http://www.saiban-kenpo.org/hatugen/backnumber/130902.html
市民の司法を考える |
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内閣法制局長官から最高裁判事となった山本庸幸氏の就任の記者会見で(『朝日』2013年8月21日付第1総合面)、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認について問われ、「私自身は非常に難しいと思っている」「集団的自衛権は、他国が攻撃された時に、日本が攻撃されていないのに戦うことが正当化される権利で、従来の解釈では(行使は)難しい」と述べた。
8月20日に就任した山本庸幸最高裁判事が、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認を「非常に難しい」と発言したことが波紋を呼んでいる。行使容認を目指す安倍政権が、最大の障害となってきた内閣法制局の見解を変更させるため、そのトップである長官に内閣法制局に勤務経験を持たない小松一郎前駐仏大使を就任させた直後であり、小松氏の長官就任に伴う前長官の山本氏が最高裁判事就任の記者会見の場での発言であったことから、翌日、菅義偉内閣官房長官が不快感を表明し、その後憲法9条改正を巡るいつもの議論に取り込まれる展開となっている。
しかし、この発言の本当の破壊力は理解されていない。今回の発言のインパクトは、安倍政権自身が任命した最高裁判事が、法律技術論として内閣の解釈では集団的自衛権行使容認は不可能だと言っていることにある。政策判断の問題として集団的自衛権の行使が妥当かどうかではない。行使容認には憲法改正が不可避であり、内閣の憲法解釈変更では不可能だと、政権自身が指名した判事が言っているという事実なのである。
小松長官の就任に至る議論に共通する理解は、内閣法制局を官僚支配の牙城とみなし、戦後レジームの擁護者として憲法9条の解釈を墨守する機関とみなすことである。だから、9条改正を視野に集団的自衛権行使容認をその第一歩とみなす論者は、内閣法制局悪玉論を唱え、内閣に属するはずの法制局が内閣の政治判断を制約するなら長官人事に積極派を置くべしとし、今回の発言に対しても最高裁判事の政治的発言の不当性を指摘する。これに対し護憲論者は、解釈改憲の危険性を指摘し、今回の発言でも最高裁判事の内閣からの独立性を指摘する。そして、議論は集団的自衛権行使の是非に収斂していく。
今回見過ごされようとしているのは、集団的自衛権の行使は、内閣法制局が解釈を変更し、政府見解が変更されようとも、憲法自体の問題として現行の条文の下では不可能であると、憲法の真の公定解釈機関である最高裁判所の一人の構成員が認めているということである。これでは、安倍内閣はもとより全ての内閣の下での努力が意味がないということになる。山本判事の発言の詳細を報道されているところに基づき検証しよう。
(朝日新聞8月21日朝刊http://digital.asahi.com/articles/TKY201308200375.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201308200375)
Q 憲法9条の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について、どう考えるか
A 前職のことだけに私としては意見がありまして、集団的自衛権というのはなかなか難しいと思っている。
というのは、現行の憲法9条のもとで、9条はすべての武力行使、あるいはそのための実力の装備、戦力は禁止しているように見える。
しかし、さすがに我が国自身が武力攻撃を受けた場合は、憲法前文で平和的生存権を確認されているし、13条で生命、自由、幸福追求権を最大限尊重せよと書いてあるわけだから、我が国自身に対する武力攻撃に対して、ほかに手段がない限り、その必要最小限度でこれに反撃をする、そのための実力装備を持つことは許されるだろうということで、自衛隊の存立根拠を法律的につけて、過去半世紀ぐらい、その議論でずっとやってきた。
従って、国会を通じて、我が国が攻撃された場合に限って、これに対して反撃を許されるとなってきた。
だから、集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、たとえば、密接に関係があるほかの国が他の国から攻撃されたときに、これに対してともに戦うことが正当化される権利であるから、そもそも我が国が攻撃されていないというのが前提になっているので、これについては、なかなか従来の解釈では私は難しいと思っている。
しかしながら、最近、国際情勢はますます緊迫化しているし、日本をめぐる安全保障関係も環境が変わってきているから、それを踏まえて、内閣がある程度、決断をされ、それでその際に新しい法制局長官が理論的な助言を行うことは十分あり得ると思っている。
Q 憲法の条文が変わっていないのに、解釈を変更して対応することは可能か
A 一般に法解釈論だが、9条は非常にクリアカットに武力行使はいけないと書いてある。それについて、例外的に我が国自身が攻撃されたときは、前文と13条の趣旨からして反撃が許されると解釈してきた。私はそれが法規範だと思ってきた。法規範そのものは変わっていないわけだ。その範囲内で、それと同様の説明がまたできるのかが一つの考え方だと思っている。その可能性は決して否定するものではないが、私自身は、国会で何回も説明されたこともあり、説明してきたこともあり、非常に私自身は難しいと思っている。
ただ、一般論として、法解釈だから、新しい事態に対して新しい法律的な論拠を持って説明することは、それは一般的にはあり得ると思う。
Q ご自身の考えとしては、基本的には難しいと
A そうですね。そういうふうに長い間、国会でも説明してきた。ただ、そこを新しい解釈を持って、新長官がどう内閣に対して、法律的な進言をするかということにもよると思う。それは論理的な考え方の工夫というのはあり得るとは思っているが、私自身がどうかといえば、なかなか難しいと思っている。
Q 集団的自衛権の解釈変更以外に、憲法を改正する方法もある
A それは国民の選択であって、何らかの法規範が現状に合わなくなったということであれば、その法規範を改正するということは、普通の法律では、私は長官として常時やってきたわけだから、そういうふうなことは一番クリアカットな解決ではある。クリアな解決だ。するかどうかは、国会と国民のご判断だ。
Q 解釈変更よりは憲法そのものを変えた方がはっきりしていると
A そうだと思う。なかなか難しいという非常に細い道をたどるよりは、憲法そのものを変えないとなかなかできないことだと思っている。ただ、いろいろ議論がある。集団的自衛権というのは、我が国が攻撃されていないのに、同盟国が攻撃されてそれを一緒に戦おうということ。それが完全にOKとなるなら、地球の裏側まで行って共に同盟国と戦うということになる。それが、現行の憲法9条のもとで許されるかどうかという議論になるが、それが一つの極端。もう一つの極端は、4類型といわれている、「併走する米艦をどうするか」「我が国を飛び越えてくる同盟国に向かうミサイルをどうするか」という話。これはかなり次元が違う話。4類型は比較的目の前を見た細かい話で、もし集団的自衛権を完全に認めるなら徹底的にいってしまう。だから、そこは私自身は、我が国自身が攻撃されたときという解釈を、アナロジーで何かそういう集団的自衛権的なものができると考えついたとしても、そこでやはりある程度の制約は9条上は必ずかかると思っている。
いずれにせよ、私は前職についてかなり申し上げたが、これは新しい法制局長官が判断することだと思っている。もう一度言うが、私自身は完全な地球の裏側まで行くような集団的自衛権を実現するためには、憲法改正をした方が適切だろう、それしかないだろうと思っている。
Q解釈変更のために、伝統的な人事の在り方に介入するという手法についてはどう考えるか
A それは人事権者のなさる話なので、私が申し上げる立場にはないと思う。
これを素直に読めば、山本判事が集団的自衛権の行使の政策的な当否を注意深く避けて議論していることがわかる。国際情勢の変化に対応するために政権が決断を行うに際し、内閣法制局は法律理論に基づく助言を行うとしている。しかし、憲法9条は、いうまでもなくその第1項で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とし、第2項において「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定する。ただし、我が国自身に対する急迫かつ不正な武力攻撃に対しては、さすがにこの憲法の規定も必要最小限の反撃まで禁じているわけではないとされてきたわけだ。
今、集団的自衛権に関して主として問題となっているのは、例えばイラク戦争において多国籍軍への参加を求められた場合、どこまで軍事行動に協力することができるかとか、北朝鮮の米国本土を狙ったと考えられるミサイルが日本上空を通過していく際に、これを見過ごすのかといったことであって、日本国土本体への攻撃ではない。日本本土に対する攻撃に際し、米軍との共同行動をとることは日米安全保障条約上、当然のこととされているのである。これに対し、米国をはじめとする同盟国が攻撃の対象である場合、あるいは国連平和維持活動に参加する自衛隊が、同一活動に参加する他国の軍隊が攻撃されている場合に、自衛隊がどこまでの活動が行いうるのかといった問題、自然権的生存権の存在を前提とする自衛権の問題ではない。
こうした問題について、最高裁判事として「憲法そのものを変えないとなかなかできないことだと思っている」といったわけだ。最高裁判所は15人の判事の合議体であり、山本判事一人の意見の影響力が絶対ではないが、直前まで内閣法制局長官として現行憲法下で政府見解を理論的に支えてきた専門家が「前職のことだけに私には意見があって」と前置きしての発言である以上、最高裁が法律技術論の問題として集団的自衛権行使の解釈変更による容認を認めない可能性が十分あると考えざるを得ない。今後、内閣法制局の解釈が変更され、それに基づき自衛隊法やその他関係法令が改正されても、最終的には最高裁でそれが違憲とされることがありうる。日本の場合、裁判所の違憲立法審査権はアメリカ型の付随的違憲審査制をとっているというのが通説であるため、実際に自衛隊が問題となる行動を起こした後、それを裁判の中で問題となった場合にのみ判断が示される。具体的に言えば、集団的自衛権自衛権の行使としての自衛官の武力行使に伴い死者が発生した場合などにおいて、その殺害行為が正当なものだったかというように問われる場合である。集団的自衛権発動を容認する法令が違憲であった場合には、それ以外の法令で当該殺害行為の違法性を阻却する事由がない限り、当該自衛官及びその指揮官は刑法上の殺人罪に問われる可能性があることになる。
法律技術論は、とかく面倒くさい議論であることから敬遠されがちである。マスコミは、「有識者」にコメントを求める。この場合集めるべきコメントは、①憲法9条の改憲派と護憲派の見解、②その対立に基づく与野党の動き、③軍事問題と外交問題の専門家、④内閣法制局という行政組織に関する専門家、⑤山本判事個人の評価、⑥外国マスコミの報道ぶりくらいであろう。これらの中に、立法過程と法律技術論に関するものは含まれない。
テレビは、報道部という何でもアリだから、こういう細かい話は扱わない。マスコミの中で専門性の高い新聞社でも、政治部、経済部、社会部といった組織建てであり、この手の問題は政治部の扱いであるから、与野党の動きのフォローがメインとなる。専門性といっても、外交・軍事の経験のある記者くらいだから、立法技術や法律の制定過程についての目配りは欠ける。
学者はどうか?憲法学者は改憲、護憲の議論をするが、内閣法制局の位置づけは政治学や行政学の分野である。政治学は、行政過程の詳細については案外疎い。行政学は、行政という法律の執行過程を分析するものという位置づけだったから、法案作成過程に関する研究はここ10年くらいの話である。まして、内閣法制局なんて地味な役所の話を知っている人はどこにもいなかったのだ。
そして、今回も根本的な問題が見過ごされていってしまうのだ。
http://mainichi.jp/select/news/20150803k0000m010109000c.html
毎日新聞 2015年08月03日 09時00分(最終更新 08月03日 10時38分)
在日外国人への人種差別を禁止する法律案が、4日に参議院で審議入りする。在日コリアンへのヘイトスピーチが社会問題化したことを受けて議員提案され、人種差別の禁止を明記し、差別防止を国や自治体の責務とうたっている。罰則のない理念法だが、自治体の条例制定を後押しする効果も期待されている。【林田七恵、岸達也】
法案は、民主、社民両党などが5月に参院に提出した「人種差別撤廃施策推進法案」。人種や民族などの属性を理由とする差別的な取り扱いや言動を禁止するとし、差別防止のために国や地方自治体に実態把握や相談体制の整備などを求めている。罰則は設けない。
関係者によると、自民党が法規制に消極的で、一時は審議されるかどうか危ぶまれたが、その後了承に転じた。公明党も審議を了承し、参院法務委員会で4日に趣旨説明、6日に質疑が行われる。
提案した「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」幹事長の有田芳生参院議員(民主)は「ヘイトスピーチを放置すれば、国際的に日本が人権を軽視しているとのレッテルを貼られかねない。修正にも応じるので、与党にも議論に加わってもらいたい」と話す。
ヘイトスピーチを巡り国連人権委員会は昨年7月、「差別、敵意、暴力をそそのかすような人種的優位の主張や憎悪をあおる言動」を禁じるよう日本政府に求め、現行法で十分対処できていないとして加害者を処罰する法整備を促した。国連人種差別撤廃委員会も同8月、ヘイトスピーチを行った個人や団体について「捜査を行い、必要なら起訴すべきだ」と勧告。国内では、160を超す地方議会が、法規制などを求める意見書を採択した。
安倍晋三首相は2月の衆院予算委員会でヘイトスピーチを批判したが、法規制については「個々の事案を検討する必要があり一概に言うことは困難だ。立法措置は各党の検討や国民的な議論の深まりを踏まえ考えたい」と述べるにとどめた。
・特定の人に対し、人種や民族を理由とする差別的な取り扱いや言動をしてはならない
・人種や民族が共通する不特定の人に対し、著しく不安や迷惑を与える目的で、公然と差別的言動をしてはならない
・国と地方自治体は差別防止施策を策定する
・政府は、施策について国会に毎年報告する
・国は、差別実態を明らかにする調査を行う
・有識者でつくる「人種等差別防止政策審議会」を内閣府に置く
・公布から3カ月以内に施行する
http://tanakaryusaku.jp/2015/08/00011675
「憲法守れ」「集団的自衛権は要らない」・・・若い声が高らかにシュプレヒコールをあげる。そこにいるのは学校の制服を着た少年少女だった。
彼らは、いま現在は高校生だ。だが、安保法制成立後の将来、兵隊になっているかもしれない。
「戦争には行きたくない」。アベシンゾーへの反発が彼らを駆り立てたのか。制服の少年少女たちが「戦争法案反対」を訴えて、きょう、渋谷の繁華街をデモ行進した。
都内の高校2年生(男子)はストレートに危機感を表した。「(安保法案が)通っちゃうと僕たちが戦争に行かなきゃならなくなる。徴兵制は絶対ダメ」と。
「高校生に政治はタブーという風潮があるが、小さな声を集めてタブーを壊したい」と語るのは、千葉県船橋市から参加した女子高校生(2年)だ。
彼女の友人には経済的な事情から「自衛隊員になりたい」と志望している女子生徒もいるという。
「奨学金の返済延滞者は防衛省(自衛隊)のインターンシップをやってもらえば・・・」。文科省の有識者会議で日本学生支援機構の運営評議員が発言していた(※)。
奨学金を貸し付ける側が「返せないんだったら軍隊に入ってもらおうじゃないか」と言ったのである。露骨な経済的徴兵制だ。
「大学には奨学金で行きたいけど、経済的徴兵制があるからねえ、どうしようかなあ」。習志野市の女子高校生(2年生)は、苦しそうに語った。手で汗をぬぐう仕草が彼女の苦悩を物語っていた。
経済的徴兵制は現実味を帯びつつあるようだ。
彼らは安倍政権の下心を十分に知っている。安保法制への理解は少年少女にまで進んでいるのだ。明らかに戦争に導くものである、と。
「将来、もし子供が戦争に取られそうになったら、海外に住む」。前出(習志野市)の女子高校生は厳しい表情で言った。
デモ隊の中には年金生活者(69歳・渋谷区)の姿もあった。「孫の世代に付き添いたいので参加した。このまま行けば、彼らの将来は間違いなく真っ暗だ」と心配する。
少年少女をここまで追い詰める日本に未来はあるのだろうか。
◇
(※)
「経済的徴兵制」 日本学生支援機構・委員がマッチポンプ
◇ ◇
読者のご支援の御蔭で『田中龍作ジャーナル』は続いています。
◇
『田中龍作ジャーナル』では取材助手を募集しています。時給、交通費払います。ジャーナリスト志望の若者を歓迎します。学生可。詳しくは…tanakaryusaku@gmail.com
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/162355/3
渋谷に5000人! ついに高校生が「安保反対デモ」のインパクト
2015年8月3日
渋谷に高校生たちの声が響いた(C)日刊ゲンダイ
「SEALDsの国会前抗議活動に高校生たちも参加しているようで、大きな影響を受けているようです。とはいえ、高校生たちはSEALDsとは立場が違う。選挙権年齢が18歳に引き下げられましたが、大半が選挙権を持っていません。政治的な主張をしたければ、デモや集会で声を上げるしかないのです。安倍政権の暴走を放っておくと、ツケを背負わなければならないのは若者たちです。一人一人が危機感を覚え、自らの意思で動いているのでしょう」
高校生たちのあまりの迫力に、買い物客は足を止め、目を丸くしていた。中には手を振り、拍手を送る若者もいた。デモ終了後に中心メンバーのあいねさん(16=高2)は報道陣にこう話した。
「政治家は、若者は何も考えてないと思っているかもしれない。でも、高校生だって政治のことを考えています。選挙権がないからって、声を上げちゃいけないわけじゃない。人が命を落とすかもしれない法律を、安倍首相は笑いながらつくろうとしている。この人に自分たちの未来を任せることはできません」