「週刊エコノミスト」の元記者で、労働ジャーナリストの小林美希さん=東京都千代田区で2015年7月7日、徳野仁子撮影
正社員と同じ仕事をしながら安い賃金、不安定な条件で働く非正規の労働者たちがバブル崩壊後、急激に増えていった。非正規が増え、疲弊しているのはなぜか。
同じ「就職超氷河期」世代として彼らの置かれた厳しい実態や拡大していく格差に早くに気付き、2004年から「週刊エコノミスト」の特集記事でその危うさを警告し続けた労働経済ジャーナリスト、小林美希さんに話を聞いた。【聞き手・尾村洋介、荒木功/デジタル報道センター】
−−非正規で働く社員が増えている現状を書こうと思ったきっかけは何でしたか。
小林さん サービス残業だったり土日も会社に出勤したりと、長時間働く若者たちの姿は当時、業界、職種、大企業、中小企業を問わずどこでも見られました。でも、なんだか若者たちが疲れ切っていると感じるようになった。03年ごろからです。「自分たちの世代は疲れ切っている。何かがおかしい」。そう感じたことが取材の始まりでした。
−−そのころは、バブル崩壊後の不況が一服し、企業が長く続いた苦境からようやく脱した時期でしたね。
小林さん 当時、「エコノミスト」の記者だった私が決算説明会に行くと、必ずといっていいほど「当社はこれだけ人件費を引き下げました」などと財務の担当者が話していました。民間アナリストから提案された通りに人件費の圧縮を図った会社の株価が反発したなんてこともあり、「構造改革イコールリストラ」という時代でしたね。でも、営業利益の回復といっても、人件費削減で出しただけじゃないかって思っていました。
−−00年代の初めまでは不況の中で正社員切りのリストラばかりが注目されていた。
小林さん 正社員が少なくなり、契約や派遣など非正規雇用の存在が目立ってきた。正社員と同じように働いているように見えるんですけど、賃金はもちろん抑えられていて、将来の見通しは立たない。契約はいつ切れるか分からない。気になって調べてみると、労働者派遣法が度重なる規制緩和を受けて拡大し、労働基準法も改正された。派遣も非正規も二つの法律で同じ時期に3年を上限にするいわゆる「3年ルール」ができて、3年たつと契約が更新されずクビになることが起こり始めていた。この構造的な問題があったから、非正規の人たちが疲弊していたことに気付いたんです。だったら、この現実をきちんと取材して問題提起しなければいけないと思いました。
−−企画はすんなり通りましたか。
小林さん そのころ、非正規雇用の人たちは「フリーター」と呼ばれていました。フリーランスとアルバイターを掛け合わせた造語の軽いイメージから、「フリーターは何となく甘い」とか「えり好みをしているから仕事がない」など、当人の意識に問題ありと見る風潮があって、編集部でも私の企画はなかなか通らなかった。何度か出し直して、初めて記事が掲載されたのが04年5月の特集でした。
−−ルポが主体の、そのころの経済誌ではあまり見たことがない企画でした。
小林さん このころはまだ非正規労働の統計データがそろっていませんでした。現場の取材を積み重ねていくしかなくて。実証するために、いかに大勢の若者を取材できるかが重要でした。データについては民間シンクタンクのエコノミストに試算をしてもらって、たとえば税収や経済損失はどうなるのかといったマクロ経済への影響なども同時に提起していきました。それまでこの問題に気付いていなかった人にも客観的なデータで納得してもらえるように努力してきた。
−−取材でどんなことが見えてきましたか。
小林さん とにかく大勢の人から話を聞きたいと思いました。知り合いに紹介してもらったり、労働組合に相談に来た人を紹介してもらったり、ハローワークの前で職探しに来た人たちをつかまえたりと。とにかくより多くの人の話を聞いていきました。取材を進めていき、これは国全体の問題だと確信しました。現場の状況を書き示すことで、やっと国も実態調査をするなど動きだしました。
−−氷河期時代に非正規の新卒として社会に出て、待遇を改善できず職場で苦しんでいた若者たちに目を向けさせるきっかけになりましたね。
小林さん 記事が出てすぐに慶応大学教授の金子勝さんが全国紙の論壇の紙面で私の記事を評価してくれました。連合のある人からも「ようやく経済誌がこういった問題を取り上げてくれた」と声を掛けてもらった。編集部内にも、若者の労働問題を掘り下げることは大切だという雰囲気が広がっていきました。
「週刊エコノミスト」の非正規雇用問題の誌面
−−小林さん自身が契約社員だったということも動機の一つでしたね。
小林さん 業界紙からエコノミストの契約記者として移り、初期のころは見習いのようなところもありました。記事を書いたり校了を待ったりして終電を逃して夜中にハイヤーで帰ったり、新聞紙をかぶって会社のソファで寝てしまったこともありました。私は夢中になってやっていたところもあったんですが、仕事に慣れてだんだん忙しくなっていくと、契約社員であることに時折不安も感じました。「同世代の非正規の若者たちはどんなふうに働いているだろう」と思うようになりました。
−−00年に大学を卒業した小林さんはいわゆる「就職氷河期」のまっただ中。就職が一番厳しい時期でしたね。
小林さん 当時はそうした認識がなかったんですが、後で調べてみると私が卒業した00年は統計上初めて大卒就職率が6割を下回ったという歴史的な年だと分かりました。就職活動では100社くらいエントリーして実際は50社くらい回りましたが、採用は1社だけ。問題がありそうな会社だったため辞退し、卒業までに就職先が決まらず、卒業した年の6月に株式の業界紙からようやく内定をもらいました。振り返ると非常に厳しかったのに、わけがわからないまま走り回っていた。
−−同世代の人たちがその時期、不本意な就職活動をし、厳しい社会人生活のスタートを切ることになりました。そうなった理由をどう考えますか。
小林さん 私がそうだったように、当時の大きな状況というものが分かっていなかった人が多かったと思います。分からなかったゆえに面接を重ねては不採用となり、人間失格の烙印(らくいん)を押されたような気持ちになっている人が非常に多かったですね。もし、今のように情報がいろいろ出てきて分かっていれば、「就職が決まらないのは自分のせいばかりではないんだ」と思ってもう少し頑張ることができた人もいただろうと思います。
−−バブルがはじけて日本が力を落としているところに中国が台頭して急速にグローバル化していった状況に対応できていなかったという事情もありましたね。
小林さん やっぱり、大きな判断ミスだったと思うんですね。間違いだった。非正規を増やして企業側の言い訳になるようなポートフォリオ(複数の雇用形態の組み合わせ)を組むというのは、工場のような生産現場などである程度はあり得る話なんですけど、それを全体に広げてしまったのは大きな間違いです。本来は、専門的な高度な技術を持つ方が派遣社員で働き、それが流動化していくということは良い意味でとらえられるわけです。だけど、それを一般労働者に当てはめたことが技術力の低下を招き、若者たちの足腰を弱めてしまった。その人たちが今となっては中高年にさしかかり、日本の弱体化につながっています。
−−短期的に景気が回復すると就職の状況も改善します。今の状況はどう思いますか。
小林さん 見せかけです。人手不足で需給バランスが動いて少し良いように見えるだけで、賃金も若干上がっているように見えるだけ。実体が伴っていない。
−−アベノミクスで景気回復といわれますが?
小林さん 結局は一部の人に行っている恩恵であり、自分はまったく何も感じないという人が多くて、ウエッジレス・リカバリー(賃金なき回復)がまだ続いている。賃金が上がったとしても数%なので、焼け石に水。100円ショップに行けば何でもそろう社会になっているから、そのデフレが目隠しになってしまっている。実際には消費税が8%に上がっただけでかなり生活が苦しくなり、買うか、買わないかを迷っている人たちが大勢います。
−−どういう形になれば良くしていけるでしょうか。
小林さん 最後は経営者の意識です。しかし、今は経営者が経営者でなくなっている。先を見通して企業を存続させていくんだというマインドがあれば、きちんと社員を教育して長く働いてもらうことを考えていくんですけれど、それがなくて目先の利益にしか経営が向いていない。経営者の話を聞くと、国内市場はだめだからどうやって逃げるかということばかりを考えていると感じる。そこに一番の問題がある。「ゴーイング・コンサーン」は企業会計の言葉で「継続企業に価値がある。倒産しない企業だから投資する価値がある」という意味ですが、それを置き換えれば、自社の社員が子供も持てないようなぎりぎりの経営しかできない企業が将来まで存続するわけがないということです。そういった企業には投資する価値もないし、経営者にはどういう経営をしているのかと問いかけたいと思います。
−−「失われた20年」では、転職が次のスキルにつながらない若者が多かった。氷河期以降は、戦後初めて「サポートされていない世代」になったといえます。
小林さん 今なお苦しい生活が続いている人たちは多いです。当時取材をした方で10年間連絡を取り続けている人もいますが、40代に入った男性でまだ非正規から脱出できなくて、今は生活保護を受けたりしている人もいますし、女性だと、結婚して労働市場から退場してしまった人も多いですね。こうした問題を解決するには、「同一労働同一賃金」を国策としてやるしかないと私は思う。企業はいくらでも抜け道を見つけようとするので、国が制度をつくって罰則のある法律を整備していかない限り難しい。
−−今後は階層の固定化や格差のさらなる拡大が心配されます。
小林さん 年を重ねて結婚し、出産に踏み切り、子供を持った女性の雇用はこの30年間くらい一貫して不利なものであり、第1子出産を機に6〜7割が無職になっているトレンドは統計を見ても変わっていない。子供を持ったときに職場で声を上げづらくて、「声なき声」「埋もれてしまっている声」になっている。しかし、出産するだけでなぜこれほど不利な状況に置かれるのかという素朴な疑問や怒りが多くの女性の間に広がっています。自分がずっと取材してきた雇用の問題の延長線上に今それらの問題があり、そこをいろんな切り口で追わなければいけないと思っています。あるときは「職場流産」を切り口にして女性の過重労働の問題、また「保育崩壊」は子を持つ働く人全般の問題として興味を持ってもらえると、すんなり分かってもらえると思います。
−−非正規の雇用問題は、そのまま小林さんのライフワークになっていきました。
小林さん これは今でもよく覚えているんですが、05年3月、国会に非正規雇用問題の審議を傍聴しに行った時のことです。非正規労働の問題をただしていた野党の議員に対し、与党議員から「だったら正社員になればいいんだ!」というヤジが飛んだんです。国会でさえ、当時その程度の認識でした。また、取材した女性の派遣社員に妊娠解雇にあった人がいたのですが、会社から「派遣は物なんだ、妊娠したら不良品」と言われたことを私に打ち明けてくれました。当時は派遣社員の人件費が会社の物品費に計上されることが問題になっていたので、それを象徴している話でした。いろんなことに「おかしい」と感じ、この問題を書いていくことが自分の役割だと強く思いました。そして取材を続けるうち、自分のテーマが定まってきて、組織にいると限界があるので思い切ってフリーになりました。
−−日本の停滞は「失われた10年」にとどまらず、20年になりましたね。
小林さん 雇用はまさに構造問題であり、法律の改正や制度の変更などによる影響がすごく大きいと思っています。エコノミストでは「非正規の問題を放置しておくとやがて企業の業績、ひいては日本経済にはね返ってくる」と繰り返し書いたつもりです。それでも、重苦しい状況が続いて「失われた20年」となってしまったことには、悔しい思いもあります。
■こばやし・みき 1975年茨城県生まれ。2000年3月、神戸大学卒業。業界紙記者となり、01年エコノミスト編集部記者。07年2月フリーの労働経済ジャーナリストに。若者たちの雇用、結婚、出産・育児などの現状を取材。著書に「ルポ 正社員になりたい−−娘・息子の悲惨な職場」(影書房、日本労働ペンクラブ賞受賞)、「ルポ “正社員”の若者たち 就職氷河期世代を追う」(岩波書店)、「ルポ 産ませない社会」(河出書房新社)、「ルポ 保育崩壊」(岩波新書)など。
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