山に登り、海で泳いでいると、自然に岩や石、地層や土壌の不思議さにも、いつも接している。
野生の動物や植物もそうだし、不思議で興味深々なことは、銀座にいる時よりもはるかに多くなる。
だから詳しくなるし、その興味でもって次の行動が決まって行くことも多い。
別に予定入れた団体ツアーで動いてる訳でもなく、自由自在な立場で遊び呆けてるから、キリがなくなってる。
あれがこうなら、こっちはもっとそうだろう・・・とか、部屋に閉じこもって画面ばかり眺めてる学者や研究者よりも、現場に居て触れてる時間が長いから、想像はどんどん大きくなってくる。
たまに尻の蒼い学者や研究者の論文を読んだりすると、無知だな~、馬鹿だな~ と想うことも多い。
・・・もっと自分の足で動いて考えろよ! そこの、あんたらのことさ。
セクハラだの、パワハラだの、原っぱの無くなった現代らしい、みみっち~話題ばかり。
すくなくとも、俺の生きてる世界では、そんな話題など出てもこないし、興味もない。
自然災害が世界でも多発する日本に生まれた日本人が、規則や法律を細かく規定し、それぞれの立場を細分化して専門化してるのを見てると、この国で常に全体を見渡して生きてないことに、淘汰の現状を知る。
平和ボケ、暇ボケ、手癖の悪くなってる大人ばかり。
これからまた自然災害は多くなってくる。
論理的に、計算づくで、前もって予定通りに、生きて過ごせる時間は減ってくるだろう。
そんな時代を迎えておるというのに・・・
子供をたくさん育てた経験のない大人が増え、キレイゴトばかりの教育論が蔓延って、なんでもかんでも計算づくで子供を育てることが、さも可能なような風潮になっておるが、みなオツムがどうかしておるぜよ。
確かに、今の大人社会を見てると、新聞やテレビにネットという情報手段を使って、コロッと洗脳されてる大勢の国民がいることは解るが、これからの子供らには通用しない。
そんな偉そうなことを抜かしてる大人たちが、自然災害を前に為す術がないオロオロな惨状を見せている。
生きてる意味を考えない、ただただロボットのように働き・消費を繰り返して、群れて安心しておるだけだ。
幼稚と言っても良い。
人間の小ささを知り、地球や宇宙とともに生きるしか方法の無い人間は、どう生きるべきなのか?
昔から、自然災害の多発する時代には、そこで生きる人間は光り輝いておった。
いつも真剣に、死をまじかに見て、夢物語など流行らない時代だったからさ。
そういう時代になって来てる。
人の身勝手な独占欲こそ、人類の悪の根源だ。
しょせんみな独りで産まれ独りで終わる、それが解っておればみな自由自在で良い。
そこでオツムだけで生きてる相手と関わってしまったなら、あとはご縁があるかないか・・・そんなとこ。
手前勝手な空想と、錯覚と誤解と、みな独りで勝手にやってる話だから、それが上手く噛み合ってるときだけのご愛敬、じきに不信と不安とが嫉妬や憤怒に変わるとき、己のことは棚にあげておきながら恨むのさ。
いつもね、後悔しない生き方を続けてると、どうでもエエことやんけ。
人は、そこに居る人いがいに他にはいない。
一期一会とは、そういうことだ。
他の機会には、今は無い。