先日の激しい雷雨で、南青山で管理している古いマンションやビルの雨漏れが心配になり出掛けておった。
これからの梅雨の季節は雨漏れには気をつけなければいけない時節になる。
顧客に会う訳でもなかったので、89歳の暇な婆様を同行してやって、さ~てどこで昼飯を食うべか? と走っておったら、スカイツリーにでも行ってみるか? となった。
混み具合をチェックすれば通常の平日よりも半分くらいの人出だったから、雲も多かったが眺望は望めるだろうとそのまんま車を走らせてやった。
いつもゴッタ返しているソラマチも意外に空いておった。
腹は減っていたが観光客のランチ・タイムだったから今がチャンスとばかりにチケットを買ったが、想定通りの大当たりだった。
アッという間に天空回廊まで登って、89歳の婆様は初めてだったので、揺れてるよ揺れてるよと大騒ぎだった。
・・・極楽浄土に来たような感じだろう?
大笑いしてやると
・・・いや~、ここまで高いと怖くなくなるね~
360度の眺望を俺のガイドで楽しんで、その俺は毎週いつもこの4~5倍の高さの山のてっぺんに登っていると教えてやったがな。
降りてサッサと昼飯を喰って戻って来た。
3時間チョイの雨漏れチェックの外出になった。
スカイツリーの入場料金も障害者割引で同行者1名まで半額になるから、二人で一人分。
前期高齢者の障害者に見えない爺ィを、89歳の高齢者に見えない婆ァが介助する構図になっておった。
・・・今夜は悪い夢でも見なきゃ~いいがな
・・・な~に、天国に行って来たようなもんじゃ
喜んでおった。
地球の表層でしか生きて行けない人類は、そのあちこちで神や仏という現世を離れた偶像を作りあげてその地域地域で大事にして来たが、それが教義を作りあげて宗教となった。
小難しい取り決めやルールを作ってしまうと、それは支配する側の有利な利益となる。
この日本という四季と厳しい自然災害とともに存在する島国では、もっと現実的な神や仏というものが存在して来たのが本当のことだ。
生きて居る人間が、すなわち神や仏となるように生きる、八百万の神々が共存共栄して助け合って笑って暮らす島国だったのが、本当のところだろう。
後付けの仏教やキリスト教の教義や経典などが伝来して以降は、それに染まっては互いに争うようになったが、それは島国にとっては悲しい後退でしかなかった。
神に祈っている暇はない、仏に手を合わせてる時間がない、厳しい自然災害は生きて居る人間の経験と知恵だけで乗り越えて行かなければならない現実でしかなく、だからこそひとりひとりの人間が生きながら神となり仏になって手の届く範囲で自分の生の時間を犠牲にして生きて来た。
いま、この国の景色を見回してみると、そんな大人社会などどこにもないだろう。
大地震が来て、大津波が来て、怖ろしく荒れ狂う台風が来て、頼りになるものは生きて居る人間だけだと知っていた民族だったのが日本の民だったが、いまやナンの知識も経験も持たず、携帯の画面で検索しているのが哀れな実態だ。
世界から注目されて投資されて島国が豊かになる為には、と考えて日銭商売に精を出しているようでは、本当の豊かさなど日本人には手には入らない。
島国には天然資源などたいしてなく、自然災害の見本市のような国土で、ではナニを売りモノにして世界を呼び込むのか?
今まさに来日している外国人たちを見ていると、とてもじゃないが大金を落とす連中などではなく、ただ安い円と後進国化したおとなしい観光国で中流の満足感を味わう者ばかりがやって来ている。
日本人がエコノミック・アニマルと言われ、一億総中流だとほざいていた時代のまさに逆さまな時代になっているだけだ。
日本人の側も、目先の利益の為に変わったモノを提供しているだけのことだ。
写真写りが良い、流行に敏感、みんながやっている、自作自演の安い商売ばかり、昭和の頃ならばともかくも本当に日本の島国に世界の目を向けさせるには、なんの魅力にもならないだろう。
上っ面の、安い携帯画面に載せるための陳列棚みたいな街では、社会が崩壊して来る。
日本人ひとりひとりがその生き様に自信を持ち、他人や世界の評価に迎合などせずに、四季があり厳しい自然環境の中でどう生きてゆくのかを実践する。
それが出来なければアメリカの植民地から中国の植民地に変わるだけで、この国の未来は尻すぼみ、ダメだろうな。
日常の生き方価値観を変えてみせることもせずに、親の言うがまんま、先生の言うがまんま、国家の言うがまんま、良い子になってそれを競っているばかりの島国では、人間としての魅力などナニも無いだろう。
先頭に立って、ナニも怖れるモノなど無いぞ!と、背中で見せてやって笑って生きて居る大人がもっと増えて行かなければ、本当の日本の歴史など喪失してしまい、司馬遼太郎やナニやらカニやらが支配者の側に合わせるように作った嘘の歴史に振り回されて、猿の島国で終わってまうがな。
テレビや新聞という日本人洗脳システムに対抗する位置付けで、TwitterやYouTubeというネットメディアがたくさん社会に浸透しているが、その資本投機の実態を見ていれば、ナニも変わってないだろうと解る。
アル中に酒の種類を変えて飲ませているだけで、薬中に麻薬の種類を変えて与えているだけで、どちらも三文演者が猿芝居。
銀座の街でも携帯の画面ばかり見ている猿ばかりが行き交い、陽が落ちるとアルコールに薬漬け、異様な景色が日常になっている。
テレビや新聞よりも手軽で直接的に洗脳や煽動が身近になっただけ。
最初はサクラとヤラセだけだった出会い系サイトが、踊らされた猿の群がりで普通の結婚紹介所にもなってしまってるのは、テレビや新聞がやっていた読者・視聴者参加型詐欺の手口の猿真似だ。
露出狂と覗き見趣味を引き合わせるコンサルタントは、今さらな話で、管理社会に消費生活という刑務所の可動域がどんどん縮んで狭くなっているだけのこと。
常識だとか普通だとか、代々踏襲して守っているとか、つつましく伝統を継いでいるとか、学者や専門家や高学歴がどうたらこうたらも、ただの広告塔なだけで猿は猿。
やっちもね~時代を生きている。
さ、次の仕事に取り掛かってゆく。
死ぬまで終わりの無い自営は、こうやって日常を積み重ねて行くだけだ。