銀座は、消費を煽る広告・宣伝いがい、クリスマスも静かなものだった。
田舎からの良いお客さんや、外国人らで相変わらずゴッタ返してる中央通り周辺だけで、それ以外はとっとと店を閉めてのんびり過ごしてる自営業者が多い。
スポンサーのヒモ付きや、企業のやってるオママゴトや、そんな連中は時代錯誤も甚だしい。
もうね、そんな時代ではなくなってる。
与・野党の政治や役人の椅子争いなんて猿山の騒動には興味も失せて、大金持ちがどうしたこうしたの話題も、どのみち退屈で孤独で寂しい老後しかないのが見えてる訳で、どうでもいい話になってる。
価値の多様化とは言うが、消費する商品の多様化のことばかりで、なんで生きるの? ナニが楽しくて生きてるの? の価値については、な~んも多様化の話は出てはこない。
人間が生きる、この価値について、大人社会は黙り込んでしまってて、こうやって生きても良いんだぜ!! という、胸を張って変人・奇人で生きてる俺みたいな大人がどんどんいなくなってる。
これこそ、哀しいことだろう。
常識や良識、道徳に倫理、それもこれも根拠については自信などなくなってて、病的で不健康な奴らが言い合ってる光景は、もう見飽きたぜ。
・・・ということで、当社はいつものように31日まで仕事をしてる。
頂いたお歳暮だけで贅沢な新年の食い物は揃ってるけんども、なんだかね~。
十何代もの先祖の墓が並んでる俺んとこの墓は、小高い丘の上で石碑のまわりに並んでる。
新しい年はその草刈りと掃除で始まりそうなことで、すでに考えるだけで身体が重くなってる。
墓じまいも考えておったが、いまや管理された霊園で2~3代の骨しかない家ばかりの時代、逆に遺して置いてやろうかとも想うようになってるさ。
あの世も霊魂もナニも信じてはおらんが、歴史と記念碑、この国の紛れもない土着の人間だという、証拠にはなるだろう。