パラリンピックのような障害者スポーツや、チャリティーの興行が行われる時には、かならず絵になる参加者探しを始めて、商品価値の高い障害者選びから始めている。
障害者としての商品価値。
なんでもかんでもゼニカネ勘定さ。
ゼニカネ勘定を優先するから、人間関係も歪んだベタベタ・ダラダラ、責任のなすりつけ合い。
興行をうつ方も、観衆も、みな退屈な自意識過剰の甘ったれ。
そこにキレイゴトで加わって行く幼児な障害者なんざ、傷ついて、そんな筈ではなかった・・・と、後悔の涙。
安易なお互い様だろうよ、みっともない未熟な大人たちがウジャウジャこんがらがってる。
釣り具屋で売ってるイソメの団子状態。
俺なんざ大笑いしてやるが、当人たちは必死なのよね。
広告宣伝の塔として価値ある障害者を探し、興行を成功させることを主催者やスポンサーは第一義に考える。
そこに出場してるから日本一、世界一なのではなくて、あくまでも見世物になってる連中の日本一・世界一というだけの意味しかない。
これは健常者のオリンピックや世界大会・ノーベル賞でも同じだ。
細かな競技ルールや出場資格を決め、選ばれたものしか出場できない。
審査する側、選ぶ側のメンツはいつも・・・なんでお前らが? というオチまで一緒。
くだらね~退屈な日常さ。
それを解ったうえで楽しむ分には問題はないだろうが、そこでお子ちゃまなキレイゴトを抜かす連中や、センチメンタル乙女ちゃんがいるのを見ると、間抜けな猿にしか見えない。
素敵なドラマや、お涙チョウダイの苦労話なんか、本当はいらない。
すでにそんな新しい時代になっているというのに、乙女チックな大人社会が勝手に自画自賛してる恥ずかしい競技会、そういう位置付けになりつつある。
東京オリンピックね~、本当に喜んで騒いでる日本人はいるのかどうか?
興味も無い日本人も多くなってる。
夢中になってるエエ大人たちの、恥ずかしい醜いアンヨだけが見えてるよ。
山の獣たちは、猛暑の夏を過ごし、一気に秋から冬へと様変わりする奥山の景色の中で、食い物をあさって暗い時分から森を歩き回っている。
だいたいが夜行性でもある。
特に草食で小型の獣たちにとっては、暗い夜更けが安全な時間帯でもある。
登山も、ヘッドライトをつけて暗いうちから登り始めることが多い。
いろんな物音を聞きながら、こちらも返事とばかりに大声を発したりすることもある。
ピタッと物音や鳴き声が止むが、すぐにまた何事もなかったかのように賑やかになる。
みな、生きて行かなければいけないから、いちいち人間ごときにビビってる訳にもいかないんだよ。
いまや、ビクビク自信のない日常を送ってるのは、この地球では人類だけだろう。
これも大笑いのネタではある。