手ごろに登れる那須の山々は強風で有名な場所で、荒れてる時は身体を45度に傾けても倒れないような愉快な場所だが、テレビやネットの天気図だけで登ってる浅はかな登山者たちは、よく吹き飛ばされている。
あちこちで起きている山の遭難は、だいたいが自業自得、そんだけのことだろう。
サラリーマンや公務員が連休に入ると、迷惑メールや迷惑電話もお休みになってる。
間抜けな猿の島国ではこれが常識だが、海外から狙われるのはそんな集団行動の阿呆な隙間、大笑いだろう。
コロナ感染するから家から出るな! 地震が来るから家から出るな! 怖い台風が来るから家から出るな! 津波が来るから家から出るな! ・・・そうしてテレビに新聞・ネットを見て暮らしないさいという洗脳は、情報操作と偏向報道の餌食になりなさい! という話。
俺なんざ、最初から関係なしにせっせと忙しく出掛けてばかり、誰が言うことなんざ聞くもんか。
米英欧日は、イスラエルを攻撃したハマスやパレスチナを一方的なテロ集団・悪人扱いをするが、ウクライナと同じで、今までイスラエルに資金援助や兵器の支給を続けて、終わらない紛争を焚き付けて悪さの限りをしてきたのはイスラエルと他ならぬバックに付いていた米英欧日の側。
イギリスのロスチャイルドがイスラエルを勝手に作って歴史を弄った発祥以来、アラブ諸国はロクでもない日常に封印されてしまった。
これらの騒動も、米英欧日の敗北で終わるだろうが、いまはサウジアラビアとイランの仲直りが大事で、イスラエルはそれを煙に巻く役柄を演じさせられている。
ウクライナもそうだが、その一般市民を巻き込んで起こされる騒動では、被害者はいつも力の無い国民だということ。
哀れなもんだが、金儲けの為ならなんでもかんでもやり続けている側の、惨めな撤退で幕は下ろされる日は近い。
メディア奴隷な日本では、アメリカ・イスラエルを同列にしているが、これからは中東の地図には米軍はいなくなるだろう。
アメリカ賛歌な日本のメディアなどは掌返しばかり、俺のまわりの仲の良い古い自営の連中は、大谷にも興味はなく、サッカー日本やバレー日本やラグビー日本にも、まったく興味はない。
惨めな商業主義の奴隷となって、ゼニカネに全てを捧げる宗教的な日本人の哀れな末路が目前に迫っている時に、大挙して日本に観光にやってきている買春ツアーな外国人にも、興味はない。
安い賃金で労働者たちを買い漁っていた日本人が、これからは安い賃金で買われる時代になると言うのに、ま~だメディアに騙されて仮想空間で自慰を続けている集団心理にも、まったく興味はない。
ウクライナ紛争ではいまだにインチキ米英欧側の優秀な植民地を演じているが、イスラエルでも同じ立場で自主性なく負ける側の優秀な植民地として猿真似に余念がないが、今が良ければいい、ゼニカネが貰えるならいい、そんな軽薄猿が手にするゼニカネは、今まで同じ日本人が奪い取られたゼニカネの100分の1、衰退し続けているマゾな国はインチキと玩具の国だったと、世界に示している。
米国債の金利上昇が止まらない。
売られ続けているから、金利は上がっている。
日本は財務省も日銀も、アメリカのモノも言えない支店のような立場だから、いつも一緒に仲良しこよし。
ドルを陰ながら支える為にと、円安を続けている。
世界最大の信用市場でナニが起きているのか?
日本でも亡霊しか入居しないだろうな商業ビルの開発がバブルのように続いているが、アメリカでは馬鹿デカイ泡の塊が弾けつつあったところに、最期のひと蹴りになりそうな金利高だ。
俺には関係の無い話だが、経済を語るお利口さんたちには、イモずる式の破綻が始まりそうな気配ではある。
要らないモノを作り続けることが資本主義社会の常識、これはいつまでも続かない。
要らないモノを埋めるために要らない流行をメディアで作り・・・すでに米英欧日のお遊びには参加者がいなくなってるさ。
一気に寒くなった昨日今日、秋の気配ではなく冬の気配に感じられるが、米英欧日の社会でも、斜陽な夕陽が寂しく沈みつつある。
呑気にジャーニーズ騒動にうつつを抜かしている日本人には、な~んにも解らないんだろうな。
島国の幼稚なお子ちゃま連中が引き起こす騒動は、いつも変態珍獣の痴話ばかりで幕を閉じるのが見飽きた景色。
すでに山の獣よりも遥かに劣化してしまった現代人の、右往左往の醜態はコロナ禍でも呆れ果てたもんだったが、せっせとワクチン接種に並んでいた珍獣の群れは、こんどはどんなお笑い猿劇場を開演してくれるのか?
踊れ踊れ、踊り狂って、飲めや歌えや、酒も薬も大量に摂取して、酒池肉林に狂い果てれば極楽浄土かや。
やっちもね~。
日本の昔の長屋暮らしでは、誰の子供か解らない状況を作っておいて、子供を産み、そこで関わり合いのあった男すべてから扶養されるような状況を自ら作っていた女も多かった。
遺伝子解析だとか、血液型判定だとか、そんな小難しいことはいっさいうやむやな時代の話だ。
利口といえば利口な女の知恵ではある。
身に覚えのある男どもは、どうしても母子が困ったとなれば救いの手を差し伸べる。
こういうことはあちこちで起こっていた事実だ。
俺より前の時代では、出生日は申請日だったから、実際の誕生日などデタラメな状況も多かった。
あやふやで、いい加減なことが、日常の普通のことだった。
現代でも、知らぬは男ばかりなりという実話も多い。
特に俺のような妙齢の女性が多く出入りする周旋屋には、腹を抱えるような女の凄い話は腐るほど集まる。
そんな社会の身勝手な錯覚と勘違いなど超え果てて生きてる俺なんかは、生きて居るということは、それだけでも愉快で愉しいことではある。
いちいちここでは書かないけんどもな、貴方がたの社会では、それが現実ではある。
そこで蠢くメスの凄さは、島国のオスなんざ喰われて終わりだろう。
ということで、世間の連休にはいつも別行動。
仕事をやっていたり、時間をずらして出掛けるのが常だが、家でジッと籠ってることはない。
たっぷり汗をかいて、たらふく美味いものを喰って、金など使わずとも笑って過ごしている。