ飲ませて様子を見て居った。

 婆様は呑気に構えていたが、その後に爺様が苦しいと言い出して横になってると、電話を寄越した訳だ。

 肛門出口近くの直腸癌は通路を塞ぐくらいに膨らんでいるから、命が先か、癌が先か、手術をして俺とおなじオストメイトになることは高齢だから無理だと拒み、消化の良いものを食し、腸を動かす軽い運動を続けることで5年の歳月が流れている。

 もう、充分に生きた年齢ではある。

 治療らしい医療行為はナニもせずに、人間らしく生き、あとは自然に任せる緩和ケアを選択している。

 深夜にバイクから車に乗り換えて、二人の元へと顔を出すと、爺様はベッドに横になったまま、病院に行ったほうが良いと、婆様を怒るばかり。

 酷い腸の閉塞状態と疲れから、婆様にあたり散らしておった。

 もともと我儘で日常のことはナニも出来ない癖に、偉そうに威張り腐って生きて来た爺様は、癇癪を起しているようでもあった。

 ・・・緊急でかかりつけの大病院に行くのは良いが、このコロナ下では、入院したら1週間は面会のできない孤立した状態になるが? 手術などはしないと言ってあるから、対応だって俺のやってることくらいしか無い、それでも病院に行きたいのか??

 腸閉塞から破裂して、腹膜炎を起こした挙句にオストメイトになった俺の話は、落ち着かせる効果はあった。

 それからマグネシウムを飲ませ、明け方までベッドとトイレの往復を繰り返し、何度もオムツを取り換えて、背中と尻を温めてやりながら、5時頃に便通が戻って熟睡し始め、婆様も休ませていたが二人で鼾をかき始めたのを確認して、一度戻り、車からバイクに乗り換えて、店を開けたのが朝の6時半。

 一晩中、爺さんの小出しに出てくる便の処理を手伝ってやって、肛門にゆっくり指を入れて道を作ってやり、真夜中の糞まみれゴッコだった。

 子供らの便秘も、そうやって治してやったもんだ。

 頭デッカチな、頭脳優秀で知識豊富で能書きだけは偉そうな奴らには、こういう現場の、気を利かせた細々した身辺の動きなど出来るものでもない。

 身体にナニが起きているのかを考えて、最善の方法を行う、糞まみれ、便まみれですら、生きている証ではある。

 一睡もできなかったが、仕事はイロイロと始まっていた。

 猛暑の午前中に大量に使ったオムツ類の買い物もしてトボトボ歩いて届け、様子を見ることにした。

 癌の外科的手術を拒否した以上は、本人と周りの人間の力でなんとかしなければいけない。

 去年、田舎の実家を売り払って、大量の荷物も片づけ処分して、二人を近くに引っ越しさせておいて良かった。

 婆さんはずっとのあいだ・・・助かったよ、あんたのおかげよ!・・・を繰り返しているが、誰が良いとか悪いとか、そんな話にすること自体がナンセンス、みんなで癌と戦ってるだけのことさ。

 ステージ4を宣告された癌転移患者も近親にいるというのに、これはこれで自分たちではナニも出来ない訳で、ずっと見守って付き添ってやらなければいけない。

 なんとか今回は、乗り越えたようだが、ナニも終わってはいない。

 良かったという話にはなりようがない。

 その繰り返す日常を受け入れて、常に対応を考えて即断即決するだけの話だ。

 誰かに頼る、誰かにやってもらう、そんな話ではない。

 出来ることがなくなった時、終わりになる。

 

 俺には三つ下に、静岡で結婚して孫までいる妹がおった筈だが、去年車で2時間くらいの場所に両親を引っ越しさせてやっても、一度も顔すら見せてない。

 怪しい宗教か、怪しい化粧品の販売に手を染めているらしいから、電話で老いた両親に商品を売りつけてくるだけのようだったが、俺のことが怖いから、この頃は自分の親のことすら忘れてしまってるようだ。

 思春期の頃から宗教に染まり易く、親が毅然と対応しなかったために、俺が殴り飛ばしてやめさせたり、そんなこともあったが、ずるい心持と、怠惰な淫乱心、ナニかに救いを求めるその安易な行動や思考自体が、嘘だと気が付かないまんま、ナニを言っても聞けない猿以下の老豚に成り下がっている。

 テメ~の親の面倒すら見れない癖に、他人に偉そうにアドバイスをしている腐った大人社会、そんな奴の子や孫は、どんな立派な大人になってゆくんだろうか?

 身内から無視放棄されて、孤独のうちに死んで逝った老人たちの凄惨な最期を、たくさん見送るような仕事もこなしてくると、苦笑しかないよ。

 

 婆様の血筋は母親が105歳まで生きて、兄弟もみな元気に過ごしていたのだが、ここに来てガタガタと良からぬ病に倒れている話を聞き、ワクチンは? みな3回うっている、そういうことだった。

 俺は一応アドバイスはするが、あとは本人しだいなのが限界で、周囲の動きを注視して動き出す日本人は、みな同じ動きになってしまうのも、仕方の無いことだ。

 自然免疫に異常を来すと、どんな悪病に襲われるかも解らない。

 今まで長年に渡って生きて身に着けた免疫を、アッという間にご破算にしてしまってる。

 夏の夜の怪談よりも恐ろしいことが、みなさんの目の前の現実で起きている。

 

 自分たちではナニも出来ない高齢者たちの日常のことを、最善の方法を考えて色々と動いてやるようになると、そこでまたたくさんのアクシデントは生まれて来る。

 新聞・テレビ・政府を心底信じ切って生きて来た世代だから、価値観の違いは如何ともし難い障壁になっても、それぞれのことを理解してやって、病院や薬や食事や運動についても多方面から知恵を授けて一緒に動いてやってる。

 今の高齢者たちは能書きや態度は偉そうであっても、日常の自分のことがまるで効率よく出来ないようになってしまってる世代だから、悪い連中が寄ってくれば良いように騙されてしまうのも解るが、俺の近い身内である以上は他人様に面倒をかける訳にも行かず、手を出したが最後、本当の最期まで面倒を見ると覚悟は決めている。

 縦割り社会の推進世代、一芸は秀でていても、全方向の人間としての知恵や知識や経験は、皆無。

 ま~、あちこちに子供がいれば、そんな身内の高齢者の数も倍々倍々になってるがね。

 そこで関わる側の者が姑息な自分の欲を振り回せば、余計に話はこんがらがって、ややこしくなる。

 幸いなことに、俺は自営で無借金経営、去年・一昨年と自作のバブルも作っているから出来ることではある。

 高齢者本人にとって、この現代社会で、今、それぞれの資力・収入で無理をせず、ナニが一番に良いのか、その道筋を考えてやることは大変な労力を要する。

 それぞれの財産管理をするには、それ目当てではない資力を持っていなければ、ボケた高齢者でも信用しないのさ。

 仕事が出来る年齢ではなく、稼ぎを増やす年齢でもなく、年金と貯えだけで生活設計を立てなければならない。

 業としてのファイナンシャルプランナーではなく、他人の負担にならないようにとプランニングしてやってる。

 自分たちではナニも出来ない癖に、子供とは違って、長い平和の下で自分たちの優雅な生活のリズムを確立してしまっている訳だから、そのリズムを変えないように、ただ出来ないことは出来ないと、淡々と対応するしかない。

 急に体調が悪くなったりすれば飛んで行き、薬の処方の仕方や日常の生活の改善まで、いろんな話をしてやって、散歩や買い物に付き合ってやることも日常のことになっている。

 昭和の初期に生まれた世代は、現代人から見れば夢の中を生きて来たような幸せな世代だったろう。

 ・・・戦時中は大変だった・・・が口癖の世代だが、いよいよ俺が言ってきた通り、一番に呑気で幸せな世代になってしまってるだろう。

 年金だってしっかり出ている世代だ。

 癌や心臓やといろんな持病も持っているが、もう十分に生きたろう? という思いもある。

 死なせない現代社会の矛盾も、年中あちこちで感じてはいる。

 それでもテレビや新聞には食い入るように目を向けている毎日だ。

 宗教ではないが、おなじような状況に陥って生きている高齢者は、社会のあちこちに溢れ返っている。

 それに巣食って票やゼニカネを吸い取って行く組織も、あちこちに溢れ返っている。

 なんだろうな~、馬鹿ゲタ話だな~、俺の世代はそう思いながらも、コツコツと今やるべきことだけをこなしてる。

 

 これで身体にメンドクサイ障害を負っている身なんだぜ。

 仮眠をとって、夜に風呂場で腹のパウチの交換作業をやりながら、俺はこれが自分でできなくなったら、終わりにしよう、奥山か、海の沖に泳ぎ出て、それで完結という話でよいな~と、つくづく笑っていたよ。

 結局は自分の尻もふけない大人社会で、ぶ~ぶ~終わりになんかしたくはないぜ。