テレビや新聞だけでなくネットの世界でも、いまの大人たちはナニをやっているんだろうかと、報道という名の自慰ゴッコは無感情にシャットアウト。
利益・収益同根の学芸会やお遊戯会にその日常は埋没してしまって、それを傍観する善良なる庶民の皆様方を煽動して、島国の未来は沈没・溺死という訳か。
一緒に喜んでる子供や若者も終わってるだろう。
笑える島国の広報媒体猿芝居ゴッコ。
しっかり良い子でマニュアル医療を受けて、優等生にワクチンうって、逝きなさい。
情報封鎖されたまんまの島国では、激動している世界の話は関係ないらしい。
先週の安いとこで仕込んで置いた短期の金(ゴールド)が、吹きあがっている。
長期はすでに6倍7倍になって高い山の頂に埋めて放置したまんまだが、20年物だと地球に還っているんじゃ~ないだろうか。
そういうお笑いが俺にはたくさんある。
ゼニカネなんざそんなもんさ。
すべてお見通しだ。
義務教育や高等教育はまともに受けていなし、金融や経済すら学んではいなくて、経営やノウハウは現場で痛い目に遭って身に着けて来た。
これで銀座で30年、周旋屋を続けて居る。
もちろん無借金・負債無し、個人も複数の経営する法人も貸し借りすら持ってない。
メディアやメディア奴隷を笑い飛ばして自由自在に生きて居る。
いつも今が一番に愉快で充実している。
人間の世界のことは、人間をとことん知ることでナントでもなるのさ。
知識やマニュアルやハウツー本など無視して、ひたすら愛と恋で生きて来た。
ここは、笑うとこだ。
先週は巣鴨のとげぬき地蔵へ、高齢者らを連れて出掛けておった。
南青山へと仕事に出掛けるついでに遠回りして、愉快に同行させていた。
参道ではいちいち覗いてまわって、大声で店の者らとも笑い合って、楽しかったろう。
高齢者の介護は、おなじ高齢者たちと一緒にやるのが一番に良い。
高齢者にも個々の性格があり、個々の生きて来た経験があり、それを生かせて一緒に対応する、俺の場合はそんな介護を続けているから、身内でも無い高齢者でも関わったならば一緒に、それでどんどん高齢者同士も新しい日常が生まれて来る。
そうすることによって介護の経験のまるでない高齢者自身も、自分の老いについて勉強になるし自覚するようにもなる。
あとはいつも俺も含めて、皆でボケを乱暴に笑い飛ばしてやる。
気難しい高齢者たちをまとめて笑って行動できる大人になってからのお話だがな。
冥途の土産にと、大笑いだ。
昨日は忙しい仕事の合間に高齢者を連れて出掛け、古いお札やナニやらを納めるお手伝いと深川の本当の歴史について教えてやってた。
俺の店の神棚には、いつも年初に小綺麗な一年を送った寺社の白札をもらってきて、俺自身がそこに入っている。
そういう儀式を30年続けて来た。
宗派利得のある宗教ではなくって、俺が神になり生き仏になって生きる。
神棚にいる自分に、いつも問いかけている。
お前はそれでエエんか? そんな生き様でエエんか? そんな軟なオスで満足しておるんか? おい糞爺ィ! 気合入れとけや!! と。
まわりの人間は皆知っている笑い話だが、真面目に30年続けて居る。
今日は2年か3年前に大往生したオヤジの命日だが、俺の行動を真似ておなじ大寺院の合同墓に入ってる連中の身内最低限の者らと一緒に、年明けに合同法要をするつもりでいる。
元クリスチャン、元日蓮宗、元真言宗・・・いろいろだが、今や太陽だけに手を合わせてるような笑顔がある。
質素に、宴会もせず、粛々と、目立たぬようにやる。
金儲けの道具にはならないし、させない。
見栄張り・成金な猿らにはナニも伝えないし、知らせない。
供養とは、自分のことをすべて横に置いても本当の想いを持つ者だけで充分だろう。
生きてる者の自己弁護や、後悔の誤魔化しや、増してや生きてる猿の見栄張りの具や金儲けに利用する集会ではない。
自慰に利用して来たような昭和の風習は、みっともないから止めたがエエで。
俺には俺の66年かけて地べたを這い回って生きて来た法則がある。
人間の社会のことはすべて自分で結論を出してしまっているから、迷いも無い。
人間が万能で、地球や宇宙をも変えられると自惚れ果てて来たところで、ゲームはジ・エンドだろう。
みなで淘汰されて行けばエエのんさ。
それに従わずに逆らい続けて生きて居る者だけが残れば、地球や宇宙もゴミが減る。
お尻ぺんぺんの悪い子の時代さ。
右へ倣えのゴミと化してしまってる人間なんざ、淘汰されるのが宿命ではある。
金で人間界のすべてを手に入れて、自在に動かせて支配して支配されることを喜ぶ時代が終われば、皆がその日常に両手が届く範囲での現実を見直すようになり、大きく大袈裟なモノはゴミになる。
西洋の歴史を見ていると、キリスト教による洗脳と支配は終わりつつあることが解る。
大きな支配の嘘が露呈し、逆にやり過ぎにも思える民主化・平等主義が破壊の先陣を切ると、振り子は反対に大きく振れるが、じきに静かに落ち着いて来る。
そんな時期になっている。
大企業化やグローバリゼーションという一羽一絡げな人間支配は楽を安易に求める怠惰な性癖へと移行して、終わりになる。
個々がそれぞれに真剣に自分の命について考えるようになれば、自営は増え、大きな戦争も諍いも無くなって来る。
俺がガキの頃から考えていた世界へと向かっている。
冷え切った寒風吹きすさぶ山の頂で、日の出を感じる時の温もりとおなじで、個々の存在の温もりを大事にする時代になれば、宗教なぞ要らんがな。
その為には個々が自分に厳しく生きる日常を持つ必要があるが、出来るかな?
世界はそんな時代に向かい始めているが、島国の安楽死を求める猿の国では、時代遅れの催しモノが相変わらずに大衆を振り回している。
さ、今夜は千葉のド田舎での通夜に90婆さんと出掛けてくる。
見栄張りで昭和の大家族を背負って生きたオヤジの遺した最後の負の遺産でもある。
借金やらナニやらは俺がすべてキレイにしてやって来ているから婆様は呑気なもんだ。
いい迷惑な飲食は遠慮して、終ったら温かい旨いモノでも愉快に賑やかに喰わしてやろうと思っている。
靴の中に入れるホカロンやら、腰に貼るホカロンやら、いつもの準備も終わってる。
時代はどんどん変わっておって、今までの常識が非常識になっているのさ。