「憎しみ合うのではなく、話し合わなければ」。初来日し、訴えた。目に焼き付いているのは、血まみれの部屋に散らばった小さな手や足、頭がない体。それは慈しみ育てた3人の娘とめいだった。

 「こんな光景を他の誰も見ることがないように。娘たちを最後の犠牲者にする」。そう誓った。

 パレスチナ自治区ガザの難民キャンプで生まれ育ち、苦学して医師になった。高度な不妊治療を学ぶためイスラエルで研修を受け、イスラエルの病院で正式に働く初めてのパレスチナ人医師に。だが2008年末から始まったイスラエル軍のガザ大規模攻撃で09年1月16日、ガザの自宅にロケット弾が撃ち込まれた。

 周囲の予想に反して、彼は前を向いた。彼を支えたのは「生きている人を救うために動く」という医師の行動原理と宗教心、イスラエル人の友人医師らの存在だった。双方の対話を呼びかけ、翌年に本を出版。20カ国語以上に訳され、1月、日本語訳「それでも、私は憎まない」(亜紀書房)が出版された。2月、出版記念の講演会が都内で開かれると、話を聴きに550人以上が集まった。

 「憎しみは病。治癒と平和を妨げる。憎しみや暴力より、優しい言葉や知恵の方が強いのです」。生き残った5人の子どもたちとカナダに住み、娘たちの追悼基金で中東の少女たちの教育を支援している。

 (文・写真 高橋友佳理)

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 Izzeldin Abuelaish(59歳)