オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

煙突からサンタがやってくるんだ

2024-12-25 11:55:23 | 地球と生きる

 

 

 どうせ嘘の作り話なら、優雅にお洒落にやれば良いモノを、昭和から平成・令和と安い猿芝居は劣化し続けて居るから、編集や脚色だけではどうにもならなくなっている。

 元の物語から新しいモノを作る時代になっているというのに、もはやオツムがAIロボットにこき使われる用に教育されている現代人には、そんな才能などナニも無いだろう。

 どうするつもりなのか? メディア奴隷のトドの詰まりの惨状も見えているだろう。

 

 この年末に高級マンションでクリーニング業者の初歩的なミスから水漏れ騒動が起きていて、その対応で振り回されている。

 手を抜く、気を抜く、値段を抜く、携帯ばかりを弄って遊んでるロクでもないボ~っとした日本人が社会の崩壊を助長する。

 自営は組織人とは違って自衛を自分だけでやる訳で、だから厳しさや冷酷なまでの対応が常に必要になってくるが、自営同士で助け合ってダラダラやってると大損害を被る訳だ。

 長くやれば古い付き合いの人間は多くなってるが、笑ってはいてもいつでも切り捨てて敵対できる状態を保ってなければ、ただのキレイごとで巻き添えを喰らう。

 自営の強い者どうしで距離を保ちながら、共存共栄してゆくのが理想なんだろうがね。

 

 89歳になる婆さんが携帯電話が壊れたというので見に行くと、充電をしていなかっただけのことで、いつも充電スタンドに立てておきなさいと大笑い。

 ・・・携帯電話はナニで動いているか解ってる?? 空気?? 味噌?? 電池だよ! 

 家の電話線をネズミにかじられて電話がつながらなくなっていたから、ドコモに行ったら冷たく追い返されたと怒っていたこともあったが

 ・・・ドコモは、携帯電話の会社だよ

 いつものお育ちのよろしい珍返事は

 ・・・あら、そうなの~

 人間も90年近く生きておれば、そりゃ~ボケてくるのが当たり前のことで、俺はただただ目を見て大笑いしている。

 かくいう俺も先日の夜に独り暮らしの婆さんちに差し入れを買うのでスーパーに入ったが、出る時にカートに荷物を積んだまんま、西新宿の歩道をガチャガチャ歩いていた。

 俺らの世代は長生きは叶うまいが・・・箱根の祟りか? と大笑い。

 高齢者を笑い飛ばしながら、自分もおなじようなことを続けて居る。

 しかし箱根で喰ったオマールエビのパスタは旨かったぜ。

 豆のスープも苦みが利いてて旨かった。

 サンタも煙突に登っておったがな。

 ・・・ということにしておこう。

 月曜日は仕事でアチコチに出掛けるのに、90歳の婆さんを車に乗せておいて、ランチは八重洲でニンニク入りのラーメンを一緒に食べておった。

 常に高齢者が傍にいるような状況で生きて居る。

 いろんなことが起き、いろんな楽しい会話もあるもんさ。

 休んでる暇などなくって、鍛えてパワーの源を摂り入れてるだけ。

 

 コロナワクチン接種をした連中ばかりがコロナに何度も罹って、当然のようにインフルエンザや肺炎にも罹っているのが、それは俺のまわりの普通の話。 

 反ワクチンを叫んでる旧統一教会の反対別働隊参政党の信者たちは、その売り文句に自爆して、逆のオツムの難病・奇病に罹っている。

 組織が組織を攻撃して争いを始めたら、その双方を個人が両成敗するのが一番だ。

 どいつもこいつも皆が猿芝居に夢中になって、メディアの錯乱ジューサーミキサーで撹拌されて右往左往。

 いつまでもメディアが用意する選択肢の中でだけ、良いだの悪いだのとほざいている。

 馬鹿は死ななきゃ治らない。

 永遠に抜けられないメディア奴隷の成れの果て。

 人間の生き方・価値観は選択肢の中から選ぶものではなくって、すべて自分で創れるということを忘れてしまってる。

 銀座で頑張っている外国人の自営業者らは、俺と生き方や価値観は似通っているのが多いが、組織やチームや集団で生きて居る日本人はダメだな。

 メディア奴隷のまんま、従順に生きてゆくしかない。

 コロナ騒動の対応を守銭奴たちが操って弄ったおかげで、その後も素直に従っている猿が多いから、酷いことが幾らでも起きて来るだろう。

 自業自得のお話だ。

 

 政治の選挙ですら、メディアの煽動と洗脳が強力な力を持ってしまっている馬鹿馬鹿しい状況が昭和の時代から続いている。

 新聞・テレビからネットメディアへと変わっても、楽して生きて居る国民にはなくてはならない情報源なんだとさ。

 口コミだけで長く生きて居る俺には、水と油ほども違う世界が主流になっている。

 おなじような趣味嗜好の、おなじような価値観の、おなじような顔した猿ばかりが、群れて島国では暮らすようになってる。

 並行するように引き籠もりや自閉症という訳のわからない患者が増えて、孤立して生きるような家庭もある。

 個々という特性を徹底的に研ぎ澄まして生きるのではなく、大雑把な選択肢の中から自分というものを選んで生きなければいけない色付け区分け社会では、常に本当の自分はもっと別に居る筈だという思いがなくならない。

 当たり前のことだろう。

 そんな自信喪失した社会で、子や孫に接している大人たちは、どういう教育をするのかすら貴方任せの酷い育て方になっている。

 なにもせずに放り投げている方がまだましだろう。

 徹底的に舐めるように可愛がって傍で生き方を見せてやっておれば、10歳を過ぎたら好き勝手に生きてゆけば良い。

 失敗もアクシデントもトラブルも、すべて自分で背負わせて手助けはしない。

 それでダメになるならば、残念だったな、そういうことだ。

 山の獣はそうやって生きて居るからこそ、進化と言う環境適応力に長けた獣だけが生き残って来ている。

 現代社会の教育なんてお遊びは、ロボットを量産している工場でのマニュアルになってるだけだろう。

 こんな島国では進化を続ける人間なんて育つ訳もなく、そこから俺のようにガキの時分から群れから離れて生きてゆくなんてまず難しい社会になっている。

 俺は自分の子供らよりも、いまでも進化し続けて居る。

 父親がナニを考えているのかすら、考え及ばずついては来れないだろう。

 

 自由自在に好き勝手に生きて居るということは、社会という集団の中では軋轢や摩擦ばかりの日常になる。

 それをすべて自分の中だけでなく周囲にも納得させようと生きることは、なかなかに大変な作業の継続が要る。

 10年やそこら続けていたって信用は拡がらなくって、死ぬまで続けられる生き様がなければダメだろう。

 自分の死をピリオドにするストーリーを作っておかなければいけない。

 いろんな突発的な障害は当然いくらでも起きる。

 それをも逃げずに解決しては思考を変えて前に進む、そんな繰り返しになる。

 毎週のように高い山の頂から地球を見渡している時には、格別な気分になれる訳だ。

 

 まわりの企業はどんどん休みに入って行くが、当社はいつものように31日まで普通にやって、1月も元旦から店には出る。

 猿の群れがウジャウジャ大騒動を起こす時は、近寄らない・触れない・関わらない。

 



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