・・・人のいない山ばかり登ってて、大丈夫なのか? 怖くないのか? と聞かれることもあるが、都会でロボットのように生き方価値観まで入力されたオツムで、群れて集団で動いてるだけの人間の方がよほどに怖ろしいと、俺は答えている。
自分たちはいつも平凡で正義で、右も左も前も後ろも同じ人間ばかりであることで幸せを感じてる。
生きる死ぬまで管理され、それで平気でいること自体が、俺には脅威でもあり、驚きだ。
・・・自分って? 何なの??
山に登った翌日から、毎日スクワット1000回はやっている。
一日の合計だけんども、仕事の合間に分けてやっておるのが一番良い。
週一の山歩きでは、これは最低必ず続けておらなければ、60歳を超えた肉体はすぐ劣化する。
そうしてオストメイトになって気を使っていることは、山を歩き始めの1時間はゆっくりスピードをセーブして歩くことだが、これは腸の動きを徐々に高める効果があり、ガスもよく出るようになり、体調も良くなる。
健常だった頃のように、猿みたいに岩から岩へと小走りに飛んだり跳ねたりはしなくなった。
ゆっくり歩いて、景色をたくさん見て、美味い空気をたんと吸う、これが身に付いてる。
うっかり転んで腹でも打ったらエライことだから、余計な子供じみたことはしなくなった。
60歳過ぎて、大人になった。
ヘルニアベルトは必ず装着しておって、それも痩せていた頃に使ってた小さいサイズのモノが良い。
汗だくになっても、乾くのも早い。
ドレッシング・テープでの補強はしなくなってる。
予備のパウチや装具品などは携行しなくなった。
WOCでは絶対に予備は持って登って!! と言われているけんども、不慮の事故など一度もない。
パウチや圧着粘土を持参すれば、1枚は無駄になる、熱と汗の湿気でザックの中でもダメになる。
舶来品だから安くはない。
最初の頃は温度調節できる携帯クーラーバッグを用意して担いでおったが、メンドクサクなったし、万が一が起きても、タオルやらで押さえてヘルニアベルトで締めておけば下山は出来る。
オストメイトの日常生活については無関心、切って縫うことが仕事の無知な外科医とおなじで、WOCの看護師もまた知識だけで実際にその環境と状況を知らないから、そんな心配事ばかりを話す。
それじゃ~生きて行けんだろう。
特に俺みたいな野放図に生きまくってるオヤジには、無理な相談だ。
・・・そんな理想ばかりほざいておると、苔むした栃の大木に押し付けて、その場で犯してしまうぞ!!
・・・いや~ん
俺にはセクハラ・パワハラという意味がいまだに解らない。
きっと皆さんには愛が足りないんだろうと、想ってる。
大学時代は山岳部で、卒業して都立高校の山岳部の顧問になって数十年、いまは引退して80歳になったお婆さんが八丁堀のビルのオーナーでいるが、いつも俺の山歩きの話を愉しみにしておられる。
山岳部が山で歌う賛歌をたくさん口ずさみながら、笑って聞いておる。
有名な山ばかり登っておったから、俺の登る山や違うコースの話は新鮮らしい。
・・・あんたほんとに馬鹿ね~
まず車で入り込めるとこまで入る、そこから登る、これが俺の登山だ。
酷い時には曲がりくねったデコボコ未舗装路のアップダウンを、バックで何キロも走る事態になることもある。
転回出来ない訳だ。
片側はガードレールなどない崖、片側は落石や倒木が突き出してるような、よほどに無鉄砲でなければ出来ない。
ブレーキもアクセルもうっかり踏めないような道、それで解る人は同類か・・・。
地図やナビには無い道が多い。
だから雪の降る季節でもないのに、いつもチェーンは積んであるし、修理や緊急処置の出来る道具も積んである。
寝ないで出発して、長距離走って、そんな最後の道を運転して、そこから登山は始まる。
たまに同行者があると、それだけで緊張と車酔いで疲れ果ててしまってる。
携帯は繋がらない、GPSも感知しない。
大笑いだな。
ヘナチョコどもが。
銀座の近所の八百屋のお姉ちゃんも大学では登山部だった。
子供が小学3年で丹沢山系や高尾山系ばかり登ってるが、この日曜日は八つの赤岳に登ってきたという。
人が多かったとは言うが、自分で車を運転しないで登山するとなると、それは仕方がないんでげすよ。
始発のバスで登山口まで揺られ、下山口のバスの時刻表と格闘するようになる。
山を歩きながら、時間に追われる、何しに来てんだ??
1時間に1本なら良い方で、一日2~3便だとかもざらだ。
・・・あ~そうか、じゃ~あんたらが赤岳の山頂に居る時間に、俺は向かいのだ~れもいない山頂か
・・・悔しい~~~
俺の山用のアルファードはサスペンションを硬くしてある。
乗り心地はとても悪い。
日本シリーズは当然にカープを見ているが、ときどき同級生の山崎隆造が解説者で出てると、そのたんびに笑ってしまってる・・・エライ爺ィになっとるな、わしのほうがずんと若いで。