年末年始と、古く毅然と生きている爽快な寺社に立ち寄っては、神頼みや祈願はいっさいせずに、片手をあげて神々の挨拶、建物の修理代や石段の修繕費にとポケットマネーを出し続けていた。
おなじ八百万の神としてナニにも依らない自営で稼いだ金から出している訳で、名も残さずにさっとお暇している。
俺のことは俺が自分で何でも出来る。
ナニも困ったことはない。
借財も貸し借りもいっさいなく、悠々と笑って生きて居る。
誰かにナニかを恃んだり、受け身の感動秘話もナニも無い。
こうやって清々しく終わりを迎えるだけの山の獣の生き方になって来ている。
人間の世界のことは、すべて退屈な猿芝居。
見栄張りや成金の乱暴な幼稚園には、近づかなくなっている。
甘ったれたメディア奴隷な生き方で、当たり前のように借金・負債まみれになってる猿にも興味がない。
ナニが楽しくて生きているの?? メディア洗脳な日々の金のかかる罠に嵌って暮らし、自転車操業に思考も感情もグチャグチャになってボロ雑巾。
それでも薄気味悪い集団洗脳な社会は、喜劇にしかならない。
いまや資産一桁の億円では金持ちとも言わなくなっているのが世界の常識だが、島国では気持ちの悪い百万・千万成金がウジャウジャ貧しい日常を競い合っているのは、小人の国の酔狂か??
貴方任せの社会の象徴、相変わらずの旧習を持ち出して古く生臭な猿ばかりが集うハリボテのデカイ寺社は、そのまんま性根も腐り果てて朽ちて倒壊してしまえばエエのんさ。
中身がナニも無いカラッケツでは、壮大に燃やしてやれば供養にはなる。
社務所ではゼニカネ勘定にうつつを抜かして、メディア洗脳の神輿を出して、馬鹿と阿呆が他力本願に願掛け祈願、こういう間抜けな昭和を続けて居ること自体、正気の沙汰じゃない。
毎月の決まった餌を貰う為に単調な奴隷労働に精を出し、せめてもの楽しみにと毎度の飯を前に晩酌をダラダラと日課にしている猿社会。
なけなしの小遣いで宝くじを買い、パチンコや競馬のギャンブルで貴方任せの夢を買う。
ささやかな自分へのご褒美コッコなんざ、囚人服の着せ替え人形。
決して自分でナニかを創造し、自分の知恵と力で餌を収穫することはせず、自分の身体と時間を買ってくれる親方に靡いて従順な奴隷として家ごと差し出している。
米ドルの凋落は金(ゴールド)を跳ね上げているが、円はその米ドルよりも価値を毀損して行ってる。
昭和の家庭の晩酌と宝くじの習慣化は牙を抜かれた原住民の奴隷化だったが、パチンコ屋にラブホテルの乱立は単細胞土民化の象徴ではあった。
時間の浪費と、命の無駄遣いは、いまでは携帯スマホ弄りへと移っている。
猿には唯一の救いの娯楽としてなくてはならない玩具になっている。
単細胞奴隷化への道は、こうして島国を蹂躙したまんま、先付けの借金・負債社会で住宅ローンにクレジットと、雁字搦めに猿社会を縛り上げている。
新しい年になっても、ナニも変わってはいない。
地球や宇宙が常に変化を止めないのと同じで、人間もまた常に変わってゆかなければただの資本主義の歯車、ロボットで終わってしまう。
インチキで作られた一つの業種が独占的に膨大な利益をあげると、他の業種にも独占的に拡げてゆき、それが大企業化して雇用を増やして社会に貢献しているという言い訳がある。
管理された刑務所が整然と並んでいる斜陽後進国の日常だな。
それが淡々と進んでしまったことで、コロナ禍のような単純な詐欺でも全世界がいっせいに踊らされていた。
その人の能力や日常の過ごし方が、はっきり浮き彫りになった瞬間ではあった。
どうして冷静に自分の脳で判断しないのか? 恐ろしい社会になってしまってることに、虫酸が走ったもんだった。
高い山の頂上からの眺めにもいろいろあって、俺は人工物が見えない頂きを好んで登って目指すことが多い。
人間の作ったモノが見えると興ざめして、腹が立ってくる。
自惚れた人類が溢れ返っている現代社会には、とうてい染まることはない。
古い付き合いの愉快なオバさんと長く共に暮らしている愉しいフランス人のオヤジがいるが、二十年以上も前から金(ゴールド)の価値を唯一のものと捉えて、俺の自営の生き方を指標にしている。
言う通りになって来ているのが愉快らしいが、日本に住み着いている外国人らとの関わり合いは、人類の嘘の暴き合いにもなって、笑うことばかりだ。
原罪という考え方がある。
人はみな罪を負って生まれて来て、それを償う為に生きてゆく。
その償いとは教会や教団や神を守っているという組織に対して、身も心も捧げなさいというインチキに他ならない。
ただの水を500mlボトル1本1000円だの5000円だので売っているようなもので、寄付やモノを買う形で吸い上げて行くネズミ講のようなシステムになっている。
日曜学校なんてのはマルチ販売の現地安売り会のようなもんだ。
人間の奴隷支配の根源には、こういう洗脳とイカサマが渦巻いている。
キリスト教の本当の姿は、そんなようなもんだ。
これからもっと酷い実話や被害が公になってくるだろうが、わが国にも戦国時代からイエズス会は浸透して来ている。
かといってでは仏教やイスラム教やヒンズー教はどうなのかというと、どれもこれも守銭奴が群がっておなじようなもんだ。
自信満々に自らが神や仏になり、信者や組織も持たない生き方いがい、みんな嘘だ。
そろそろ目を醒ましたらどうかとは思うが、幼稚なオツムの日本人には無理だろうな。
満天の星屑を、山奥の源泉の露天から、汗だくになってしっかり堪能して来たわさ。
体重も3キロは落とし、身軽になって仕事にとりかかる。
誰にも遠慮せず、俺の好きなように自在に生きる。
自営の時代に、自営をしない日本人は、終ってるだろうよ。
幼児教育や義務教育にどっぷり浸かって子供を育てて居れば、能無しばかりになるがな。