メディアに関わらないで生きて居る世界こそが、際限のない本当の世界なんだが、皆さんの多くは芯の髄まで洗脳されて生きて居る。
自分探しを、メディアに求めて、ネットやSNSに溺れてしまい、閉鎖的な世界に閉じ込められて、そこでおとなしく息をしていなさいと言う社会だ。
俺が会話にならないと感じる大人たちが多いのは昔からだが、商売では饒舌を装って笑って適当に合わせてはいる。
別に生き方・価値観は競うものでもなく争うものでもなく、日常を淡々と生きるだけ。
新聞やテレビやネットの世界で紹介されている金持ちや成金やスターや英雄など作られた猿山の話、最初から相手にもせずに悠々と生きて居る大人が俺のまわりには多い。
惨めな露出などせずに、自己主張は日々の生き方で充分、卑しい見栄や虚飾には興味などなく、無駄の無い豊かな日常を普通に送っている。
こういう関わり合いをたくさん持っていると、日本人の9割は猿に見えてくる。
その日常は猿そのもの、あっちにフラフラ、こっちに右往左往、ナニかを求めてる。
俺は山を歩く時は寡黙で静かなもんだし、海でも耳を傾けて聴いていることばかり。
素の自分でただただ笑って居る。
銀座周辺では、ビルの売却にともなってオーナーが変更になり、いま入居しているテナントの追い出しや退去を迫っている建物が増えている。
外国資本が資金を出して、日本の商業ビルを買い漁っているようでもあるが、乱暴なやり口が増えて行ってる。
賃貸の契約には普通賃貸借契約と定期賃貸借契約というものが大きく分けてあるが、後者は期間限定で満了し、再度再契約はお話合いという借り手には厳しい契約が増えている。
古い建物であれば建て替えを考えているとか、オーナーが売却するつもりだとか、長く居座られると困ると言うケースが定期借家契約をとる。
なかには普通賃貸借契約で入居しているのに、契約更新時にいきなり説明もなく定期賃貸借契約書を持って来たとか、ふざけた不動産屋の普通の話もある。
あまり深く考えずに立地や場所やエリアで店舗を定期賃貸借契約で借りて、やっと顧客数が安定して来た時分に出て行け! となるケースもある。
借り入れして設備投資をして、創業してまだ借金返済がある状態でも退去を迫られるケースもあるが、見返りには退去までの賃料免除とか、なにがしかの名目で金を積んで渡すとか、転居費用を持ってくれるだとか、いろんな交渉話が飛び交っている。
日本人同士の契約事ならばまだしも、外国資本との契約事になると、これがなかなかややこしくなっている。
転居先を探すにしても、銀座周辺では価額も高騰しているし、1階で飲食店が出来る物件なんて何年も待っている人たちがいるくらいだから、金を貰ってもその移転先を探す苦労は並大抵ではなくなってる。
いよいよ後進国化した日本では、桁違いの資産を持つ外国資本がどんどん入り込んで来ていると言う訳だ。
長い歴史を紐解けば、この島国は中国の文化を色濃く継いで来ているのが事実だから、中国の属国となるのが既定の路線なのかも知れないね。
外圧に逆らえるほど、島国の民は余力もないだろう。
ずっとこのブログでも書いてきている大転換が、足元でも始まっているよ。
イスラエルとガザの戦争は、ガザ地区をイスラエルのものとして、パレスチナ人はエジプトやヨルダンへ吸収するという話はずっと出ていた話でもある。
中東の話は胡散臭い話ばかりになっているから、こんな島国の報道なんてまともな解釈をしているメディアはまるで無い。
イスラエルを建国した英国は黙ったまんま、知らん顔して手も出せない。
ドイツのユダヤ人迫害だって歴史上ではナチスの暴挙となっているが、どこまでが本当でナニを隠してしまったのかは報道などされてない。
ウクライナの酷い自作自演にフェイクなニュースを見て居れば、解るだろう。
ユダヤ人にしても一般的に定義されている解釈などアテにはならないくらいに色んな人たちはいるし、名称や呼称で一羽一絡げにする歴史認識の限界は笑えるくらいに酷い。
そんなもので永久に代償や謝罪を求められていることの方が、おかしいだろう。
楽して儲かるシステムの一つではある。
儲かる話ならばと皆が群れて参加して、架空の冤罪であっても知らん顔して蹂躙する。
トランプ米国は米国内政・粛清でも忙しく、世界の警察官の立場を降りたい訳だから、もっと孤立するようなセールス・トークは出てくるだろうよ。
今までのように米国に頼るな! それぞれのエリアで自分たちで自立しろ! 本音を隠して脅しあげる、そんな親もいるな~。
そもそも今回の選挙でも不正をされて負けることも考えて、国内分裂と内戦も想定していただろうから、米国国内で起きている騒乱はあんまり甘く見ないことだろうね。
俺が生まれ育った時代、小学校だけでも6回転校したエリアでは、戦後の酷い原爆被害・公害被害や経済復興の陰で続いていた人種差別・部落差別などの残酷な犯罪は日常の生活のアチコチに普通にあった。
差別解消・格差解消・原爆被害・公害訴訟・・・それらを無くして応援・支援するという騒ぎも、すべてが日常に身の回りにあった。
どこに転校しても、最初に仲良くなる子らはクラスや学校で差別されて浮いていた連中ばかりで、俺はガキの頃から激しい差別の現場で生きていたようなもんだった。
差別されていた家庭に初めて笑いながら訪れた友達となって、そんな過度な感動がどこの家でもあって、良いこと悪いこと色んなことを目の当たりにしていたのが俺の小学校の時分の忙しい毎日だった。
化け物でも扱うように目を背けられてた奇形児、ケロイドの残る容姿の被爆者、貧しい部落民や朝鮮人、人種差別や報道されない犯罪はいくらでもあったし、新聞・テレビでは復興景気に湧く素敵な日本ばかりをメクラマシのように扱っていた。
救済・支援をするとキレイゴトを言って組織だって動く左翼や宗教、その手の大人社会の嘘や虚飾、その癖その実態は弱者を食い物にする嘘つきな連中、嫌というほどに見て育ったもんだった。
いまでもそれは続いている。
左翼と対峙する右翼の方にしても、同じような我欲追及の組織ばかりで、ガキの俺には広島の街の荒くれヤクザの方がもっと親しみやすい環境ではあった。
広島に戻り高校を留年した頃は学校にも行かず、そんな世界に片足を突っ込んでいた。
普通の少年期・思春期ではなくなっていた。
どれもこれも、大人社会の紛争を眺めていても、常に現場のことはじきに忘れ去られて、素敵な舞台のうえでの猿芝居に変わって行っていた。
奇形児となった子供たちはどこに転校してもいたし、学校でも浮いていた。
大人社会の差別解消や公害被害の訴訟を見ていても、現場の子供たちはナニも解消などされてはいなかった。
右を見ても左を見ても、反吐が出るような腐り切った大人の社会、これが現実だった。
いらい、俺の生きてる価値観では常に組織だった偉そうなものや、群れて勘違いしてるものや、美辞麗句を並べ立てて屁理屈をこねまわして自画自賛している集団には、いっさいの拒否反応が出るようになっている。
17の頃、大本山の禅寺に入り修行を始めたが、高僧との毎晩の禅問答が空虚で馬鹿馬鹿しくなって、俺は隔離された庵で自慰をして満たされる人間ではないと飛び出して、日本中を放浪していた。
生涯、社会の地べたを這い回って生き抜いてやろう、そう想ったのがその頃だ。
忘れ去られた人たちこそ俺は仲良く関わっている、これが67年のスタンスになった。
不動産屋なのになんでそんなことを? どうしてそこまで関わってる? 何十年もそんなことを言われ続けて来たが、それは今でもナニも変わってない。
お洒落な嘘ばかりで見栄や我欲の巣窟でもある銀座の街で起業していても、地方に出掛けることも多いのは、そんな生き方価値観が根底にあるからだ。
そうして誰とも違う価値観・スタンスで生きて来たからこそ、とんでもなく愉快な関わり合いがアチコチにたくさん出来ている。
暇がない幸せ、休んで自分を労わることがない幸せ、生きてるって素晴らしいんだぜ。
死ぬまで社会での立ち位置を決めているからこそ、腹の底からいつも笑ってる。