どこに治療に行ったか、
覚えていませんでしたが、3年後に知りました。
三島田町にある望月接骨院でした。
望月接骨院には、この時から3年毎に15歳まで通いました。
柔道5段と云われる先生は、
顔を見ると『君、又来たの?』と、笑顔で迎えてくれます。
優しい奥さんが助手で、顔馴染みでした。
20代後半に行きましたら、ご夫妻は亡くなられ、
息子さん夫婦が、接骨院だけに、後を継いでいました。
小学3年生の時、母に連れられ三島田町駅を降り、
望月接骨院に行く途中、偶然小学1年と2年の担任の先生に会いました。
広田先生と云う女性で、余りにも痩せているので、
アダ名は、ウナギの蒲焼と呼ばれていました。
『今から皆既日食が始まるわよ』と、腕時計を見て教えてくれました。
初めて見た皆既日食で、5月前後の汗ばむ季節だったと思います。
伊豆長岡温泉の旅館の話は、後で母から聞きましたが、
『この坊ず、嫌がりもしないで、じっと場を見ていた』と父親が話していたそうです。
伊豆長岡小川屋
http://www.fukuriteiogawaya.com/
母の最期の家、富士霊園
http://www.ishiya.com/boseki/fuji.htm
覚えていませんでしたが、3年後に知りました。
三島田町にある望月接骨院でした。
望月接骨院には、この時から3年毎に15歳まで通いました。
柔道5段と云われる先生は、
顔を見ると『君、又来たの?』と、笑顔で迎えてくれます。
優しい奥さんが助手で、顔馴染みでした。
20代後半に行きましたら、ご夫妻は亡くなられ、
息子さん夫婦が、接骨院だけに、後を継いでいました。
小学3年生の時、母に連れられ三島田町駅を降り、
望月接骨院に行く途中、偶然小学1年と2年の担任の先生に会いました。
広田先生と云う女性で、余りにも痩せているので、
アダ名は、ウナギの蒲焼と呼ばれていました。
『今から皆既日食が始まるわよ』と、腕時計を見て教えてくれました。
初めて見た皆既日食で、5月前後の汗ばむ季節だったと思います。
伊豆長岡温泉の旅館の話は、後で母から聞きましたが、
『この坊ず、嫌がりもしないで、じっと場を見ていた』と父親が話していたそうです。
伊豆長岡小川屋
http://www.fukuriteiogawaya.com/
母の最期の家、富士霊園
http://www.ishiya.com/boseki/fuji.htm