地球温暖化ではなくって、地球寒冷化の中の一時的な温暖期、そんだけのことだった。
すべて金儲けにしてしまう現代では、インフルエンザですらコロナと名を変えただけで大儲け。
人間の社会には、ゼニカネ儲けのネタはいくらでも転がっているということさ。
義務教育と、メディアの洗脳をキチっと受けて居れば、あとはAIロボットに踊らされて、ゴ~ゴ~という訳さ。
反旗翻す者らは、味噌も糞も闇鍋にして、陰謀論だと封印し、即座にAIロボットに仕分けされ、ゴミ箱へと放り込まれてる。
それこそ、短期戦の陰謀扱いという奴だが、だから俺なんかは昔から常にあちこちで長期戦を仕掛けて生きているが、みな自滅していなくなる、笑ってやれ。
島国の国家ごと、まるまる我が物にしてしまえば、日常の布教もナニも必要などなくなる、そういう宗教団体が義務教育の時点から浸透し、三権の中枢に育てた信者を送り込み、政治や経済まで牛耳って行く、そうなってくれば信者から多額の献金を巻き上げるのは訳のないことになる。
裏を返せば、キリスト教の布教活動とおなじことをやっているだけだが、島国の猿には宗教よりも実利を伴う欲得のほうが効き目があるという話ではある。
まわりばかりを気にして、みなと同じ動きが好きな猿ばかりが住む島国では、簡単なことに思えていたのだろう。
実際に、東大や京大という最高学府でも多くの信者を獲得し、そのまんま政治家や官僚・役人になって行った者は昔から多かった。
どうでも良い知識や情報は持っていても、そんな今更な話に喰いついていってる者がいるのならば、阿呆だろう。
今になって大騒ぎしている意味は、もっと違うところにあるが、金が儲かればナンでもやるメディアの目晦ましに、皆さんは気が付いているのかどうか?
安倍元総理暗殺の本当の意味については、結局のところウヤムヤにされ、安倍元総理が本当に死んだのかどうかについても、これはウヤムヤになってしまってる。
薄気味の悪い時代だ。
催しによって国民を操作し、張本人などは影武者でも勤まる時代だからこそ、エエかげんにせいよと笑ってやる。
報道があり、すぐにAIロボットが反応して高速で売り買いをする、これは株や債券や商品市場では見慣れた光景になっているが、メディアから流れるニュースに即座に反応して、最初のコメントや解説を始めているのも、おなじAIロボットだというケースが多い。
なりすまし人間だから、その語彙の使い方に違和感を覚える人がいるならば、まだ健康だと言うことだ。
その意見を一般論だと思い、それが普通だと信じて他に拡げていってる猿は、不健康そのもの。
日本人の性癖を上手く利用されて、ひとつの国家が蹂躙される、何度も繰り返して来てる。
こういう消費者・購買層がいる、それに呼応するように音楽や映像を作る、すでにAIロボットがやっている。
後付けの苦労や努力物語なんてのも、企画操作はAIロボットに任せておいて、黒子に操られるマリオネットを演じておれば、スターになったり勲章だってもらえる訳だ。
ノーベル賞ですら、そんなテイタラク。
画一化・似たような猿をたくさん育て上げておけば、大量消費者というモルモットは自由自在にコントロール出来る。
知識を競う、暗記を競う、これらはAIロボットの仕事になっているから、もはや意味の無いことだ。
人間であるとは? 人間として生きるとは? 人間らしくとはナニなのか?
おなじような人間ばかりが生きている社会では、考えることもさせなくなっている。
猿は猿真似が上手だから、ハリウッド仕込みのメディア煽動や洗脳も、お上手なのね。
大笑いするしかない。
金融緩和が長すぎて、だぶだぶの肥満状態になっていた米英の経済が、実態のダメージが厳しくなってきていることから、この春から金融の引き締めに政策転換してきている訳だが、経済の鈍化・停滞よりも強硬に優先して来た利上げペースが、このところの経済指標の悪化を見て、一時中断かスローダウンになるのではないかと、そんな思惑からAIロボット主導で株の暴騰に繋がっている。
実態は悪くなっているのに、株高になるという、妙な景色はずっと続いている。
短期の見方はそんなもんだ。
実社会でも、長期の目線と短期の目線は180度違っていたりする。
俺は長期で物事を考える自営だから、いちいち右往左往はしない。
自分の命の終え方や、自分の残りの生の時間の過ごし方や、病気や老衰による身体の対処法についても、現代の高齢者たちは自分の意見や決断を持たない。
俺はすべてナニが起きても自分で即断即決で生きているが、身内の介護や看護をあちこちでやっていると、そんな命の全責任を負わされることは多くなって、決断するにしても本人や周りの納得できる形にしてやらなければ、人殺しにもなり兼ねない。
それなりに理由を付けて、最善だと思わせる根拠も作っておかなければ、殺人者にもされる世の中社会だ。
自分のことであれば、楽な話でも、身内でも他人だから、そんなメンドクサイ動きをしなければいけなくなってる。
これが本業の仕事に及ぼす影響は、なかなかに辛いものがある。
この2年のコロナ下でも、自営の業績の悪さをコロナのせいには出来ないと、毎年頑張ってバブルを作って来たが、さすがに今年はキツイぜ、そんな状況だが、それでも介護や看病のせいにはせずに、なんとかしようともがいている。
エエかげんにせいよ、テメ~の尻くらい、テメ~で拭いて逝けや、おかしな高齢化社会を見ていると、阿呆臭い。
まわりばかりを見て、目立たず協調することばかりで生きて来ても、自分の死を前にして、そこには協調などナンの役にも立たないことに愕然としたって、もはや手遅れの錯乱混乱だけだ。
こんな世の中社会でも、笑って生きて行くにはどうすべきか、それだけを考えていると毎朝4時には目が覚める。
ジジイ早起きとまわりの者は揶揄するが、早起きするのは自然なことで、無理して目覚ましで起きている訳でもない。
山に登り、海で泳ぐ人間は、こんなもんさ。
生きてるすべてのことは、自分のおかげか、自分のせい、それだけになっている。
ナニにも依らずに生きていると、それが当たり前のことさ。
他人や社会の意見なんざ、屁みたいなもんさ。