旧統一教会・日本会議・勝共連合、漠然とした組織が解りにくいフロント企業や組織を使って、大企業に巣食い、田舎の村社会を巣食い、行政も巣食い、政治や司法にも入り込んでしまって、それぞれの反対勢力にも入り込んでいて、島国の日本を吸い尽くすような蠢きを昭和から続けていたが、まだまだ大メディアの内部に巣食っているために、単細胞軽薄な日本人を玩具にして、生き残ろうと必死になっている。
アメリカ政治の中枢にも入り込んでいるくらいだから、植民地日本にはアメリカの命令という形で高所からの指図が島国を蹂躙して来た。
米・英・西側諸国と対するBRICSという相対する構図の横では、そんな日本占領を目指していた宗教団体と、長年に渡って社会のあらゆる場所で排除できずに黙り込んでいた者も多かった。
この期に一気に決着をつけようと動き出しているが、社会に染み渡った悪臭は、そんなに簡単には排除など出来ないだろうし、正義を振り回す側が人間を知り尽くしていれば良いが、どうもドラマ仕立ての甘ちゃんばかりだから、必死の反撃に耐えられるのかどうか? 自分の生ではそれを為し終えてるオジサンは、笑ってそれを眺めている。
大企業サラリーマンや公務員などと言う、個性を捨てて飼い慣らされた豚舎におれば奴隷の中でも良い生活が出来るんだよという、哀れ提灯な小さな幸せゴッコという根強い洗脳による価値観がある。
なんでも大きく一絡げに括りあげて、個性など無視してマニュアルで管理統治する。
少数の既得権益を握る者らが、大多数から吸い上げる方策が、それだ。
宗教の組織化は自己否定でしかないが、それを許して来た日本人の劣化が先にある。
我欲の近親相姦、世襲制もそう、そういった昭和の時代からのベタベタした薄気味悪さはこの国を衰退に向かわせて、斜眼帯をメディアに着けさせ、島国の中での競争に明け暮れるように仕向けていた訳だ。
メクラマシばかり、芸能・スポーツ・ギャンブルの一芸馬鹿を取り込んで、広告塔にしておけば安泰という、ワンパターンな国民管理は出来上がっている。
この国は外国・周辺国からの圧力がなければ目が覚めない。
その時に島国を維持する体力や精力、知力に独創力が残っておればの話だが・・・。
企業の大企業化や、縦割り行政というものを推進して来た社会は、身勝手で無責任なマニュアル猿たちには生きやすい社会だろうが、そこでは個々の能力は必要ではなく、オリジナリティは罪悪にすらなり、一律おなじ行動や思考をすることが大事という、社会や国家について言えば衰退一途な猿社会がとどの詰まりの結果だった。
そりゃ~息苦しい時代になっている筈だ。
自営の個性豊かな商売人たちが元気に蠢き回っていた時代は面白かった。
相手が大企業だろうが国家だろうが、歯向かって立ち上がって向かって行ってた。
一流企業? 大企業? 公務員? 大量生産と大量消費の歯車を嚙み合わせることばかり進めて来て、価値観も一律洗脳仕上げて、その挙句は成長しない国家、世界でも堕ち続ける国家に落ちぶれ果ててしまってる。
原爆を落とし、脅し上げて、育てて永遠に強奪する植民地化の試みは、成功している。
大きな刑務所の中に集団で放り込んで、偏差値で一律競争させて、そこで幸せを見つける可愛らしいゴッコ遊びに夢中にさせておけば、その塀の中をまとめて管理・統治出来るという、簡単な話だ。
多くの人民を、一気に動かすことが出来る、とても合理的な方法ではある。
世界一、それが上手く行く社会を作り上げてしまってるのが、コロナワクチン接種率で世界の第二位の倍数にもなっている第一位、我が日本だ。
これからは大企業化ではなく、大グループ化ではなく、個々の能力が試される時代になる訳で、共産圏・社会主義国家だった国々が先に新しい試行錯誤を始めている。
残念なことながら、いままで先進国と自惚れていた国々は社会主義化してしまった。
こういう先を見越して自営業者は蠢き回っているのが本当で、国家が滅んだとしても、中国やロシアと仲良く同等の付き合いを始めて行けるように日常を生きて居る。
朝から深夜までスマホやテレビや新聞に夢中になってる猿な日本人とは違い、修練・修行を続けている日本人もいる訳だよ。
古い体質の善良なる庶民の皆様方は、邪魔にしかなってはいない。
黙って横にどいて居れよ。
それとも断末魔の断崖絶壁へと、集団で追い込まれて行けばエエのんさ。
介護を貴方任せにして、金で解決しようとか、病院や施設に丸投げしようとか、介護の公共サービスを使って形だけやってるつもりになってるとか、日常の愛や恋やと同じで自意識過剰な自己満足に終始している光景は腐るほどある。
メディア報道や専門書を読んで猿真似していたり、高齢者ひとりひとりがみな違い、それぞれに合った細かなフォローが必要になるのに、マニュアル通りに一律対応で介護ゴッコを無理強いしてるだけという社会がある。
これは他人と関わり合う愛でも同じで、怪しい専門家が作ったマニュアルに洗脳されて鵜呑みにして、やってるふりの自慰と自己弁護で過ごし、そこでも承認欲求を満たすことが第一になってるのも多い。
子供の教育もおなじで、国家や社会のマニュアルに従ってだけ接しているような親ばかり溢れかえっているだろう。
まず、自分の欲求のことは捨て果てて、相手のことだけをキチンと理解する。
その個性に合わせて接し方を作り上げる作業が、介護であり、愛であり、子供の教育だが、一般的なマニュアルだけでそれを安易にし始めると、上手くはいかなくなり、狂った歯車は戻せなくなってしまってる。
猿には即興の即断即決や多彩な発想などないから、マニュアルから答えを探して、おなじようなケーススタディに明け暮れる。
殺伐とした社会しか残らないだろう。
葬式で泣き崩れている連中は、やれることをすべてやってやらなかった自分に泣いているだけの猿で、とことん動き回った者には、爽やかな笑いしか湧かないものさ。
これが寿命だったと、はっきり言えるまで関わってやった者には後悔なんて調子の良い言い訳はなく、生きたことへの労いだけがある。
生きている者に残るのは次の関わり合いと、それに役立つ創意工夫の経験だけ。
命を失って、茫然自失、座りこんでしまってる猿は、単なる身勝手な自慰ができなくなった喪失感に襲われているだけだから、反省など猿らしくナニも無い。
俺はガキの頃からそんな愚かな大人社会を眺めて嘲笑していた。
やることやらずに、自己満足と承認欲求に染まって猿芝居を繰り返している日本人は、衰退一途だろうと勘づいていた。
だから内容の濃い65年間をたっぷり生きてきたが・・・。
一番小さい銀座生まれで銀座育ちの息子が、揉まれて大人になって来ている。
俺も老いて来てからの子供だったから結構キツかったが、5歳で谷川岳を登り、7歳で太平洋で遠泳1時間、他の兄ちゃんや姉ちゃんとおなじで、10歳までは山や海で徹底的に遊びを叩きこんでやってる。
これが後を継ぐ家は代々国税の重鎮で、爺様は今年勲章をもらっておったが、要介護の身では別に嬉しくもなく、なんだかな~と笑っておった。
先日に病院通いに付き合ってる時に孫の近況を話してやって・・・もう俺の父親としての役割は終わったかな、もう大丈夫・・・と17歳の息子のことを話したら、いやいやもっと見てやってもらわなければと、婆様に懇願されたもんだった。
この婆様の生家は会津柳津の福満虚空蔵菩薩で知れた、赤べこで有名な大本山の禅寺。
その血も受けて、あとは山あり谷ありの自分の人生を、自分で切りひらいて生きて行くだけで良い。
それに負けないようにと、知恵や知識や行動力、体力・精力を、実地で厳しく見せてやってた訳だ。
人間社会でのヘマをしたり、トラブル・アクシデントの対応の仕方も、たくさん見せてやってる。
山の獣は今の日本人のように、ベタベタ野放図に甘やかすことはしない。
気持ちの悪い近親相姦な獣とも言えない生き物に成り果てている日本人は、じきに淘汰されるのが自然の摂理。
教育で受けた洗脳から、必要なものだけ身に着けて、嘘や自作自演の作りモノは排除して、決して自分を見失わないようにと生きて行ける強さは、身に付いたろう。
これからは中国だぜ、仲良くして行かなければ、終わってしまうぜ。
若者たちは今の日本は捨てるべきで、腐った大人社会が粉々になりつつある今は放置しておいて、時期が来れば新しい日本を作れば良い。
俺が家や先祖、伝統や歴史、常識や良識という古い価値観・拘束から、爺婆を解き放ってやったのとおなじように、まず自分自身の中身を鍛え上げてキッチリ自立すれば、それは可能になるさ。
ベタベタやってるまんまじゃ~、一緒に腐り果てるのが関の山。
自浄努力だとか、内部から変えるだとか、そもそも人間を知らない机上学問、引きこもり甘ったれの間抜けなキレイゴトだ。