オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

社会とは、余計なお世話とお節介

2023-11-22 11:43:21 | 地球と生きる

 

 

 あちこちの山の帰りに、色んな泉質の源泉にしっかり浸かるのは、俺の山歩きの一部になってるが、地域や泉質が違うということは、地球から湧き出る放射能もそれぞれ違う種のモノだということ。

 一度に大量の放射能を浴びると人体は破壊されるが、人間が地球に誕生して以来の通常の適量の放射能を浴びることで、眠っていた免疫やサボっていた抗体が身を守ろうとして目を覚まして活性化し、しっかり汗をかいてゆっくり肺に吸い込むことで、病んだり弱っている箇所の自己治癒が始まる訳だ。

 温泉は温まるから良いと思ってる人たちは、勘違いも甚だしい。

 放射能もナニも無い湯であるならば、家の風呂や温水プールで身体を揉み解しておれば良いだけの話。

 俺はガキの頃から医者や病院や大人の言うことなど信用してなくて、俺自身ですべて考えて判断して生きて行こうと65年生きて来たから、病気になれば安心・安全な現代医学とは反対の逆療法ばかりで治して来た。

 腸が破裂してしまったのも、その度が過ぎた結果だ。

 おなじ源泉にばかり浸かっているとサボり癖のある身体はまたゾロ怠慢に慣れ、免疫は活性化しなくなる。

 だからアチコチの山歩きをして、泉質の異なる源泉にイロイロと浸かっている訳だ。

 現実社会で皆さんの何倍もの激しい生の時間を過ごして来て、身体はボロボロに磨り減って摩耗して来て、エエ加減に人間の世界にも飽いてしまってるが、生きているうちは元気に笑っていたいと、山や海で遊び呆けている。

 去年の春に、大腸癌がリンパ節や肺に転移して、ステージ4の宣告をありがたく頂いた古女房も、俺の主治医の腕の良い外科医の先生に無理を言って転院即手術、抗がん剤治療は避けて、免疫療法という3週間に一度30分ほどの痛くも痒くもない点滴だけで、あとは俺の毎週の山歩きと源泉入浴だけで半年で根治した。

 地球から生まれて地球で生きて来た人間に効果があるものは、地球から湧き出るモノなのが当たり前の話で、卑しい人間が金儲けで作るモノにはなんの効果もない。

 地球や太陽の力でもダメならば、もう寿命だと笑うしかない。

 それでエエやんけ。

 豊かさはシンプルであるほど深くなる。

 

 大人という、生まれて大事に育てられ、親や身内や学校や、地域や組織やナニやらグループに洗脳され、そのまんま社会に出て、仕事を始めて時間に追われ、自分という存在を独りで根底からひっくり返して白紙から作り直すことをしなかった大人ばかり、惰性と慣習と、幼児教育から義務教育と群れの中で集団洗脳を受け、そのまんまの価値観で生きている大人ばかり、これじゃあ行き詰まるのは目に見えている。

 俺は残念ながら幼児教育と義務教育の時期に転居を10回ほど繰り返して、洗脳されて行く群れを冷ややかに眺める立場でいた。

 そこから洗脳された群れのど真中で、すべて自分の手作りで、自由自在に生きてやろうとガキの頃から決めていた。

 変われない大人たちは、みな人情や友情や義理や道徳を持ち出して来て、弱い自分を誤魔化そうとするもので、俺はガキの時分には見抜いておった。

 感傷・感情に逃げ込む大人ばかり、卑怯なもんだと呆れていた。

 二人といない自分とは? それを自由自在に謳歌すること、これが俺の生きてる意味だ。

 

 大学に行って社会に出てからの準備をするというような感覚で受験勉強に励んでいる者も多いが、すでに大学の意味すら失われて、単なる消費行動に成り下がっているだろう。

 ナニを学ぶのか? ナニをしたいのか? ナンの為なのかが解らない時代になった。

 俺は爺さん3兄弟が東大・京大・東京芸大を出て、親もその兄弟も国立大学や一流大学と言われてる大学出で、そんなのが仰山いた親戚付き合いには辟易しておったから、大学自体には興味もないまんま20歳過ぎに自費出版を始めて、とっとと自分の道を楽しんで生きることを始めた。

 良い会社に入る?大企業の経営陣になる?そんな時代だったが、興味もなく、そのまんまの流れで銀座で30年、周旋屋を続けている。

 なんの勉強もしていないし、先輩や師匠や先生と呼べる世話になった者もいない。

 俺一人で、好きなように始めて、何処にでも遠慮なく顔を出して絡んで行き、関わり合いも選別などせずに、なんでも首を突っ込んで行っていた。

 法律に引っ掛かったり、裁判になったり、捕まったりもイロイロとあったが、それは知識と経験が足りない若い時分の話で、痛い目に遭った数だけ、余裕が笑いに変わり、腹は据わって来る。

 生きながら学び、生きながら人脈を増やし、生きながら商売を続け・・・借金・負債はビタ一文無く、貸し借りも無い。

 挙句にモノや人には心居座ることもなく、いつも地球人で自由し放題を満喫している。

 来る者は拒まないで生きて来たが、縁がなければすぐに忘れてしまう。

 縁がなければ 用が無い!と一言、なんの必要も無い!と一言、ご縁も無い! 時間も無い! あんたに使う金も無い! と一言でカタをつけている。

 どんな相手でも、ナニが起きても遠慮などせずに、いつもフィフティフィフティでエエやんけ。

 

 ところで社会のインフラ、道路や橋やトンネルや、水道・排水・電気にガス、いろんなモノがあるが、戦後に敗戦の復興で作り上げたモノの修理や交換・新装を、そのまんま先延ばしにしてメンテナンスという名ばかりのお茶濁しで済ませて来た国や地方自治体や公共工事に巣食う企業群の怠慢のおかげで、これから日本中でエライ騒動が勃発してくる。

 当たり前の話で、モノは老朽化して、いずれは解体して新しく作り直すしかない。

 仏に手を合わせ、神に跪いて、都合の良い願い事をぶつくさ抜かしたところで、現実の社会は救われない。

 あんたら国民もみなグルみたいなメディア奴隷の生活に流されている訳だから、事が現実に起きてから、また猿の衆は大騒ぎを始めるしかない。

 俺なんざ自分の生き方から終わり方まで自分で作り上げて生きて居るから、いちいち大騒動にもならないようになってるが、社会はコロナやコロナワクチン接種とおなじで、横並びのギャ~ギャー大騒動にして行くんだろう。

 馬鹿げているが、それが社会の真相だ。

 何気に街を歩くにしても、用心に越したことはない。

 土の道であってもおっかないのに、アスファルトで覆われた道の下がどうなってるのか? 考えたことはあるの?

 あ~、怖い怖い。

 

 仮想通貨というものがある。

 通貨や紙幣というモノ自体が、質札とおなじ実物の代替品でしかないのに、わざわざその代替品の仮想の代替品のような玩具を広めていたのは、どういう了見なんだかね?

 俺は何十年も前に、通貨や紙幣の価値は一度すべてチャラになって、実物だけが残るだろうと考えて、金・銀・プラチナというモノの価値を周囲の者らには言っていた。

 すでに4倍を超え、消費税が上がった分だけでも7%が利益になっている。

 持っていたってメンテナンスや固定資産税みたいな税金対象にはならないから、面倒も無いし、そもそもが重くとも小さなものだ。

 鉱物だから奥山の朽ちた祠のまわりに埋めておけばそれでエエという感じだな。

 この頃は高くなり過ぎたという報道も増えたが、まだまだ序の口だろう。