オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

大腸癌から人工肛門、考えること

2018-10-18 10:58:41 | オストメイト

 

 先週に続いて、また今週も関西方面に出掛けて居った。

 広島の90になる爺様が大腸がんで、どうするか? の外科医との話し合いだった。

 地元では大病院で、そこのベテラン外科医との話し合いだったが、肛門近くの直腸に出来てる3cmくらいの癌について、医者は手術して人工肛門にするのが良いという意見だった。

 俺が永久オストメイトになってるから、話は早いと考えておったようだが、そのリスクについて話した。

 永久人工肛門保持者は身体障害者となる。

 その障害者の生活についても詳しく話したが、逆にいろんな日常生活について質問を受けて居った。

 3000m級の雪山でも登れ、太平洋で遠泳もしている話は、すべての話が驚きの連続だったみたいだ。

 それが地方の医者の実情だろう。

 当然にそのレベルのWOCしかいないと言える。

 ただし、俺のような日常になるまでは、本人の生きようとする意志が確固たるものでなければ無理だ。

 切って縫って退院した後から、その大変な努力は始まると言っても良い。

 外科医にはすでに関係の無い話になる。

 日本でのオストメイトの人口は2~30万人くらいだろう。

 国内には良いパウチや装具関係のモノを作ってるメーカーは無い。

 すべて海外からの輸入品を使うことになり、各自がそれは努力をしなければいけない。

 切って繋いでは外科医の仕事だから、それについては失敗はほとんどないと言っても、その後の適応や処置については日常に患者が患者の責任でやらなければいけないことについても、話した。

 癌については免疫療法というものがそろそろ新しい医療として出て来そうだけんども、まだ時間はかかる。

 90歳の爺様には人工肛門の日常生活を丁寧に装具やらを見せて話したが、とてもじゃ~ないがそんな大変でメンドクサイことは出来ないと、即答だった。

 抗がん剤治療は体力的に無理だし、人工肛門は無理、そうなると放射線治療しかない。

 そもそも抗がん剤治療や放射線治療とは、癌そのものを切り取る訳ではないのだから、進行の抑制にしか過ぎない治療だと医者は言うが、人間の肉体には高度な外科医でも及ばない自己治癒能力というものが備わってる。

 それで負えないモノならば、寿命と諦めて愉しく過ごす、それでも良いのじゃ~ないかと俺は話したが、本人も現在は自覚症状らしきものもないから、あと3年も生きれば良いと想ってるからと、納得はしておった。

 外科医の仕事は切って取って繋ぐ仕事だ。

 患者は上手く退院できれば感謝感激するが、それは患者本人の自己治癒能力に負うところが大きい。

 当然に手術には技術が必要だが、その後に生き延びるのは、患者本人の話になる。

 俺みたいに人間の世界のことなら、すべて即答できるように常々生きて居れば良いが、そうなるには普通の家庭人の何倍もの日常を生きて、そこで必ず起こる色んなアクシデントにも対応して居らねば、難しい。

 生きる死ぬの心構えと言っても、良い。

 大腸癌が日本人の高齢者には増えているとはよく聞く話だし、人工肛門にして対応するのが現段階では一番良いとも聞くが、切って取って繋ぐことよりも、その後になんで生きるのか? について考えることも必要だろう。

 でなければただの医療のモルモットで終わる。

 無事手術は終えて退院して、そこからオストメイトの本当の闘いは始まる。

 覚悟が出来てなければ、なんのための手術だったんだろうかと、それで終わってしまう話だろう。

 俺の場合は、子供らがあちこちに居り、まだ扶養してかなければいけないという現実と、半世紀以上も遊び呆けてる地球の山や海でまた遊んで暮らしたい、それだけを考えて合併症や複合的に起きた障害にも耐えてなんとか今があるが、そりゃ~体力も気力も精魂尽き果てることも度々あった。

 ・・・だいじょうぶ、なんでも出来るよ! とは簡単に言う。

 実際にやって来た者は、簡単には言えないし、自慢げに言うことも無い。

 なぜか? いまでも進行形の闘いだからだ。

 人間の世界の良かったのか悪かったのか? の評価は、死ぬ時にしか解らないことだ。

 

 京都から新大阪まで景色は、屋根瓦が落ち、ブルーシートがあちこちに被せてある地震の爪痕ばかり。

 東北大震災の翌週から、放射線だまりだとか言われた山谷を歩き、その夏には瓦礫の流れ着いてた外房の海で遠泳していたが、地震の爪痕は、どこも同じ光景だ。

 昨日の午後、帰りの広島駅、カープのCS初戦応援のファンが、新幹線のホームを赤く染めておったな。

 OBで解説者の山崎隆造は高校時代の同級生だが、テレビで見るとやけに爺ィに見える。

 

 さ、あちこちの高齢者の介護ばかりしておったから、今週は真っ赤に紅葉した山に、戻るわさ。

 まだまだガキっちょの子供らのために、いつもの重いザックを担いで、ゲロを吐くくらいに歩いてくるわさ。


60爺と80婆と大ムカデと大蛇

2018-10-15 10:45:40 | よもやま話

 

 子供があちこちにおってそれぞれ育てて来てると、それぞれの爺婆も高齢化して、またそれぞれの爺婆の面倒も見なきゃ~いけなくなってる訳だが、先週・今週と広島まで出掛けて90歳になる爺様の大腸癌の処置について医者と話し合いをするのとは別に、中野の一戸建てに棲む独り暮らしの婆様が、そろそろキツイのではないかという話があったので、昨日は山もお休みで様子を見に行っておった。

 ・・・どう? どこか近場に連れてってあげようか?

 ・・・水沢うどんと舞茸の天ぷらを食べたいな

 ・・・よっしゃ、榛名山と赤城山の両方に連れてってあげよう

 ・・・わ~、嬉しいけど、こんな遅くから行けるの?

 ・・・そんな近所、もっと遠くの山ばかり登ってる俺様には、ちょちょいのちょいだ!

 ということで、近場の両方の山に昼前から出掛けて行った訳だ。

 60爺が80婆を連れだして出掛ける、素敵なドライブだろう。

 いつもの登山ではないのでのんびり安全運転しながら、いろんな会話をして様子を見て居ったが、義弟から聞いてた話とは違ってぜんぜん普通の80過ぎの婆様だった。

 食欲もあり、いろんな愉しい山の話や民話をしてあげるとちょっと自分も散策してみたいと言い出し、赤城神社のあと、小沼にも連れて行って気温一桁のガスった中を、ソロソロながらもちゃんと自分の足で歩いていた。

 ・・・日光の戦場ヶ原はここの山の神でもあった大ムカデと、男体山の大蛇が戦った場所だということでその名がついて、その戦いから手負いで戻った大ムカデが傷ついた身体を休めた血の池というのが、大沼の上、小沼の奥にあるという話には、しっかり食いついて来ておった。

 そこまで話をした以上、小沼から血の池に抜け、鬱蒼とした杉林の道から赤城温泉方面に降りて行った。

 車検から戻ったばかりのアルファードは13万キロくらい走ってるけんども、エエ感じでメカニックが山用に仕上げてくれておった。

 榛名山や伊香保界隈はまだ紅葉には早かったし、赤城の山ももう少しだろうな。

 行きは関越、帰りは17号バイパスから羽生に抜けて東北道のコースでも、車中で寝ることも無く、あちこちで色々とお土産やら洋服やらを買ってるくらいにしっかりして居った。

 ・・・どこがおかしいのか? 普通の健康な80婆様ではないか?

 一緒に同行してた古女房に話しても、首を傾げるばかり、言って来た義弟の家が何か問題抱えてるのか?

 誰かが婆様を引き取って、実家を売ったり貸したりするような状況ではまるでなかった。

 そうとしか思えない普通の愉しいドライブだった。

 8時過ぎに戻ってきて、目白で食事をしたけんども、よく食べておったわいな。

 親の財産を目当てにして、将来設計に組み込んで、そうして生きてるサラリーマンって~のは、哀れだ。

 その通りの現金は決して手に入らないようになってることすら、よくよく計算式には入ってない。

 俺みたいに親の借金まで完済してやって、無借金・負債無しで生きて来てる方がはるかに自由で愉しいもんさ。

 どこでも誰とでも、互角以上に話が出来る。

 やましいこと、遠慮することがまるでないと、モノゴトもよく本質が見えるもんさ。

 ま~ま~、若い頃からサラリーマンには想像のつかない修羅場の連続だったがな・・・テレビドラマや映画の波乱万丈物語程度で感動してる連中には、話しても仕方がないし理解など出来るものでもない。

 ナニかに追われ急かされて生きてる奴らって、会話しててもウワノソラ。

 

 水沢うどんで舞茸天ぷらを喰って居るときに、携帯に電話が入り、近くの伊勢崎で豪農を営んでる爺様からのもので、銀座に持ってるビルの様子を見に行ったついでに、大きなサツマイモやら果実やらを持って来たから店の横にまた置いておいたよ! という電話だった。

 ・・・いま、水沢で舞茸とうどん喰ってるよ

 ・・・ええ? 近所じゃないか? そこで待ち合わせしとけば良かったな~

 ・・・そうだよ、一緒にご馳走してあげたのに!

 ・・・今から帰るから待っててくれる??

 ・・・無理無理、これから赤城に登るから、さ

 爺様の奥方は忠治の血縁だったが、80歳を前にして、いまでも銀座に来るときは軽トラックではなくて真っ赤なスポーツカーを運転してやって来る。

 みみっち~ゼニカネの話ばかりしてる連中とは違って、会話の中身もぜんぜん豊かな人たちだ。

 

 さ、今週も地方に出掛ける予定が入ってるから、とっとと仕事を片付けるわさ。

 今日は四谷に出掛けて、岩槻か・・・めんどいことよの~。


内科医と営業は、その存在が癌よ

2018-10-13 12:40:51 | 価値観

 

 内科医とは、やってくる患者の話を聞きながら、そのストレスを解消するための会話に努力する医者のことだ。

 外科医とは機械で言えばメカニックのことで、技術で肉体の悪いところを直接に切り刻み修理する医者のことだ。

 古くは散髪屋と外科は同じ人間が患者に対応しておったから、だから現代でも使われている散髪屋の白・赤・青のクルクル回ってる看板は、もともとは外科医の看板でもあった。

 逆に言えば、散髪と言う行為は立派な医療行為でもあった。

 内科医と外科医とは、そのくらいに発祥が異なっておって、意味の違う仕事だった。

 内科医は神父や坊主のような会話が主になっておって、患者のストレス軽減が主な仕事だった。

 そういう見方で現代社会の内科医の仕事を眺め渡すと、まともな内科医はほとんどいなくなってることに気が付くことだろう。

 薬を処方する人間、予防医学を施す人間、余計なお世話と余計なお節介ばかりやってる人間が、現代の内科医だ。

 まともな人間の話が出来る内科医なんて、探すだけ無駄なこと。

 今は内科医で診察された患者が処方箋をもらって薬局に行っているが、じきに処方箋薬局が内科医の仕事もこなすようになるだろう。

 内科医という医療行為自体が資本主義に取り入れられ、いかにも医者のような風体を取り繕っているが、その本来の仕事は対面会話によるストレス軽減ということで、落語家や漫才師とおなじ種類の職業だった。

 例えばインフルエンザという病だって、放っておけばじきに治るものを、内科医の余計な医療と投薬で他の肉体の個所に禍根を残す治療ばかりやっているけんども、あんたそれをワザワザ望んで予防接種なんて怪しい行為を国家で推奨してる、これこそが日本総愚民化政策のなれの果てだ。

 テレビや新聞はその為の広告塔でしかないのは昔からだが、いまや国民自らが愚民!愚民!と動き出してる。

 怖ろしい話だが、俺には単なる喜劇にしか見えない。

 余談だが、俺は車を多い時では5台くらい所有してるような車好きだけんども、それぞれのメーカーの営業ではなくメカニックと仲良くなっておって、車の修理や点検はやるようにしている。

 ロクな営業がいない、そういうことだ。

 営業と内科医の仕事は似ているが、別にいなくとも世の中社会は困らないだろう。

 販促や広告宣伝がなくとも、口コミで商品の価値は拡がるし、その方が確かなニーズを獲得できる。

 これは不動産業界でも言えることで、営業の煩わしい古典的な手法は、反吐が出るような惨状になってる。

 俺が自分のことを周旋屋だと言っている訳は、生きることや生活全般に関わるメカニックとして接し、それぞれの専門分野の優秀なメカニックの斡旋も商売にしてるからだ。

 その人の仕事や生活を考えて、それに合ったものを提供する、買う必要のない人には売らない。

 そういう周旋屋を30年近くも続けていると、放っておいてもご紹介とリピーターの件数が成約数の9割を軽く超えて来て、他社と競合することも少なくなり、広告宣伝にはいっさい金をかけることもなくなってる。

 この頃は外国人の顧客から外国人をご紹介されるという愉しい仕事も増えてきた。

 なにも変わったことをやってる訳ではなく、会話でストレスを取り除く、大昔の内科医とおなじこと。

 しかもそこで交わす会話のほとんどが、この日本で遊び呆けて、子供らをあちこちに作って育て、そんな俺自身の豊富な経験に由来するものばかりだから、真似も出来ないだろう。

 死ぬまで喰うには困らないだろう。

 一貫して、それを続けて来たからだ。

 負債も借金もまるで無い。

 青二才どもが喧嘩を吹っ掛けたつもりになっておっても、じきに自滅してゆくことばかり。

 天下の王道で大笑いしておれば、それで悠々と生きて行ける。

 人間という、愚かなだけの世界では、そんなもんさ。

 

 政治の世界でも、芸術の世界でも、経済の世界でも、スポーツの世界でも、若い頃から俺の傍にはいつもその時代の寵児・人気者とも呼ばれる連中がいることが多くて、ただ俺はこんな調子で興味もなく、ただひとりの人間として愉しく関わり合って、彼や彼女らの時代が過ぎ去っても、ナニも変わらない愉しい生を生きて居る。

 そういう積み重ねがあると、ひょんなことから昔の話になり、なんでそんな人と? という驚きの声が上がることもあるけんども、なんてこた~ない、どんな人間もみな同じさ、少なくともそれぞれの時代の寵児・人気者と呼ばれた連中でさえ、その生き方価値観では俺の方がいつも内容が濃い。

 だから俺は別に自分を語る時にそんな連中を使うことも無く、使いたいとも思わない。

 自分の名前だけで、ただの個として生きて居る。

 肩書も社名もグループ名も、な~んもない、ただの個で生きてるから面白いのだ。

 なににも遠慮はいらず、自由自在に敵もなく生きて居れる。

 そういうことよ、人間の世界なんざ、嘘八百野郎の猿芝居ばかり、一対一になれば個の対面会話さ。

 山や海でいつも起きるアクシデントに較べれば、随分と退屈なことよ。 


ゴールドはドルと別れて元と再婚

2018-10-12 09:21:51 | よもやま話

 

 ダウが急落して、日経も急落して、対ドル円高気味に傾いても、金(ゴールド)は無表情。

 トランプ・アメリカが世界の中心の座から自ら降りようと画策していることと同じ意味がある。

 いまや金(ゴールド)は、ドルとは仮面夫婦のような関係になっている。

 元と、次の時代は夫婦になるような、そんな水面下の秘密の交際が始まっている。

 政治だけでなく、すでに金融経済も、アメリカから中国へと移りつつある。

 米中の貿易戦争? お前らはただの猿だから、猿芝居に心動かしておればエエ、そういう三文芝居。

 専門家や学者を気取ってる間抜けなタコの群れは、解っているのか? そういうことよ。

 単なるアメリカ中間選挙までのオフロード、右肩上がり続きでは退屈なのよ。

 大事なのはその後のこと、しっかり見て居らん奴らは、しょせんは猿真似の猿。

 

 中国3000年の歴史を誇る整体術の、神の手とも言われている先生がおるけんども

 ・・・先生は人体のツボをすべて捉えて施術を施すけんども、俺は女の蕾をすべて捉えて愛撫を施す、その違いなだけで、やってることは同じかも知れないね~

 そういう話を真面目な顔して仕掛けると、

 ・・・そうそう、おなじだよ

 即答だった。

 

 伝記や苦労話や成功物語を書く・・・その人生が終わった訳でもないのに、英雄となる・・・愚民の夢?

 死ぬまで続けてとっとと逝ってから、あとの人間がどう言うのかの話であって、生きてる人間が自分の評価を書くなんて、間抜けの見本市みたいなもんだ。

 こういうドのつく阿呆な社会がずっと続いている。

 そろそろ恥ずかしいし、惨めったらしいから、やめた方がエエんとちゃうかい?

 若いのにも多いが、お前らはどんだけ現実社会で生きて来たんだ? 画面と空想の経験談?

 ラインやメールだけで生きたつもりになっておるから、実際に女や子供が出来たら、少し金や地位を手にしたら、コロッと安っぽく変色する軽薄猿そのもの。

 じきにその自信も木っ端みじん、徘徊老人化する単細胞。

 

 銀座には、ビジネスの社会と、住んでいる連中の社会と、二つの世界がある。

 ぜんぜん別世界になっているが、その双方とも常に関わり合っておかなきゃ~、周旋屋は出来ない。

 

 そういえば、西暦というキリスト教が世界を支配した歴史に、終わりが見え始めている。

 イエズス会やら、カトリックやら、怪しい洗脳集団は大きくなり過ぎたし、長くダラダラやり過ぎた。

 年貢の納め時とは、よく言ったもんだ。

 人間の世界には、神や仏はおらんのよ。


癌と予防医学と免疫異常のお友達

2018-10-11 10:33:23 | よもやま話

 

 片道新幹線で5時間、身内の90になる爺様が大腸がんが見つかったというので出掛けて行ってたが、段通りが悪くてまた来週に立ち会って欲しいと言われて行くことになった。

 田舎の人間は医者も含めて呑気なもんで、その元気で愉しい大声を聞けて安心した・仕切ってくれるオヤジが一緒に立ち会ってくれて助かったと喜ばれても、俺はぜんぜん嬉しくない。

 また行く者の身にもなってくれよ・・・そういうこと。

 仕事も忙しい、裁判も2件佳境に入ってる、他の身内の年寄り夫婦の家の補修の打ち合わせにも一緒に立ち会ってくれないかと言われれば成田まで出掛け、アルファードの車検、そうこうしてると昨夜遅くに今度は別の身内の独り暮らしの婆様の様子が変だと連絡があり、この日曜日は山どころではなくって様子を見に行くことになった。

 マンションの排水管縦管の詰りによるフロアー全体の漏水事故処理やら、貸してるビル1階の老いたマレーシア人が近所の石ころを拾って集めてるという意味不明な苦情やら、幾らでも俺んとこにはややこしい話が集まって来る。

 どうなってんだ、日本の高齢化社会、みな最後は俺みたいなフット・ワークの軽いオヤジに頼って来る。

 60歳過ぎて、身障者なのに、結局はモノゴトをなんでもキチンとさっさとこなせる大人がいないから、俺ばかりが忙しくなってる。

 他の身内も訳わからんくなって右往左往、で何事も経験豊富な俺んとこに丸投げしてくる。

 事が起きたらオロオロ・ウロウロ、動転して、怪しい詐欺に騙される。

 それが怖いからと、またまた俺ばかりが忙しくなる。

 日常の生き方価値観をキチンと持って生きてないから、いちいち動転してパニックになる。

 平和に安穏としてる時は偉そうで素敵な年寄りであってもだ、事が起きたら幼児のような動転混乱、ナニが起きても悠々と生きられない大人・高齢者ばかりでは、こりゃ~日本の国は終わりだろう。

 一度リセットするしかないだろう。

 これが70歳以上の格好だけのハリボテ高齢者社会の実態だ。

 生きる、死ぬということすら、腹が座ってないで、よくもま~そんな歳まで生きて来れたもんだと感心する。

 自分のことなのに、自分で判断つかない、こういう大人ばかりの時代に、皆さんは生きておるんだぜ。

 覚悟しておいた方が、エエで。

 

 ・・・ということで、そんな野暮用の合間にも、溜まってる仕事を効率よく片付けて行く。

 マンション売買で売主の中国人が払うべき10,21%の所得税の説明では、自分用に新大阪で買った赤福を喰いながら・・・。

 なんで海外居住の外国人売主が国内の不動産を売る時に払うべき税金を、買主の日本人が払わなければいけないのか? その税の名目は 所得税および復興特別所得税 と言う。

 外国人には意味が解らないからまた大声で言い合いになる。

 ・・・日本国が徴収する税については、俺に聞かずに安倍や麻生に聞けや! 文句あるなら安倍や麻生に言えや!!

 

 赤福たいらげて、獅子奮迅でも、かならずや笑い飛ばせる余裕だけはあるもんだ。