シャガという白い花が咲いている。
鮮やかな青紫の花大根と、黄色の菜の花と、赤いミツバツツジと一緒に咲いていると、ピンクの桜吹雪の下で、とても綺麗だ。
役行者が自分で自分を彫ったという木造りの彫りモノを、他の国宝級の色んなモノと一緒に見て来たが、中国でよく見かける仙人だった。
細く絞りあげた身体には筋肉や贅肉など余計なモノは無く、細い顔に長いアゴ髭、後世に修験者や山伏が見習った元祖とも言われる人だったが、修験者・山伏と言えば筋骨隆々、野獣のようなイメージもある厳しい修行者のように言われているが、本来はそういう感じだっただろう。
修験者や山伏という人たちは、元々は金・銀や鉄などの鉱山鉱脈の発掘を生業にしていた祖先を持つ人たちで、山岳信仰や仏教伝来時にもそれは受け継がれ、一般的に語られている信仰・宗教とは違って、もっと現実的な目的を持って深山幽谷を徘徊していたのが本当の話で、人の寄り付かない山を登る者ならみな知っていることだ。
役行者にしても創造された人物であって、その修験者や山伏の歴史の中で脈々と育まれた英雄像という奴だ。
なんでもかんでも暇人が喰う為に歴史を弄り過ぎてる我が国では、嘘は多く、その嘘が教科書に載っていたりするわけだから、開いた口は塞がらない。
和紙作りや茶葉栽培や土木・製錬、これらも仏教伝来に前後して、中国からやって来ている。
そんな風に元々が中国やロシアに近い島国なのに、台湾と一緒に米・英・西側諸国に媚を売り続けているこの島国は、どうなるんだろうかね~。
そんなことを考えた山寺での、気持ちの良い春の一興。
チンケな欲ボケ岸田が認知バイデンに会うために、いまや精神病院や老人ホームとも言えないホワイト・ハウスにノコノコ呼ばれて、日本人の財産を土産にこれ以上ない屈辱的な訪問を敢行している。
日本政府専用機が着陸したのは空軍基地? 出迎え映像もチンケな猿芝居で、幅の無いスマホの縦画像を多用しているのは自作自演の証。
ハリウッドから掻き集めたホワイトハウス関係者風のエキストラに着ぐるみ・お面をかぶせ、ゴースト国賓級の閑散としたお出迎え。
みっともないを通り越している場末の喜劇。
間抜けやな~、世界からは見透かされて笑われて、哀れなもんだ。
時間を合わせるような円安が進み、日銀が介入するとメディアに言わしても、たかだか日銀の介入ごとき一瞬で飲み込んでやろうと余裕の笑みを浮かべている外人部隊の前では、いまや幼稚な自画自賛すら口籠り、為すすべもない。
岸田はナニをしに行ってるのか? 10兆円もの円をドルに換えて献上しているからこそ円安は進んで行き、アメリカのウクライナ支援に全額使われる。
と同時に自衛隊を軍隊として扱い、憲法など無視して対中国・対ロシアの先制攻撃部隊にする命令を受けに行っている。
その為に膨大な兵器を買う約束にも署名して、今後も言われるがまんまの費用を差し出す協定にも署名して、犬や猫ですら喜ばない名誉をもらったんだとさ。
いつまで経っても惨めで弱い島国のまま、内弁慶な恫喝逆切れで国民には仕方ないんだと胸を張って見せる猿芝居は、もはや恥ずかしいを通り越している。
世界の覇権からドルとともに下野するアメリカは、トランプによって再生しようとしているが、分裂する方が近道だろうな。
ノ〜天気なメディア奴隷の国民を目覚めさせるには、物価の止まらない上昇と、公共料金や増税しかない。
日々のあらゆるものの負担の上昇は、新聞やテレビやネットに埋没して暮らしている猿な社会を、破壊してゆく。
世界では怖ろしいことが起き続けているというのに、島国の春はキチガイ色に染まって連日連夜の飲めや歌えや酒池肉林。
中央区内で当社が三十年以上も管理している古い築60年にもなるオフィスビルには、6畳くらいの部屋がたくさんあり、共同トイレに共同ミニキッチンという仕様だが、この20年くらいは半分くらいしか入ってなかった。
貸主も当社とおなじで借金がないから呑気なもので、必死に動く訳でもなく、逆に貸す部屋の老朽化など平気なもんで、入居者を選んでるくらいだった。
そんなビルが、いよいよ満室になって来た。
な~に、それだけのお話さ。
人生の経験は、金では買えないものだ。
金を出しても買えないモノと言った方が良いか。
命が一本の木だとしたら、その木の枝に実る果実と言っても良い。
死ぬまでに、どれほどの色んな素敵な果実を実らせるか、これを収穫と呼ぶ。
金で買えるモノは、買った時の興奮が最高潮で、あとはモノが色褪せて老朽化してゆくだけのことで、古くなれば味気のない単なる負債になる。
経験によって実る果実は、時間が経てば経つほどに、色も香りも味も熟成されてゆく。
そんな経験につぎ込むゼニカネはケチる必要などナニも無いが、その経験が自分で創造して自分で動いた経験であること、まわりや群れで動いた経験ではないこと、それに費やす食い扶持も自分で獲得したものだけでこなす、そんな条件はついてくる。
餌をもらうことに馴れた豚では、ナニをかいわんやだ。
独りで死を身近に感じ、なんだたいしたことはないなと感じ、そこからナニにも拠らずに独断即決で生きて得た経験は、その実りも長く続き、簡単には枝から落ちない。
山から眺めた富士山に、薄い傘雲がかかっていたから・・・こりゃあ、とっととなめこ汁を飲んで舞茸の天婦羅を喰っておかなきゃ~・・・というような、現代人にはまんず理解など出来ない独自の行動原理だけで俺は半世紀以上を笑って過ごして来てる。
マニュアルなど通用しない生は、誰にも解らない日常となって積み重なっている。